本しゃぶり

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元祖バカッター、エルサレムで尻を出す

新しいバカッターが話題になると、古いバカッターが掘り起こされる。
そこで俺も過去のバカッターを探してみようと思い立った。

たどり着いた先は、紀元1世紀のエルサレム。

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User:Mattes [Public domain],Link

バカッターは昔から

ちょっと前にまたバカッターの記事を見た。最近の投稿先はInstagramでありTwitterは拡散経路に過ぎないのだが、わかりやすいからか全て「バカッター」と呼ばれている。「ソニーのiPhone」みたいなものだろう。

一口に「バカッター」と言っても、いくつかのパターンに分けられる。中でも繰り返し起き、社会的な影響が強いのは、従業員が業務中に行う悪ふざけだ。いわゆる「バイトテロ」である。俺が見た記事もそれだった。今では バカッター≒バイトテロ と言えるだろう。

相次ぐバイトテロ問題「バカッター」による炎上案件は昔から? - ライブドアニュース

ところでネットの反応を見ていると、「バカッターの行動そのものは昔からあり、それがSNSの発達によって可視化されただけ」というのがある。自分の若い頃にも、業務中に悪ふざけを行っていた人はいた、と。

それはきっと真実だ。しかし、これはここ数十年の日本に限った話ではない。バカな行為をして騒ぎを起こす奴は、はるか昔から存在した。今回紹介する話は約2000年前にまで遡る。それは、爽やかな春の日のことだった。

ローマ兵、尻を出す

一人のローマ兵が集まっているユダヤ人達を見下ろしていた。彼が立っている場所はエルサレム神殿の柱廊の上である。彼は警備の任務でそこにいた。

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FOTLbill [Public domain],Link

この日は種入れぬパンの祭の日である。エジプトで奴隷であったユダヤ人達が、モーセに導かれてパレスチナの地へ脱出し、自由と独立を勝ち取ったことを祝う日だ。そのため、各地からユダヤ人がここエルサレムに集まってくる。ユダヤ人が集まれば騒ぎになる危険性がある。ローマ兵たちはそれを警戒していた。


暇だ……

警備の任務と言えば聞こえはいいが、やっていることは突っ立って見下ろしているだけ。そのまま時間が過ぎるのを待ち続けるしかない。

退屈は人に創造性を与える。ローマ兵はふと思った。

(ここで尻を出したら面白いのでは)

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Roland zh CC BY-SA 3.0,Link

そこで彼は服を捲り上げると、群衆の方へ尻を突き出し、卑猥な声を発した。

ユダヤ人は激怒した。

怒れる群衆

バカッター行為を見つけると、人々は怒りに燃えるものである。だがこの時の群衆の怒りは、現代のそれと比較にならない。ローマ兵の処罰を要求するために神殿へと詰めかけ、血気盛んな若者たちは石を兵士たちに向かって投げ始めた。

当時のユダヤ人の心情を理解するためには、時代背景を知っておく必要がある。この事件が起きたのは西暦48年から52年の間、4代目ローマ皇帝クラウディウスの時代である。

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Louvre Museum [Public domain],Link

ユダヤはローマの属州だった。この頃はアグリッパ2世がユダヤ王として自治をローマ皇帝から認められていたが、ローマからも長官が派遣されていた。そしてユダヤにはローマに対する貢納金が義務付けられていたのだから、この土地は神のものではなく、ローマのものと言っていい。これは歴代長官の振る舞いからも見て取れる。

例えば最も有名な長官であるポンテオ・ピラト*1は、「皇帝ティベリウスに捧げられた金ピカなローマの盾のセット」をエルサレム神殿に設置した。これはローマの神々を代表する奉納品である。それをユダヤの神殿に置いたのだから、神を侮辱していることに他ならない。さらにピラトは、水道橋を再建するための財源として、神殿の財産を持ち出した。当然ユダヤ人からは抗議があったが、ピラトは軍を出して抗議者たちを虐殺した。

そのためユダヤ人の間には、反ローマの感情が渦巻いていた。そんな状況でバカッターは行われたのだ。今日は独立を祝う日だというのに、聖なる神殿の上で尻を出されるという屈辱。ユダヤ人たちからしてみれば、お前らは今も奴隷同然だと言われたに等しい。

