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ジョブズを目指すならプログラミングより書道を習わせよ

読んだ。

「未来のジョブズ」目指す、小学生の人気習い事 (読売新聞) - Yahoo!ニュース

ブコメでも散々言われているが、スティーブ・ジョブズを目指すのであれば習わせるべきはプログラミングではない。

「未来のジョブズ」目指す、小学生の人気習い事 (読売新聞) - Yahoo!ニュース

ジョブス目指すなら書道の方が近道(

2015/06/30 01:51

ジョブズの道を歩くなら

プログラミングを小学生のうちから習わせることについては特に言うことはない。だが、ビル・ゲイツやマーク・ザッカーバーグを目指すならともかく、ジョブズのようになって欲しいというのにプログラミングを習わせるというのはどうなのか。ジョブズに狙ってなれるものではないが、それでもあえて習い事で、というのであれば書道一択だ。

上のコメントに付いたスターの数からも分かるように、ちょっとでもジョブズのことを知っているものならば書道というのは納得のいく選択だ。何も関連書籍を読んでいる必要はない。スタンフォード大学でのスピーチを聞いたことのある程度で充分。しかし、「未来のジョブズ」を目指すでニュースになってしまうのが実情であるため、解説しようと思う。

書道を薦める3つの理由

理由は挙げようと思えばいくらでも挙げられそうだが、だいたいこういうのは3つにしておけばいいので、3つにしておく。iPhoneも3つを1つにした、という形で発表していたわけであるし。

1. カリグラフィー

若き頃のジョブズのエピソードと言えばカリグラフィーである。有名な「点と点をつなげて線にする」もこれから来ている。

自分の興味の赴くままに潜り込んだ講義で得た知識は、のちにかけがえがないものになりました。たとえば、リード大では当時、全米でおそらくもっとも優れたカリグラフの講義を受けることができました。


もちろん当時は、これがいずれ何かの役に立つとは考えもしなかった。ところが10年後、最初のマッキントッシュを設計していたとき、カリグラフの知識が急によみがえってきたのです。そして、その知識をすべて、マックに注ぎ込みました。


もし私が退学を決心していなかったら、あのカリグラフの講義に潜り込むことはなかったし、パソコンが現在のようなすばらしいフォントを備えることもなかった。もちろん、当時は先々のために点と点をつなげる意識などありませんでした。しかし、いまふり返ると、将来役立つことを大学でしっかり学んでいたわけです。
「ハングリーであれ。愚か者であれ」 ジョブズ氏スピーチ全訳  :日本経済新聞

Macの美しいフォントはジョブズが一見テクノロジーとは関係のない、カリグラフィーの講義を受けたから存在するのだ。では子供にもカリグラフィーを学ばさせるべきか。しかし子供向けのはそう多くない。そこで書道である。ペンと筆という違いこそあれ、文字の美しさを極めることには変わりない。しかも書道ならば親でもある程度は理解できるし、教えることもできる。もうこの事実だけで書道を選ぶ理由になる。

2. 禅

ジョブズが傾倒したものと言えば禅である。ジョブズは大学に入った後、東洋思想に傾倒していった。特に仏教や禅に魅せられ、抽象的思考や論理的分析よりも直感的な理解や意識を重視していったという。そして当時のジョブズが愛読した本に『禅マインドビギナーズ・マインド』がある。

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帯にジョブズがいる。

この本の著者である鈴木師の弟子である乙川師とジョブズは縁が深い。乙川師の下でジョブズは瞑想を行い、後にNeXTを創業した時は乙川師を宗教顧問として招いたほどだ。したがって自分の子供をジョブズのごとく本質を見極められるようにしたければ、禅をさせた方がいい。しかし禅は少々敷居が高いのもまた事実。そこで書道である。書道は習い事の中でも特に集中が求められ、心の乱れは許されない。また、ひたすらに手本を真似るのは禅の「公案」に通じるものがある*1。シンプルさを追求させるためにも、やるなら書道しかない。

3. 追求

世間でジョブズのことを語られるとき、ジョブズは全てを見通しているように扱われる。曰く、彼には未来が見えているのだ、と。しかしこれは間違っている。ジョブズ関係の情報に触れている人なら知っての通り、彼はそれが良いものか悪いものか判別できた、というのが正しい。そして更に重要なのは、それがこれ以上ないくらい素晴らしくなるまで、ひたすらにやり直すことを止めなかったのだ。

これは何も製品に関することだけではない。製品発表においてもジョブズはより良くを求めた。なにせあの完璧な発表をするために、ジョブズは2ヶ月間を準備期間に当て、ひたすらに練習を繰り返す。そしてちょっとでも悪い点があるならばそれを直し、また練習する。このひたすらに追求していく姿勢を子供に植えつけるならどうするべきか。書道だ。書道は同じ字を何度も練習させる。小学校高学年になっても、一度に書くのは4文字程度。Twitterにすら1度に35回も書けるほどだ。たった数文字を、ひたすら練習していく。書道でついた力は将来、完璧を求める際に役に立つ。

テクノロジーとリベラル・アーツの交差点

ジョブズはAppleを説明するときに「我々はテクノロジーとリベラル・アーツの交差点にいる」と語る。これは理系・文系のどちらか一方でなく、その両方を極めて形にしている、ということだ。ただ高機能・多機能であるだけではダメ。見た目ばかりというのもダメ。学問的な垣根を取り払った先に究極のモノがあるのだ、と。

この文武両道ならぬ文理両道は、なにもジョブズだけに限った話ではない。それこそプログラミングの力によって富を得たビル・ゲイツやマーク・ザッカーバーグだってそう。ゲイツは学生時代に『ライ麦畑でつかまえて』や『ア・セパレイト・ピース』などの小説を読みふけり、ザッカーバーグは古代ギリシャ語でイリアスを暗誦する。このように成功するためにはどちらも必要なのだ。

それなのに直接的に役立ちそうなものだけをありがたがる風潮はどうかと思う。なにせ国立大に文系は不要なんて意見まで出る始末。もし世界に通用する指導者たる人材を求めるならば、一人が文系と理系の両方を高める教育を行うべきだ。そして習い事ならば日本の文化である書道は、まさにふさわしいといえるだろう。書道を習い、そしてテクノロジーにも精通した子供が大きくなったときこそ、今度は日本で電話が再発明されるかもしれない。

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