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【雑記】実話よりフィクションから学べ

よく「マンガと現実を混同するな」と言われるが、それについてひとこと言いたい。

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こんなノリだと怒られる / 吼えろペン(1) (サンデーGXコミックス)より

前回も書いたように俺はよく例えでマンガやアニメを出す。

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すると俺に反論する時よく使われるのが、最初に書いた「マンガと現実を混同するな」というやつである。俺の記事の中でも特にこれなんかその手の反応が多かった。

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この記事でのマンガはあくまでもオマケで、例として出したのは実際にあったアステカ滅亡なのだが、なぜか俺はマンガを根拠に語っていることになっていた。普段の行いから仕方ないかもしれないが、それ以上にマンガ=フィクションを根拠に語るのは許せないと思っている人が多いのだろう。だが言わせてもらうが、実在の出来事より空想の出来事から学べる者こそ優れているのだ。

フィクションから学ぶ

フィクションは確かに現実では無いし、嘘が書いてあったりする。しかし、全てが嘘というわけではない。現実にあることをネタとして持ってきていることもあるし、実現できていないだけで実際にあってもおかしくないことを書く場合もある。また、「もしもこうなっていたら…」といった思考実験としての価値がある。それを現実と混同するなという言葉のもとに切り捨てるのは愚かと言わざるをえない。

しばらく前にこんな記事を読んだ。

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マンガから学び始めるのは十分にアリなのだ。研究者でもマンガを参考にすることがある。ロボット分野なんかは完全にフィクション先行で、ASIMO研究室に最初からあった資料が鉄腕アトムのマンガと四谷シモンの人形だけだったというのは有名な話だ。

フィクションから学ぶのは現代の日本人に限った話ではない。歴史上の人物、例えばアレクサンダーもフィクションから学んでいる。彼はイリアスを戦術の手引書と考えて、遠征では枕の下に置いていたという。有名な作品なので今さら言うまでもないが、イリアスの内容は神々が人間に手を貸すどころか戦いのきっかけさえ作ってしまうような内容で、これは史実を元にしたフィクションだ。だが、アレクサンダーはフィクションであることを踏まえた上で手引書として使っていたのだ。

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戦いの前には地図とイリアスを用意 / Fate/Zero(1) (角川コミックス・エース)より

まあ、何時の時代も同じで父親はフィクションに没頭するのを嫌がっているが。

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そして寝物語呼ばわりする / ヒストリエ(6) (アフタヌーンKC)より

そういうわけでフィクションから学べる者というのはバカではなく、むしろ人より先を行ける者なのだ。

逸話は大抵フィクション

そもそも実話よりフィクションのほうが学ぶのには適している。なぜならフィクションというのは作り話、つまり作られたものなので余計な要因が絡んでこないし、重要なところを強調することが出来る。だから教育には昔からフィクションが用いられてきた。道徳の教科書を開いてみれば半分以上がフィクションとなっているだろう。算数や数学の問題なんかも基本的にフィクションが使われる。たかし君が何かを買う物語の多いことは皆ご存知のはずだ。

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教育のためのフィクションとして有名なのは教典だろう。最近聖書を「フィクション」に分類して問題になったというのがあったが、フィクションであることには変わりない。聖書にかぎらず、神話という作り話は教育的要素が必ずと言っていいほど含まれている。昔からフィクションから人は学んできたというのに今さらやめるなんてありえるだろうか。それでもまだ否定するというのであれば、それは人類の歴史を否定するようなものだろう。

毒を避ければ問題ない

マンガで学ぶのを否定する根拠として「マンガには嘘が書かれているから」というものがある。真実を学ぶなら問題ないだろうが、嘘を真実と誤解するというのは問題だ。だから「混同するな」と言って否定するわけだ。しかしそれで本当にいいのだろうか?重要なのは本当かどうかであり、その表現方法ではない。逆に本当のことを言いそうメディア、例えば健康を謳うテレビ番組などの内容を鵜呑みにし、踊らされるほうが問題ではないだろうか。その表現方法で真偽を決めるのではなく、内容で決める必要がある。そのためには自分で調べる力が必要だ。

そしてマンガには嘘があるから除外するというのは、自分は嘘を見抜けないと言っているようなもの。言わば、毒キノコを見抜けないからキノコを食べないといっているようなものだ。山に生えているキノコを食べるなというのは見分けられない人間に対する注意であり、見分けられる人間にとっては問題ない。それどころか毒キノコだってそれがどういうものか知っているなら役に立つこともある。

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テンションを上げるのに使えたり / ONE PIECE 53 (ジャンプコミックス)より

ただ、さんざんフィクションから学べと言ったが、バカには薦められない。重要なのは真偽を見分ける力であり、それが無い奴がマンガを信じるというのは山で手当たり次第にキノコを食べるようなものだ。

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バカはこうなる / ONE PIECE 53 (ジャンプコミックス)より

ここまで読んだ上であなたはキノコを食べる人間だろうか、それとも避ける人間だろうか。前者の人間が多いことを期待している。

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