本しゃぶり

骨しゃぶりの本と何かを繋げるブログ

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他人を生け贄に捧げる。あなたは本の内容をモノにする。

読んだ本の内容を自分のモノにしたい、そう思ったことはないだろうか。
せっかく時間をかけて読書したのに、何も残らないようではもったいない。

そこで俺がそのソリューションを提供しよう。他人を生け贄に捧げればいいのだ。

被害者の嘆き

しばらく前、ネットの時間感覚的に言えば結構前に読んだこのまとめが頭に残っている。

このまとめは最初のツイートが全てである。

帰りの飛行機で隣の意識高そうなビジネスマンが「会話が途切れない話し方」みたいな自己啓発本を熱心に読んでいて、いきなり本を閉じて一息ついて僕に「いや〜今日は綺麗な空ですね〜」って話しかけてきて地獄でした。
ツイート / Twitter

この人に対しては、ご愁傷様としか言えない。隣に座ったのが意識高い人で災難でしたね、と。

しかし、この「意識高いサラリーマン」の立場から見てみると、この行動は理に適っていると言える。誤解を恐れずに言えば、本の内容をモノにするには、他人を生け贄に捧げるのが手っ取り早いからである。その対象として偶然隣に座った相手を選んだのは、合理的と言わざるを得ない。

分割して咀嚼せよ

本の内容をモノにするにはどうすればいいか。それは本に書かれている事柄について、逐一細かく検討していくことである。つまり、徹底的に精読せよ、ということだ。ちょうど俺と似たような考えの記事を見かけたので、そこから引用しよう。

たとえば、地名が出てきたら地図を開き、人名が出てきたら人名事典を開き、知らない道具や植物が出てきたら図鑑や百科事典にあたり、言い回しや用語の意味をひとつずつ調べて本の余白に書き込み、表現の意味を調べ、総じて文体すなわち文章の特徴をつかまえ、書かれていることの思想の中核を把握し、さらには時代背景まで調べる。
大人の勉強は“読む”から始めよ──多読ではなく精読こそが自分を変える|ブックス(本・書評)|GQ JAPAN

このような精読のメリットは、曖昧さの排除と知識の関連付けを行える点にある。

まず人が物事を理解していない時、そこには曖昧さが含まれている。なんとなくは分かってるが、いざ説明せよ、と言われるとできない。これが積み重なっていては、その物事を理解しているとは言いがたい。個々のことが分からずに、どうして全体が分かるだろうか。

続いて知識の関連付けについて。物事を記憶するには既存の知識との関連付けが有効である、というのは有名な話だ。そこでいかに関連付けるか、となるわけであるが、そのためには対象の情報を多く知っている方が行いやすい。道具なら名前だけでなく形や素材、使い方に歴史など、その周囲を知れば知るほどに関連付けをするためのフックが出てくる。学習で芋づる式が奨励される理由の一つがこれだ。

したがって、内容をモノにしようというのであれば、最初から全体を捉えようとするのではなく、細かく分割した上で取り込むのがいいのだ。そうすれば最後には全体も分かるようになる。これは何も読書に限った話ではない。例えばマキアヴェッリは『政略論 / Discorsi』でこのように書いている。

人間というものは、大局から判断しなければならない大きな問題についてはきわめて誤りを犯しやすく、〔逆に〕個人の問題にひきうつして判断するような場合は、その危険はさほどでもないものだ、と私は信じる。


つまり、当人に事物を概括的にとらえれば誤ちを犯しやすいものだということを納得させて、個々の事物を細かく検討するようにしなければならないということになる。
ディスコルシ ――「ローマ史」論 (ちくま学芸文庫)

読書であろうと政治であろうと、人間は自分が食える大きさにそれを切り分け、よく噛んでから取り入れるべきなのだ。

経験から学ぶ

物事を細かく切り分けてよく噛め、と言ったところで一つ問題がある。それは、人間は自分自身が何を分かっていないのかを分かっていない、ということだ。すでに理解している事について改めて検討しようとは思わない。しかし、人間には自分が「理解していること」と「理解しているつもりなこと」の区別はつかないのだ。この問題を解決する手段が、この記事の主題である「他人を生け贄に捧げる」なのである。

ここで言う「他人を生け贄に捧げる」とは他人に対しての実践、あるいは説明である。ここはまず、俺が言葉を尽くすより『ヒストリエ』の3巻を持ってきたほうがいいだろう。

他人に物事を教えたことのある人ならば、この感覚に大きくうなずくのではないだろうか。知識を右から左へと流すだけならともかく、簡潔に自分の言葉でまとめようとすると、そこに曖昧さがあっては上手くいかない。説明しようとすることで、自分が何を分かっていなかったのかに気づくのである。

また、最初のツイートのような、何かのノウハウというものは、説明よりも実践するのが一番である。実践して上手く行けばその効果が分かり、逆に失敗したのであれば自分が理解していない*1ことに気がつくことができる。マキアヴェッリも『戦略論』でいろいろと偉そうなことを言っているが、いざ歩兵二千を指揮しようとしても整列すら出来なかったそうである。言うは易く行うは難しは、全くもって真実なのである。そして、「難し」の理由が分かれば、理解したも同然だ。

さらに言えば、説明にしろ実践にしろ、行うならば読んでからすぐのほうが望ましい。なぜなら理解していなくても記憶に新しいし、不明な点があった時にすぐ参照することが出来る。もちろん、読みなおしたのであれば、また即実践したほうがいいのは言うまでもない。

ゆえに、例の意識高いサラリーマンの取った行動は、理に適っていると言える。しかも会話術の本であるので、知らない人に対してやったほうが効果がよく分かる。失敗したところで二度と会うことのない他人なのだから、特にリスクも無い。せいぜいツイートされるぐらいである。しいてミスを挙げれば、何を読んでいるかバレてしまった、ということだろう。

終わりに

というわけで、もしあなたが本の内容をモノにしたいというのであれば、積極的に他人を生け贄に捧げることを推奨する。それも後々に悪影響が出ないよう、見ず知らずの人間が望ましい。これを読んだら早速実践してみよう。

ところで、この記事を含め最近の俺の記事には、唐突にマキアヴェッリが登場する。

Santi di Tito - Niccolo Machiavelli's portrait.jpg
By Santi di Tito - Cropped and enhanced from a book cover found on Google Images., パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=934421

今のあなたにはその理由が分かるだろう。俺がブログを書くのはブログ名の通りなのである。

意識が高そうな記事



*1:あるいは書いてあることが間違っている