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なぜスタバのセイレーンは股を広げているのか

人魚なのに尾が二股に分かれている。
しかもその尾を持ち上げ股を開いている。

どうしてこうなったのか調べてみた。

スターバックスのロゴ

世界で最も有名な人魚と言えば、やはりこいつだろう。

Warszawska róg Szerokiej w Tomaszowie Mazowieckim, w województwie łódzkim, PL, EU. CC0, Public domain, via Wikimedia Commons, Link

ご存知スターバックスのロゴである。現在のロゴでは大事なところが色々と隠されているので分かりにくいが、最初のデザインでは人魚であることが一目で分かる。

Chris Brown from Melbourne, Australia, CC BY 2.0, via Wikimedia Commons, Link

上半身が裸で胸を露出し、二股の尾を自ら持ち上げて股を開く。彼女は単なる人魚ではなく、ギリシャ神話の怪物セイレーンだ。

なぜスターバックスは淫らな姿のセイレーンをロゴに採用したのか。その理由は公式を含め*1、様々なところで語られている。ざっくりとまとめると以下のとおりだ。

  • 「スターバックス」は採掘場「スターボ」と、小説『白鯨』の登場人物「スターバック」からとった
  • 『白鯨』の海洋繋がりから、海洋書に掲載されていたセイレーンの木版画をロゴに採用
  • セイレーンの人を誘惑する性質が「コーヒーで人々を魅了する」のイメージにぴったり

この2分弱の動画を見れば分かる通り、当初のスタバのロゴは木版画そのままである。そのため、タイトルの疑問「なぜスタバのセイレーンは股を広げているのか」に対しては「元になった木版画がそうだったから」が一つの答えとなる。

しかしこれでは納得できない。普通の魚は尾びれは一つで、二股だとしても上下に分かれるものである*2。なのにスタバがモデルにしたセイレーンは左右に分かれた二股だ。しかも自ら両端部を掴み上げ、股を広げている。なぜこんな奇妙なポーズをしているのか。

この記事ではさらに時代をさかのぼり、いかにしてセイレーンが二股の人魚となり、自ら股を開くようになったかを探っていく。

人面鳥と古代の人魚

セイレーンが登場する物語で最も有名なのは、やはり『オデュッセイア』だろう。オデュッセウスがセイレーンの歌声を独り占めしたアレである。

Staatsgalerie Stuttgart, Public domain, via Wikimedia Commons, Link

うっかりただのエッチなお姉さんのセイレーンを貼ってしまった。『オデュッセイア』ではセイレーンの姿が描写されていないので、こういうキャラデザも許される。

だが本作のような表現は歴史を通して一般的ではなく*3、古代ギリシアにおいてセイレーンは半人半獣の怪物として描かれるのが普通であった。例えばペルシア戦争の頃に描かれたセイレーンを見てみよう。

Siren Painter (eponymous vase), Public domain, via Wikimedia Commons, Link

頭部が人間の女性で、身体が鳥の怪物である。実のところ、古代ギリシアにおけるセイレーンとは、人魚ではなく人面鳥*4であったのだ。海辺に生息しているが、魚ではない。

今でこそセイレーン=人魚の図式が刷り込まれているので人面鳥というのは違和感があるが、セイレーンの特徴を考えたらこっちの方がしっくりくる。鳥は美しい歌声を奏でる生物だ。歌で誘惑する怪物を創るなら鳥をくっつけるのが自然だろう。

セイレーンは人魚でなかったが、人魚そのものは古来から存在する。ただしそれは怪物よりも神々として位置づけられることが多い。最古の人魚としては古代バビロニアの魚神オアンネスが挙げられる。

Louvre Museum, Public domain, via Wikimedia Commons, Link / Unknown authorUnknown author, Public domain, via Wikimedia Commons, Link

このオアンネスは、昼は陸に上がり人々に知識を授け*5、夜になると海へ戻っていくらしい。そのためか、上半身が魚で下半身が人間と説明されることもある*6。しかし上に貼った通り、紀元前8世紀に作られたサルゴン二世の宮殿にあった彫刻のそれは、まさに現代人の想像する人魚スタイルである。

人魚スタイルの神はオアンネスを筆頭に男性の印象が強いが、女神の人魚も存在する。古代シリアの豊穣を司る女神のアタルガティスは、女性版オアンネスとでも言うべき存在で、下半身が魚の姿をしている。

