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本しゃぶり

骨しゃぶりの本と何かを繋げるブログ

チキン南蛮という世界史

本の紹介 食べたもの

陸の道と海の道。
その二つが極東で交差する時、チキン南蛮は生まれた。

世界史を味わえ。

チキン南蛮

久しぶりに食の話をしよう。

今回取り上げるのはチキン南蛮である。それも「おぐら」発祥のタルタルソースをかけたものを指す。

俺はこのチキン南蛮という料理が好きである。少なくともこの一ヶ月、週に一度は食べるほどに。なぜ俺はチキン南蛮にここまで惹かれるのか。糖分脂肪分が両方含まれているから? 確かにそれもあるだろう。アリストテレスは味覚のリストで甘味を「純粋な滋養」と賛美し、その甘味に匹敵するほど喜びをもたらす味として「脂肪の味」を挙げた。現在、この二つを組み合わせることによる魅力は科学的に証明されている*1

だが俺を惹きつける理由は他にある。人はカロリーや栄養、それに味といった物質的な要素のみで食事を選ぶのではない。人は食事に物語を求める。風習ゲン担ぎなどを始め、それを食べることに特別な意味を見出し、虚構の価値を与えるのだ。

俺にとってチキン南蛮は、まさに物語を感じられる料理である。この記事ではその物語について説明しよう。チキン南蛮とは世界を舞台にした壮大な叙事詩である。

タルタル

主従関係から言えば南蛮漬けされた肉の方から語るべきかもしれない。しかしここでは歴史の流れを重視して、タルタルソースの方から説明を始める。

タルタルソースの中身についてWikipediaには以下のように書かれている。

マヨネーズに、タマネギ、キュウリのピクルス、ケッパー、パセリ、チャイブなどの野菜と固ゆで卵などを共にみじん切りにして混ぜ込んだ白い濃厚なソース。オリーブのみじん切りやホースラディッシュディジョンマスタードや酢を加えることもある。
タルタルソース - Wikipedia: フリー百科事典(2017/03/19 19:04 JSTの最新版)

どのようなものかは分かったが、タルタルソースについて多くの人が持つ疑問への答えは、この引用部に書かれていない。タルタルソースの「タルタル」とは何なのか、ということが。

タルタルソースの直接の語源はフランス語の “sauce tartare” から来ており、そして “tartare” は中央アジアからユーラシア大陸を駆け巡った遊牧騎馬民族の総称「タタール」を意味する*2

このタタールであるが、"総称"と書いた通り、特定の民族を指し示す言葉ではない。タタールが指し示す民族は時代や場所によって異なるためであり、雑に言ってしまえば「敵である遊牧騎馬民族」がタタールである。

この使い方はタタールの語源を考えるとそう間違ってはいない。というのも、タタールの語源は古テュルク語で「他の人々」を意味する「タタル」(Tatar) である。後にトルコとなる遊牧国家「突厥*3は、モンゴル高原の東北で遊牧していた諸部族をまとめてそう呼んでいたのだ*4。つまりローマ人がゲルマニアに住むガリア人以外の蛮族をまとめて「ゲルマン人」と呼んでいたようなものである。

ただし総称であるとは言ったものの、ヨーロッパの人々が「地獄の住人」と呼ぶほどに恐怖した「タルタル」が指すのは一つしか無い。モンゴル帝国である。

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By unknown / (of the reproduction) Staatsbibliothek Berlin/Schacht - Dschingis Khan und seine Erben (exhibition catalogue), München 2005, p. 255, Public Domain, Link

モンゴル以前にも時代を動かした遊牧騎馬民族は存在した。例えばカザフスタン草原から勢力を広げたフン族は、4世紀にヨーロッパへと攻め入る。これによりゴート族から始まるゲルマン民族大移動が起き、西ローマ帝国崩壊の要因の一つとなった。

だがこれまでの遊牧騎馬民族が与えた影響は、ユーラシア大陸の東西どちらかだけであった。いや、遊牧騎馬民族に限った話ではない。中国を中心とする東洋、地中海世界の西洋。どの覇権国家もそれぞれの地方における覇権でしかなかったのだ。

この状況を一変させたのがモンゴル帝国である。その領土は日本海東シナ海から黒海・ユーフラテス河・ペルシア湾に至るまで、ユーラシア大陸のほぼ全域をその手に収めた。この時、東西別個に積み上がってきた歴史は一つになったのだ。世界史の誕生である。

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Public Domain, Link

西ヨーロッパの国であるフランスに、突厥から由来する「タルタル」がなぜ伝わっているのか。それはモンゴル帝国がヨーロッパにまで攻め入り、史上最大の国*5を作り上げたからである。ゆえに、肉を覆い尽くすがごとくタルタルソースが掛けられているのを目にした時、人はモンゴル帝国の偉業を瞼に浮かべるのだ*6

南蛮

続いて主役である肉の方、「南蛮」について説明する。

本来「南蛮」とは中国世界の正統たる朝廷が、従わない南方の異民族に対して用いた蔑称である。

「蛮」と言う字の部首に「虫」が含まれているのは人扱いしないことを示し、この字を用いた熟語も「蛮族」や「野蛮」など、文明と正反対な人を示すのに使われる。これはギリシャ語の「バルバロス」(βάρβαρος) が元々トラキア人やペルシア人などの異民族を指す言葉だったのが、野蛮人を意味するようになったのと似ている。