怒りに燃えたユダヤ人たちは、ローマからの総督ウェンティディウス・クマヌスに詰め寄った。あのバカ兵士を処罰せよ、と。

メシアの時代

クマヌスは恐怖した。責任者である自分に対し、怒れる群衆が襲いかかって来るように思えたからだ。クマヌスを臆病者と嘲ることは簡単である。しかしクマヌスがこう思うのも無理はない。ユダヤではここ数十年というもの、多くのメシアを名乗る者が現れては、民衆を扇動していたからである。

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Ib Rasmussen [Public domain],Link

「メシア」というとナザレのイエスが有名だが、活動していたのは彼だけではない。

イエスが生まれた頃である紀元前4年にはガリラヤのユダが「唯一の神以外には絶対に仕えない」と言って、ローマの設備とローマに忠誠を誓っているユダヤ人貴族を襲撃していた。

イエスが死んだ後の紀元44年にはテウダという預言者がメシアを名乗っていた。彼は数百人の信者と共にヨルダン川へ行くと、モーセのようにこの川を真っ二つにすると宣言した。これが「約束の地」をローマから奪回する第一歩であると主張して。

他にも多くのメシアが存在した。当然メシアたちはことごとく処刑されたが、ユダヤ人たちの革命熱は盛り上がる一方だった 。

このような時代に、クマヌスは総督としてユダヤにいた。今この場で新たなメシアを名乗る者が現れ、打倒ローマの第一歩として自分の首を狙ってもおかしくはない

クマヌスは兵団に命じた。

ユダヤ人の反乱を鎮圧せよ

虐殺

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Nicolas Poussin [Public domain],Link

祭の場は一転して狂乱に包まれた。ローマ兵団は平和を維持するための抑止力である。武力の行使を最小限に抑えるように努められているが、一度剣を抜いたのならば徹底的に叩きのめす。そこに慈悲は無い。群衆はめった切りにされた。

虐殺から逃れるために群衆は神殿の出口へと殺到する。出口の近辺では激しい押し合いとなり、同胞に踏み潰される人が続出した。

この事件を記録したフラウィウス・ヨセフスによれば、この騒動で3万人以上が亡くなったという*2。一人のバカな行いによって、これだけの犠牲が出たのだ。

終わりに

はるか昔からバカッターは存在した。SNSが無くとも業務中に愚かな行為は行われ、それが騒動を引き起こした。歴史は繰り返すのである。

なぜバカッターが生まれるのかと考えると、すでに指摘されているように、その理由の1つは「暇だから」だろう。モチベーション研究の第一人者であるカナダ・カルガリー大学ビジネススクール教授のピアーズ・スティールは著書でこう述べている。

多くの学生が「最低の仕事」だと考えるのは、肉体的に過酷な仕事ではない。最低なのは、うんざりするくらい退屈な仕事だ。
ピアーズ・スティール. 『ヒトはなぜ先延ばしをしてしまうのか』

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SNSに投稿させない仕組みを作るというのも大事だが、暇を有効活用できるようにするべきなのだろう。ギリシャ語で「余暇」を意味する単語 "schore" は、その後「学校」意味する "school" になった。結局は使いようなのだ。

参考書籍

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今回紹介した話は俺の作り話ではない。この『ユダヤ戦記』に記述されている。書いたのはフラウィウス・ヨセフス。もとユダヤ側の指揮官であり、ローマ軍に投降した後もエルサレムの陥落まで従軍したユダヤ人である。


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今回の話を知ったのはこの本のおかげ。歴史上の実在したイエス本来の人物像を探っていく本。著者の経歴が面白い。元は熱心でないムスリムと無神論者の家で育ち、15歳でキリスト教の教えに触れて感激する。そして熱心なキリスト教徒として聖書の勉強を深めていくと、聖書の間違いや矛盾に気が付き、やがて許せなくなる。結果、彼はキリスト教信仰を捨て、学者として宗教学の研究を始めたのだ。

Twitterにまつわる記事

*1:新約聖書でイエスの処刑を命じた人。

*2:『古代誌』では2万人が亡くなったと書いてある。ヨセフスは数を大げさに書くそうなので、たくさん死んだ程度に思っておいた方が良い。