Athanasius Kircher, Public domain, via Wikimedia Commons, Link

アタルガティスは豊穣の他に、愛と肉欲の危険も象徴していた。彼女が西方に伝わると、ギリシアのアフロディーテローマのヴィーナスの原型となる。後にヴィーナスのシンボルであるホタテ貝が転用されて人魚のブラになったことを考えると、アタルガティスは現代人魚の祖先の一人と言えるだろう。

アフロディーテやヴィーナスは海との繋がりがあるとはいえ、魚の尾は持たなかった。ギリシャ神話で半人半魚と言えば、やはり海神ポセイドンの息子トリトンだろう。トリトンは海馬やイルカに乗ることがあるせいか、下の彫刻のように二股人魚スタイルとなることもある。もっとも、股を開いているところは見たこと無いが。

Miguel Hermoso Cuesta, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons, Link

ちなみにスタバのセイレーンは王冠を被っているが、アレはトリトン由来のものである。トリトンは地中海沿岸の諸都市の創始者とみなされているため、王冠を戴くことになった。後世のセイレーンはトリトンの女版であるため、彼女も同様に王冠を戴くというわけだ。

このように古代においては素材は揃っていたが、人魚とセイレーンは別物であった。これが合わさるのは中世に入ってからである。

キリスト教が創り出した敵

古代地中海世界においては、半人半獣は悪ではない。既に見てきた通り、神の中にも半人半獣は存在する。しかしユダヤ教、そしてキリスト教は違った。

あなたは獣と交わり、これによって身を汚してはならない。
レビ記 18:23

種を超えた交合は悪であり、そこから生まれたとも言える半人半獣は悪しき存在である。そのため教会は悪徳の寓意(アレゴリー)として、半人半獣を活用し始めた。古代の文芸がキリスト教的な意味付けを与えられて再解釈されていくのだ。

そこでセイレーンの出番となる。禁欲を美徳とした男性優位なキリスト教会にとって、男性を誘惑して破滅に導く女性であるセイレーンは、まさに「淫蕩」のアレゴリーにふさわしい。オデュッセウスの物語もそれを後押しした。立派で有能な男性が、女性の誘惑に打ち勝つ。修道士のあるべき姿だ。これほど使いやすい敵キャラがいるだろうか。

こうして教会がセイレーンを使い始めると、しだいに姿が変化していく。鳥成分が減り魚成分が増えるのだ。

AnonymousUnknown author, Public domain, via Wikimedia Commons, Link

なぜ変化が生じたのか。通説の一つは単語の類似性である。古代ギリシア語で「羽」「鱗」を意味する言葉が "πτερυγιον" で同一であるため*7、間違えたというのだ。また、ラテン語も《羽 / pennis》と《鱗・鰭 / pinnis》でよく似ている*8

もう一つの通説はアイルランドのキリスト教に起因するものである。5世紀にアイルランドで布教を行った聖パトリキウスは、在来信仰を否定しなかった。キリスト教と在来信仰を融和する形で布教を行った。

Gavigan 01 at the English Wikipedia, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons, Link

その結果、キリスト教にケルト神話ドルイド教の要素が取り込まれていった。ケルト人は水域への信仰があり、泉や河川を神聖な場所として崇めていた。当然そこには神が存在する。この土着の水の女神がセイレーンと融合し、人魚となったされている*9

この2つの通説は対立するものではない。実際のところ、2つの要因が重なった結果ではないだろうか。つまりセイレーンの姿を描写する際に、水の女神のイメージがあったことで「羽」を「鱗」と認識してしまったというわけだ*10

実際、セイレーンを人魚として描いたのは、ラテン語で書かれた『怪物の書』であるらしい*11。本書は7世紀末から8世紀初頭の間に、アイルランド修道士によって書かれたと言われている。

Anonymous, fl. 2nd or 3rd quarter of the 13th century, Public domain, via Wikimedia Commons, Link

そんなアイルランドのキリスト教は異教を取り込む柔軟性がある一方で、自らに対しては厳しさを向けていた。アイルランド修道院は厳格極まりない修道戒律を持つことが有名で、徹底的に禁欲を求める。6世紀末、そんな修羅の国から聖コルンバヌスが12人の弟子を引き連れて大陸にやってきた。たるんだ修道制を叩き直すために。

この時、海を渡ったのは修道士だけではなかった。人魚のセイレーンがついてきたのだ。禁欲を求める修道士にとって最も退けるべきは肉欲であり、恐れるべきは淫婦である。ゆえに「信徒の敵」として、淫蕩の象徴である人魚=セイレーンをアイルランドから持ち込んだのだ。聖堂の壁や天井をメディアとし、彫刻家たちはセイレーンの姿を映し出した。より扇情的になるよう、股を開かせて。

