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本しゃぶり

骨しゃぶりの本と何かを繋げるブログ

何がヒロインを決闘へと駆り立てるのか

ヒロインは問題解決手段として「決闘」を選択する。
それは彼女たちが信心深く、努力を怠らず、そして名誉を尊ぶためである。

この世界の起源と構造、この世界を支配する法則。
決闘はそれらを解き明かす鍵となる。

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2017年4月、運命が覆される時

2017年春アニメも出揃いつつある今日このごろ。前期よりも放映数が多い中、ひときわ興味を引くのがこの作品。『ロクでなし魔術講師と禁忌教典(アカシックレコード)(以下ロクアカ)である。

アルザーノ帝国魔術学院に赴任したグレンは授業もせず居眠りばかりのロクでなし。優等生のシスティーナはそんな彼に耐えきれず「まともな教鞭」を求めて決闘を申し込む。

「またこのパターンか」
こう思った人は少なくないはずだ。しかしこの『ロクアカ』は我々の予想を覆す展開となった。

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決闘で主人公が敗北したのである。ルールの問題とか何かトラブルが起きたのではない。完膚なきまでに叩きのめされてしまったのだ。あまりの出来事に視聴者だけでなく、劇中のヒロインまで困惑する始末。いったい何が起きたのだろうか。

また、『ロクアカ』の感想をあさっていたらこのようなTweetを見つけた。

学院の人間であれば自明なことでも、外では引っかかる人もいるらしい。このうちラッキースケベの必要性については以前に解説している。アレは聖別の儀式である、と。

しかし決闘についての解説はまだであった。そこで今回は決闘する理由について解説を行う。これを読めばラッキースケベと決闘は起源を同じくし、不可分な存在であると分かるだろう。さらには『ロクアカ』において主人公が負けたのは必然であることも。

全ては「教典」から始まった。

園都市と中世ヨーロッパ

まず最初にこれら石鹸枠*1の舞台設定から説明しておく。現代の日本においては非常識なことでも、時代や地域が異なれば常識となる場合もある。そのため、まずは石鹸枠の世界観がどのようなものか知る必要があるのだ。

基本的にこのような作品の舞台は学校である。だが現代日本の学校とは異なる特徴を持つ。

  • 園都市と呼ばれる程に大規模
  • 自治権を持ち、教師や学生の権限が強い

このような園都のモデルが中世ヨーロッパの《ウニベルシタス / universitas》であるということは、以前「深夜アニメの性はなぜ奇妙に進化したのか」で説明したとおりである。この “university” の語源にもなった組織は、教師と学生によって構成されたギルドから始まっている。講義の場が形成されると、各地から教育を求めて人が都市に集まり、ついには自治特権を獲得するに至った。これが学園都市である。

石鹸枠の舞台が中世ヨーロッパをモデルとしているならば、文化もその影響を受けないはずがない。中世ヨーロッパには「決闘裁判」があった。石鹸枠ヒロインはこの文化の継承者である。

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By unbekannter mittelalterlicher Künstler - Dresdener Bilderhandschrift des Sachselspiegels, hrsg. v. Karl v. Amira, Leipzig 1902, Neudruck hrsg. v. Heinrich Lück, Graz 2002, Public Domain, Link

決闘裁判

中世ヨーロッパで行われていた決闘裁判、それはゲルマン文化キリスト教が合わさることで産まれたものである。

決闘裁判はまずゲルマン人の中で誕生した。1対1で戦いその勝敗で自らの意思を通す「決闘」は洋の東西を問わず存在するが、それを裁判の一つとして制度化したのはゲルマン人である*2。元々ゲルマン人の間では決闘の勝敗によって神の真意を探るという慣習があり、それが裁判と結びついて決闘裁判となった*3

キリスト教と結びついたのは、キリスト教化していたフランク王国ブルグント王国を併合した時とされる。フランク王国は土地と人民だけでなく文化をも取り込むことになったのだ。

異教徒の風習である決闘裁判がキリスト教圏内に広まっていったのは、決闘裁判の特質が中世ヨーロッパ世界とうまく合致したから他ならない。もちろん石鹸枠においてもだ。

信仰

先にゲルマン人の間では「決闘の勝敗によって神の真意を探る」という慣習があると書いた。これは神は正しき者の味方をする、という思想が根底にある。決闘に限らなければこの思想による裁判方法 = 神明裁判は世界各地で行われていたことが確認でき、我が国でも熱湯を用いた盟神探湯があった。神が認めたならば水で溺れず、火で焼けることも無いのである。

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落第騎士の英雄譚』3話より

神の判断を仰ぐということは、前提として神の存在を信じなくてはならない。すなわち決闘裁判をするならば信仰心を持っている必要があるのだ。中世ヨーロッパではキリスト教を中心とした文化であるため、この問題はクリアされる。では石鹸枠においてはどうだろうか。実は魔術こそがその代わりとなる。あの世界は魔術を信仰しているのだ。

『ロクアカ』2話において、主人公が「魔術が何の役に立つのか」と訊いた時、本作のヒロインであるシスティーナはこう答えた。「人がより高次元への存在へと至る道を探す手段である」と。

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主人公が魔術を否定したくなる気持ちもよく分かる。だが命懸けの勝負の行方に判断を委ねようというのだ。これくらい狂信的でなくては申し込むことも受けることも出来まい。

自己救済

神の真意を探ると言っても、決闘裁判は他の神明裁判には無い特徴がある。それは自己救済の要素が不可欠であるということだ。水に沈められるとか火にかけられるというのは、被疑者が努力する余地はない。唯一できることは奇跡が起きることを祈るだけだ。しかし決闘裁判は違う。自らの力次第で、助かる可能性が高まるのである。

