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「職業に貴賎なし」だからこそ職業に上下が生まれる

読んだ。興味を持ったので俺も書いてみる。

ブルーカラーが下に見られるのは「職業に貴賎なし」が広まったせいではないだろうか。むしろ貴賎の差があったほうがブルーカラーの価値は上がる。

面倒が無いように最初に書いておこう。
俺は職業で人を差別するのは愚かだと思うし、意識して差別することは無い。
もしも職に優劣があったとしても差別していいことにはならない。これは人権の問題だからだ。身体能力に優劣があってもそれが差別していい理由にならないのと同じ。


さて、一連の流れを読んで一番気になったのはid:dobonkaiの書いたこの部分。

彼はここで書いているようにブルーカラーの世界は「堕ちる」ものと認識しているらしい。 堕ちるというのは上下があって成り立つ現象だが、ブルカラーは下層に存在しているということを暗に示している。 職業に貴賎なしという言葉があるがそれは彼には通用しないようだ。
「職業に貴賎なし」をそれでも私は信じてるって話 - ネットの海の渚にて

職業に上下は存在するし、職業に貴賎が無いからこそブルーカラーは下になるのでは。

まずは定義

例によってまず言葉の定義から始めたい。調べると「職業に貴賎なし」とはこのような意味の言葉となっている。

職業による貴賎の差はない、という意味の表現。一般的には、どのような仕事も社会に必要とされているものである、働くこと・職務を全うすること・労働をして稼ぐことは等しく貴いことである、人を仕事の内容によって差別すべきではない、などといった意味合いで用いられることが多い。
職業に貴賎なしとは - 日本語表現辞典 Weblio辞書

つまりこう言える。
「全ての職は内容や待遇にかかわらず、同等に貴い」
人の命を救う仕事も、金を貸すだけの仕事も貴さは同じなのだ。ちなみにこの場合、犯罪行為は仕事の内に入らない。

それからブルーカラーについて。本来ブルーカラーは次のような意味になる。

・blue collar workers ・生産現場で肉体を駆使して業務に従事する労働者の事を表す。
ブルーカラー とは - コトバンク

単純にブルーカラーと言うと、高度なスキルと深い知識を持ち、賃金も悪くない専門性の高い職も含まれることになる。こういうのは職として、特に見下されることもない。だが発端となった記事で言われているのは日雇労働者である。

多分そういう人たちって普通に働こうと思ったら苦労すると思うので、受け皿として派遣スタッフくらいの仕事は開かれているべきなのかも知れないのでそれはいいんですが、彼らのように哀しみを背負ってしまった人がいるのもどうしようもないことだと思うんでそれを云々するつもりもないんですが、感覚として派遣やらブルーカラーの世界には彼らのような人たちが割合として多い気がして、そういう世界に身を浸しているといつの間にか自分もその方向へ寄って行ってしまうのではないかという恐怖があります。
ブルーカラーと一緒に仕事してると自分がどんどんブルーカラーに近づいていく気がしてブルーになるのでつらい - grshbの日記

今回の一連の流れは「職業に上下はあるか」という話であり、下の職のイメージがあるものとしてブルーカラーと呼ばれている。従ってこの記事では以降「ブルーカラー」と書いてあった場合、「高いスキルを必要としない現場で働く肉体労働者」という意味とする。

『生産』から『必要』へ

そもそもこの言葉はどのような背景で生まれたのか。このサイトがわかりやすかったので、ここで書かれている内容を元に話を進める。
『新天地』連載(2)-09

さて、「職業に貴賎なし」とは元々商人を擁護するために生まれた言葉だ。江戸時代の頃の日本には職に貴賎があった。有名な「士農工商」だ。この順列になっていた理由を上記サイトから引用して説明する。

庶民が農工商という順序になっているのは、農民は食料を生産し、工人=職人は道具を加工するという、物を生産するのに対して、商人は他人の生産物を利用するだけで何も生産しないと考えられたからである。武士は物を生産することはないが、これら3民の上に立って政治にたずさわるので、最も重要である。しかし商人は自分では何も作らず、他人の生産物を横に動かすだけで金を儲けるのであり詐術である、というのが一般的常識であった。詐術とは不正な技を使って金をだまし取ること、つまり詐欺のことである。
『新天地』連載(2)-09

商人=詐欺師とはすごい言いようだ。こんなことをツイートしたら炎上してもおかしくない。だが今の日本でも似たようなことを思っている人は多い。2chまとめサイトでの収入と農家の収入を同列に捉えられたら怒る人は絶対にいる。ようするに当時の日本における商人の扱いはそんな感じだったわけだ。

そしてこのような風潮はおかしいと言い出した人がいた。それがこの言葉を作った人、石田梅岩だ。石田梅岩は次のように語る。

「正しい利益を収めることで立ちゆくので、それが商人の正直です」


「商人がみな農工となれば、物資を流通させるものがなくなり、すべての人が苦労するでしょう。士・農・工・商は世の中が治まるために役立ちます」


「商人が売買するのは世の中の助けになります。細工をする人に手間賃を払うのは工人の俸禄です。農民に耕作による利益を納めさせるのはこれも侍の俸禄に同じです。すべての人がその生業を営まなくては世の中がたっていきません。商人の利益も公に許された俸禄です」
『新天地』連載(2)-09

なにか良さ気なことを言っている。つまりまとめるとこういうことになる。

  1. かつては『生産』するかしないかで職の貴賎が決まった
  2. 商人を肯定するため、世の中で『必要』かどうかで貴賎を決めた
  3. 全ての職は必要なので「職業に貴賎なし」

つまりブルーカラーには残念な話となる。貴賎があった頃ならば『生産』を直に行っているブルーカラーは貴い職業だ。しかし職業に貴賎が無くなった今では違う。生産しない職と同等の貴さだ。

市場原理に基づく

職について貴賎の差は無くなったが、職の価値に差が無くなったわけではない。いわゆる市場価値というやつだ。同じ人間でも職によって価値は変わる。お金や部屋を借りる時、クレジットカードの審査なんかでそれははっきり分かるだろう。仕事内容は同じでも正社員とアルバイト、どちらが結婚しやすいだろうか。職の貴さは全て等しいが、価値はすべて異なるのだ。

こうして考えた時、ブルーカラーの価値はかなり低い。雇う側からしてみれば特に技術も知識も必要としていないので、簡単に安く手に入る存在だ。雇われる側にしても給与は低く*1、スキルも身につかない。その上年齢を重ねるごとに厳しくなっていく。それでも上でも書いたように、江戸時代の頃ならばまだマシだったのかもしれない。生産に直で携わっているので「貴い」という付加価値があるからだ。だが現代ではホワイトカラーと同等の「貴さ」なのでそれは価値にならない。

よってブルーカラーは現代の価値観においては「下層」の職となりやすい。したがってブルーカラーの世界に「堕ちる」という認識はそれほどおかしくないことになる。ブルーカラーになったら他の職になった時と比べて自分の価値が下がるのだから。つまり「職業に貴賎なし」という考えは決して青臭い理想論などではない。むしろ非常にシビアな考え方なのだ。

職に価値の上下があるからこそ、自分の価値を高めたいのであれば努力するしか無い。ブルーカラーの価値が低いのは結局のところ「誰にでもできる」*2仕事だからだ。そのために今の時代は「必要とされる人間になれ」と言われるのだ。まあ、そもそも「職業に貴賎なし」が商人を肯定するための言葉である以上、職を市場原理に基づいて評価することになるのは当然なのかもしれない。

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*1:景気によっては悪くなかったりするが

*2:敷居が低いぐらいの意味