Welleschik, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons, Link, Trimming

だがこのポーズは必ずしも誘惑のためだけのものではないかもしれない。上のサンミケーレマッジョーレ教会の門に彫られた人魚は、肝心の股を葉のようなもので隠している。これでは誘惑の効果が半減してしまう。

なぜ人魚は腰に葉をまとっているのか。それは魚の下半身を手に入れた経緯に複数の要因が考えられるのと同様、このポーズも扇情以外の要因があるためと考えられる。それには植物が絡んでいた。

死と再生

まだキリスト教が迫害されていた紀元2世紀、現トルコのエフェソスにハドリアヌス神殿が建造された。そこの門にあるレリーフがこれだ。

© José Luiz Bernardes Ribeiro, Link

一見するとスタバのセイレーンと同じに見えるが、彼女は人魚ではない。彼女ギリシャ神話に登場するメデューサであり、手に持つのはアカンサスである。メデューサの正面顔はその逸話から魔除けとして使われており、アカンサスは古代ギリシャ・ローマでよく使われた装飾である。このレリーフは、そんな魔除けと装飾が一体となったものだ。

アカンサスの装飾はローマが滅びて途絶えたかに思えたが、ロマネスク様式で復活を遂げる。この際、アカンサスの装飾はそれ単体ではなく、ハドリアヌス神殿のレリーフのようにキャラクターと一体化する形で教会に現れた。顔が葉で覆われた人頭像であるグリーンマンはその典型例である。

Richard Croft / Green Man, Link

グリーンマンそのものを扱った神話はなく、その意味や由来には様々な説がある。そんな説の一つにギリシャ神話の海神オケアノスに由来するというのものがある*12。世界をぐるりと囲むオケアノスは「循環」「再生」に結びつく存在だ。そこで「循環」や「再生」といったテーマを教会で表現するにあたり、オケアノスのデザインを踏襲しつつ、これもまた「循環」や「再生」のイメージを持つ森林・植物と合成したのではないかと考えられている。

扇情的な人魚も同様だ。「肉欲」や「淫蕩」につながる「性」はキリスト教的に悪であるが、一方で「性」は「再生」「豊穣」、そして「子孫繁栄」にも結びつく。これはキリスト教としても良いことだ。聖書にも「生めよ、ふえよ、地に満ちよ」と書いてある*13。性的な外見であり、豊穣神アタルガティスを祖先に持つ人魚に、その役目が課されるのは不思議ではない。あのポーズは単に扇情を目的としたのでなく、植物と一体化し「再生」や「豊穣」を意味する装飾に用いる目的もあったと考えられる。

Sailko, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons, Link

キリスト教的に悪のはずの人魚を、このようなプラスの意味で用いることに違和感を持つ人もいるかもしれない。だがメデューサの首が魔除けとして使われたように、毒を持って毒を制す化け物には化け物をぶつけるというのは普通のことであった。人魚も洗礼盤の装飾に用いられるなど、辟邪として使われた形跡がある。そして股を開くポーズも、豊穣の他に「破邪」の効果を期待してのものかもしれない。

聖なるポーズ

アイルランドを中心に、中世ヨーロッパの教会や城などの建造物にはシーラ・ナ・ギグと呼ばれる彫刻が施されていることがある。

Jean-Pol GRANDMONT, CC BY 3.0, via Wikimedia Commons, Link

これもまた人魚の股開きと同じに見えるが、彼女は怪物ではなく人間である。普通の女性が自ら股を広げ、女陰を見せつけているのだ。シーラ・ナ・ギグには異なるポーズも存在し、最も有名なものはより直接的だ。

Sheela Na Gig at Kilpeck church by Zorba the Geek, CC BY-SA 2.0, via Wikimedia Commons, Link

なぜ中世の人々はこんな破廉恥な彫刻を作ったのか。主に2つの説がある。1つはやはり子授祈願だ。日本でも「子宝の石」やら「子授け岩」なんてものが各地にあるように、触れることで子宝を授かると期待する。これの根拠としては、彫像の陰部が特にすり減っているものが多いためだ。長い間、多くの人々が撫でてきたせいである。