この自己救済は一見すると神明裁判と矛盾するようにも思える。だが古来より神は自ら戦う者に力を与える存在である。勝利を手にするには祈るだけではなく、行動が求められるのだ。

決闘裁判こそキリスト教本来の文化では無いものの、決闘における自己救済の精神は聖書にも見ることができる。中でも決闘裁判の歴史的、思想的基礎となったのが『ダビデの決闘』である。

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By Osmar Schindler (1869-1927) - http://www.schmidt-auktionen.de/, Public Domain, Link

あまりの人気にキャラソンまで作られる油を注がれた美少年、それがダビデである。そんな彼は完全武装した身長2.9mのゴリアテに対してこう言い放った。

お前は剣や槍や投げ槍でわたしに向かって来るが、わたしはお前が挑戦したイスラエルの戦列の神、万軍の主の名によってお前に立ち向かう。
サムエル記上/ 17章 45節 (新共同訳)

そしてダビデゴリアテを一撃のもとに撃ち倒し、その首を切り落とした。これが敬虔なる信徒に与えられる神の力、主人公補正である。この力を得るために石鹸枠の主人公やヒロインは日々鍛錬に励み、戦いの場においてはベストを尽くそうとするのだ。懸命に努力する姿こそが、神に愛されている証拠であると信じて。

自由と名誉を尊ぶ

決闘裁判を構成する要素、信仰と自己救済の精神を知ってもなお、決闘裁判は裁判方法としてふさわしくないと考える人もいるだろう。やはり裁判は文章や証拠を元に、裁判所という権力が判断を下すべきであると。

この発想は現代社会のように集権的権力が存在してこそのものである。そしてその権力が公正であると信じると共に、権力の判断に従うことを受け入れなければならない。

だが中世ヨーロッパ社会は違った。諸侯や騎士達は自由名誉を尊ぶ存在であった。そして中央権力は弱体であり、その公正さを信じることは出来ない。ましてや服従などもってのほかである。だからこそ自分を脅かす存在は自らの力で排除しなくてはいけない。そのため決闘裁判は自由と名誉を取り戻すための最終手段として必要とされ、自由民の権利であるとも言われたのである。

とはいえ騎士たちも全てを決闘裁判で決着をつけようとしたのではない。何か明確な証拠がある場合、そこに神の意志が介在する余地はない。決闘裁判が行われるのは証拠が無く、かつ重大な事件を対象とすることが多かった。密殺や平和違反、偽証、それに姦通などがそれにあたる。

ここで視点を石鹸枠に戻してみると、決闘を申し込むヒロインは騎士の誇りを持っていることが分かる。彼女らは名誉を重視し、自らの力で道を切り開こうとする。間違っても力に屈することなどありえない。

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ところがそんなヒロインに主人公は何をしたか。

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その名誉を穢したのである。ここに決闘の準備は整った。

ロクでなしと磔刑

これでなぜ石鹸枠において決闘が発生するか理解しただろう。学園都市という舞台、ヒロイン選定の儀式、そして決闘。全ては繋がっており、その根源には聖書の存在がある。このことを分かりやすく伝えるには以前に掲載した系統樹が便利なので再掲する。

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ここまで来たら『ロクアカ』において主人公が負けた理由もはっきりするだろう。彼は魔術に対する信仰も無く、現在は勤勉な姿を見せようともしない。そして名誉を全くもって重視しない。つまり決闘の精神と真逆の存在なのである。その結果、彼に補正が掛かることはなく、無様に這いつくばることになったのだ。

ではなぜ彼はこのような振る舞いをするのだろうか。それはこの『ロクアカ』という作品が、中世から脱却し啓蒙の時代へ至る過程を描こうとしているからである。学院界隈では1話の時点で、主人公が神ではなく自分の意志で行動しようとしていると指摘されていた*4。しかし1話における行動はテンプレに逆行しているだけであり、それが真意であるかは不明であった。

決定的となったのは2話冒頭のシーンである。

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彼は教科書を黒板に打ち付けたのである。

人々を教え導く対象を磔にする。このことが指す意味は一つしか無い。

Mantegna, Andrea - crucifixion - Louvre from Predella San Zeno Altarpiece Verona.jpg
By Andrea Mantegna - The Yorck Project: 10.000 Meisterwerke der Malerei. DVD-ROM, 2002. ISBN 3936122202. Distributed by DIRECTMEDIA Publishing GmbH., Public Domain, Link

神を拒絶したのである。

これを観た者たちは、新しい時代が幕を開けたことを確かに感じ取った。その結果がこれだ。

面白くなってきた。

終わりに

アニメを見る時、人は既視感を感じると目を曇らせてしまいがちだ。作品の面白さは表面だけを見ていてはダメであると前期で学んだというのに。この『ロクアカ』においても、ある者は1話で、またある者はあらすじを見ただけで切ってしまったのではないかと思う。

しかしこれを読み終えた今では違う。きっと諸君らの足元にはウロコのようなものが落ちているだろう。ならば次にすべきことは決まっている。まず『ロクアカ』を視聴し、その後は布教活動に勤しむのだ。この春は有意義なものとなるであろう。

決闘裁判―ヨーロッパ法精神の原風景 (講談社現代新書)

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石鹸枠の記事

*1:石鹸枠とは (セッケンワクとは) [単語記事] - ニコニコ大百科

*2:他の地域でも同様の文化があるかもしれないが、少なくとも中世ヨーロッパの決闘裁判はゲルマン由来である。

*3:決闘裁判がいつ誕生したかは不明だが、ゲルマン人によって最初に文章化されたのは6世紀初頭の「グンドバッド法典」である。

*4:石鹸枠を昇華させるか ロクでなし魔術講師と禁忌教典 - 床屋政談

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