我が国においても「南蛮」は、蛮族を意味する言葉として使われていた。その使い方が変わったのは16世紀になってからのことである。スペインやポルトガルといったイベリア半島諸国が、その交易圏を日本にまで伸ばし、貿易を行い始めた。この時から、異国風珍しい物を「南蛮」と呼ぶようになり、南蛮を持ってくる人を「南蛮人」と呼ぶようになったのである。もちろんこの貿易は「南蛮貿易」だ。

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By Attributed to Kano Domi, パブリック・ドメイン, Link

蔑称であった「南蛮」を使うなど、今ならば問題になりそうだが、このような意味の変化はそう珍しい話ではない。例えば先に挙げた「タルタル」も、現代のフランス語では「異国風の」という意味でも使われる。蛮族というものは、良くも悪くも自分たちとは異なる文化を持っているため、それが異文化を意味するようになるのだろう。

ではチキン南蛮の何が南蛮 = 異国風であるのか。それは唐辛子を使っているからである。唐辛子は"唐"という字が使われているが、これは「異国の」という意味でしかなく*7、原産国は南米であり、それが南蛮貿易によって日本へと伝わってきた。

ここで興味深いのは、唐辛子を使った料理は二重の意味で南蛮であるということだ。南蛮貿易で唐辛子は日本に伝わったが、この時の日本では食用として使われていなかった。その用途は観賞や毒薬、足袋に入れての霜焼け対策といったところで、口にするといっても薬としての意味が強い。それが食材として使われるようになったのは、1980年代以降*8エスニック料理*9が広まってきてからである。このことから唐辛子は植物としても食材としても南蛮であると言えるだろう。

以上のことから唐辛子が使われる南蛮漬けは、大航海時代の象徴と言えるだろう。日本に唐辛子を伝えたのは、唐辛子が自生していた国の人々ではない。また、唐辛子の食べ方についても、元は唐辛子が無かった国の料理として入ってきた。口にしてそのカプサイシンの刺激を感じた時、脳内を駆け巡るのは、未知なる大海へと踏み出した男たちの姿である。

Detail from a map of Ortelius - Magellan's ship Victoria.png
By Ortelius - www.helmink.com, Public Domain, Link

二つの流れが交わる時

ここまでチキン南蛮の二大要素、タルタル南蛮について説明してきた。どちらもその背後には壮大な歴史があることをわかってもらえたと思う。だが、本当の奇跡はここからである。タルタルと南蛮、相反する二つの流れが日本で交わったというこの事実を。

タルタルは先に述べたように、陸上の覇者であるモンゴル帝国にその由来を持つ。しかし、そのモンゴルといえども世界を完全に征服したわけではない。ここでモンゴル帝国の最大領域を確認してみよう。

広大な領地を誇るが、地球全体で見ると非モンゴルである場所も多く見られる。ではこのモンゴルの手が届かなかった地域は何なのか。それは南蛮である。唐辛子の原産国である南米、唐辛子を伝えたイベリア諸国、そして唐辛子料理を拡めた東南アジアやアフリカ。そのどれもがモンゴルの外なのだ。つまりタルタルと南蛮は陰陽のごとく相互補完関係となっている。

人類最古の文明は、チグリス川とユーフラテス川が交わるところで誕生した。異なる二つの流れが合わさることで新たな価値が生まれるのは、人間世界における必然なのである。ならば「陸の世界史」と「海の世界史」が合わさることで生じる価値はいかなるほどであろうか。チキン南蛮はその期待を裏切らない。

参考資料

この記事はこの本を参考に書いた。むしろこの本をきっかけに書いた、と言ったほうが正しい。

歴史は単なる過去の記録ではない。歴史とは、人間の住む世界を、時間と空間の両方の軸に沿って、それも一個人が直接体験できる範囲を越えた尺度で、把握し、解釈し、理解し、説明し、叙述する営みのことである。
世界史の誕生─モンゴルの発展と伝統 (ちくま文庫)

なぜ世界史はモンゴル帝国の誕生から始まったと言えるのか。気になるならばこれを読もう。歴史は遊牧騎馬民族が動かしてきた。その影響は今にも続く。

食の記事

*1:詳しくは『フードトラップ 食品に仕掛けられた至福の罠』を読もう。

*2:このタタールがヨーロッパに伝わった時、地獄の住人を意味する「タルタロス」と重ね合わさり、「タルタル」と呼ぶようになった。

*3:オスマン帝国およびトルコ共和国は様々な民族で構成されており、単一のトルコ民族という考え方は間違っている。しかし現代のトルコ共和国では、突厥の成立をもってトルコ国家の建国としているので、「後のトルコ」は公式見解と言っていいだろう。

*4:『新五代史』や『遼史』によればタタルを自称する民族がいたようではあるが。

*5:植民地込みで考えるならば大英帝国の方が大きい。当時の時点ではモンゴル帝国が最大。

*6:なのでタルタルが豆つぶくらいであるのは許されない。

*7:ここでもまた特定の国を指す言葉が、異国のものを指す意味に変化している例を見ることができる。

*8:それ以前にも七味唐辛子を始め、全く使われることが無かったわけではない。しかし本格的に使われるようになったのは消費量の観点から言ってもここからである。

*9:「エスニック」の語源はギリシャ語の「エトノス」(ethnos) であり、民族を意味する。つまりエスニック料理とは「民族の料理」である。

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