もう1つの説が人魚に通じるものであり、こちらは「魔除け」を期待したものだという。その根拠は2つ。まずはシーラ・ナ・ギグの設置場所である。教会ではアーチの中央最上部、すなわち要石にあることが多い。これは魔除けとして一般的な位置であり、上で紹介したハドリアヌス神殿のメデューサもそうである。もう1つの根拠は、古来より女性が陰部を見せつける行為には、魔を払う効果があるとされているからだ。

Charles Dominique Joseph Eisen, Public domain, via Wikimedia Commons, Link

例えば古代エジプトでは、女性が陰部を畑に対して晒す風習があった。これによって畑から悪霊を追い出し、収穫が増えることを期待してのことだ。また、エジプト人はブバスティス祭では、舟が街に近づくと、女性たちは服を頭の上までまくりあげて陰部を晒したという。これを見たヘロドトスはカルチャーショックを受け、その行為に「アナ・スロマイ」と名付けた。

ヘロドトスは知らなかったようだが、アナ・スロマイがあるのはエジプトに限った話ではない。例えばカタルーニャには「女陰を見せれば海が鎮まる」ということわざがあり、漁師の妻が夫を海に送り出す際に陰部を海に見せるという習慣がある。ロシアの伝承では、若い女性がスカートをまくりあげることで、クマを追い払えるという。

もちろん日本も例外ではない。女陰を露出することで問題が解決する。古事記にもそう書かれている。

Shunsai Toshimasa, Public domain, via Wikimedia Commons, Link

女陰を見せる行為は天岩戸神話からも分かる通り、滑稽でバカバカしい。これは笑いを呼び起こし陰鬱な雰囲気を吹き飛ばす。だから世界中で破邪の効果を持つようになったのだろう。そしてアイルランドおよび周辺の人々は、それを期待してシーラ・ナ・ギグを教会や城などに彫り込んだわけだ。

前述した通り、セイレーンはアイルランドで魚の下半身を手に入れたと考えられる。シーラ・ナ・ギグがアイルランドに最も多いことを考えると*14セイレーンの股を開くポーズも破邪を期待したものでもある可能性は十分にある。

まとめと終わりに

もう一度、初期のスタバのセイレーンを見てみよう。

Chris Brown from Melbourne, Australia, CC BY 2.0, via Wikimedia Commons, Link

この表現は様々な要素と意味が複雑にからみあって生まれたものだ。本来、セイレーンと人魚は全く別物であった。セイレーンは半人半鳥の怪物で、人魚は人々に知恵や豊穣をもたらす神である。アイルランドでキリスト教が布教される中で、セイレーンと土着の女神が融合し、淫蕩のアレゴリーたる人魚が誕生する。

さらにポーズに関しても複数の要素・狙いが融合したと考えられる。キリスト教の文脈からは、男性を誘惑する「淫婦のポーズ」として。土着の文化からは「再生」「豊穣」、そして「破邪」の効果を期待して。装飾の観点ではシンメトリーというのも重要だ。

そんな股を開いたセイレーンは、邪悪な存在なのか、それとも聖なる存在なのか。おそらくそれは両方であり、見る人によって変わるのだろう。あたかもコーヒーに健康効果がある一方で、飲み過ぎによる体調不良や中毒性といったデメリットもあるように。スタバがセイレーンをロゴに採用したのは半分偶然だが、こうしてみると良い選択ではないかと思う。

参考書籍

本記事を書くのに参考にした本。

『教会の怪物たち ロマネスクの図像学』

今回もっとも参考にした本。人魚のセイレーンはロマネスク様式の中で育まれたので、どのような由来や意味があるのかを知るのに本書が役立った。後述する他の人魚本に載っていない人魚の話も多い。

以前にイタリアへ行った時はジョジョと古代ローマの観点で観光していたので*15、あまり教会に注目していなかった。本書を読んだ今だと、ロマネスク様式で怪物がどのように表現されているのか、実物を見てみたい。

『人魚の文化史』

本記事を書く直接のきっかけになった本。人魚が貝殻のブラをするようになったのが20世紀になってからと知って*16、もっと人魚のことが知りたくなり本書を手にとった。ちょうど「黒人のアリエル」がどうこうの騒ぎもあったことだし。

本書はタイトルの通り、人魚文化について古代から現代を通じて語った本である。出版されたのは2021年2月と比較的新しく、人魚について知りたいと思ったらまず本書を読めばいいのではないか。読むと人魚はその時代に力を持っている人によって、都合よく使われてきたことがよく分かる。

『人魚(にんぎょ)』

こちらも人魚の文化史について書かれた本。『人魚の文化史』だけで記事を書くのは嫌だったので、セカンド・オピニオン的な役割を求めて読んだ。著者が日本人なので、こちらは日本の人魚文化・歴史についてもページが割かれているのが特徴。

日本の人魚といえば、しばらく前に人魚をネタにした増田がバズっていた。

増田の疑問を直接解決する内容は本書に書かれてなかったと思うが、八百比丘尼伝説についてはそれなり詳しく書いてある。また、紀元前に成立したという中国の『山海経』によれば、人魚の肉を食べると疥(ひぜん)や痴疾(ちしょう)にならないとのこと。昔から人魚の肉は健康に良いらしい。

『贖罪のヨーロッパ 中世修道院の祈りと書物』

『人魚の文化史』に「アイルランド独自のキリスト教が北ヨーロッパおよび地中海世界に広がった」とあり、「なんでアイルランドから」と疑問に思ってたどり着いたのが本書だった。Kindle PaperwhiteはKindle本の横断検索ができるから便利。

必要なところしか読んでいないので、本書全体についての言及は避ける。なお、修道院について時系列に学びたいのであれば、本書を読む前に同じ著者の『禁欲のヨーロッパ 修道院の起源』を読んだほうがいいだろう。

『ヴァギナ 女性器の文化史』

シーラ・ナ・ギグやアナ・スロマイは本書から。その名の通りの内容で、本書に言及するとアダルトコンテンツ判定されないかとドキドキする。ここでは様々な文化と密接に関わりがあるのに、現代では隠されてしまっていると感じたとだけ述べておこう。

形態について無駄に遡るタイプの記事

*1:あなたは誰?スターバックスの永遠のシンボル 「サイレン」のストーリー - Starbucks Stories Japan

*2:グッピーの一種であるジャパンブルーレッドダブルソードなどはかなり二股だが、当然それは上下に分かれている。

*3:ブルックマンに限らず、レオン・ベリーやカール・フォン・ブラースなど19世紀の画家はセイレーンをただの女性として描きがちだが。

*4:ちなみに人鳥と書くと、ペンギンを意味する。

*5:海との結びつきや知恵を授ける神ということから、シュメール神話のエンキとの関係がよく語られる。かつての通説では、オアンネスの名がエンキの別名であるエアに由来するとされていたほどだ。

*6:あるいは魚の気ぐるみを着たりと。

*7:このように『教会の怪物たち』には書かれているのだが、 "πτερυγιον" が「鱗」を意味する言葉である裏付けを見つけられなかった。一方、 "πτερυγιον" が「鰭」を意味すると書いているサイトは複数見つけた。役割や形状を考えると「羽」と「鰭」が同一になるのは理解できる。なので『教会の怪物たち』が「鰭」と「鱗」を間違えたかとも思ったのだが、『怪物の書』では "squamosas" とはっきり「鱗に覆われた」と書いてある。正直、何が正しいのか分からない。

*8:こちらもまた同様で、"pinnis" は「鰭」とすることが多く、「鱗」とするのはセイレーンに言及している時くらい。

*9:アイルランド民話には神ではなく怪物として「メロウ」と呼ばれる人魚が存在する。これが合わさったのかと思いきや、この名称はセイレーンに由来するという説がある。土着の人魚とセイレーンが融合したのか、セイレーンが変質してメロウになったのか、どちらなのか分からない。

*10:これ以外にもキリスト教は鳥よりも魚と関係が深いことも、理由の一つとして考えられる。

*11:『教会の怪物たち』では『怪物の書』で初めて「セイレーンが魚の下半身を持った乙女」として記述されているとあったが、『人魚の文化史』によれば紀元3世紀から5世紀に書かれた『フィシオログス』が先だとしている。ただし『フィシオログス』は文章による記述のみで、挿絵をつけたのは『怪物の書』が最初。

*12:オケアノスをデザインした彫刻で有名なものに「真実の口」がある。比較してみると確かによく似ている。

*13:創世記の第1章、第9章で繰り返し神が述べている。

*14:シーラ・ナ・ギグはアイルランドに最も多いが、最初に彫られたのは11世紀のフランスとスペインであるという説もある。したがってシーラ・ナ・ギグがセイレーンを変化させたのではなく、アイルランドにあった伝統や風習がセイレーンに股を開かせ、シーラ・ナ・ギグの量産に繋がったと考えるのが妥当である。

*15:ジョジョのイタリア聖地巡礼 黄金の風邪 - 本しゃぶり

*16:人魚が貝殻をまとうのは20世紀から|honeshabri|note