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チェンソーマン シュメル起源説

『チェンソーマン』の物語はどこから生まれたのか。
それはユーフラテス川とティグリス川の間である。

全ての原点はシュメルにあった。

彼らの視点

今期もそれなりにアニメを見ているわけだが、その中に『チェンソーマン』がある。

原作であるマンガの時点で人気作であり、はてブでも連載中の第二部が毎回ホッテントリに入っている。しかし俺はこれまで縁がなく、作品に一切触れてこなかった。だからアニメが俺にとっての初チェンソーマンとなる。

それで新鮮な気分で金のかかったアニメを楽しんでいるのだが、たまにこんな感じの顔で見ている自分に気がつく。

Osama Shukir Muhammed Amin FRCP(Glasg), CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons, Link, Cropped

古代メソポタミアの南部で都市文明を築き上げたシュメル人である。

話の展開にどうもシュメルみを感じる。しかしTwitterの感想を眺めていても、それらしきツイートは流れてこない。マンガ連載時はどうだったのかと検索しようかと思ったが、それでネタバレを踏むのは困る。そこで原作に手を出して一気に読んだ。

全部読んで思う。やはりこれシュメルだろ。

ネタバレを恐れる必要が無くなったので軽く検索してみたが、『チェンソーマン』とシュメルの関係に言及しているのはこのツイートくらいだ。

俺と似た印象を持った人がいたことは嬉しいが、主流とは言いがたい。だから俺が書くことにした。

人ならざる者から人へ

シュメル人が第1話を見た時、この物語の主人公であるデンジのことを人間と認めないだろう。それはデンジが悪魔と一体化したからではない。文化的な生活を送っていないからだ。

シュメル社会では奴隷をその出自によって4つに分けられる。デンジはその一つ、「債務奴隷」であった*1。そのためデンジは教育を受けておらず、まともな生活を送れていない。彼はパンの食べ方を知らず、衣服(スーツ)の着方を知らなかった。彼は街ではなく山に住み獣とともに生きる。それがデンジの暮らしであった。

『チェンソーマン』第1話

このような蛮人をシュメル人は見下す。

彼らにとっての人間とは、自分たちシュメル人、それに文化を共有するアッカド人のことを指していた。一方で周辺に住む遊牧民などは文化を持たない、動物同然の存在であると蔑んでいたのだ。例えば東に住むエラム人のことは「いなごのように群れるが、生きる人に加えられない」などとシュメル人は記している*2。人間は都市に住む存在。辺境は人に非ず。これがシュメル人の価値観だ*3

ゆえにシュメル人はデンジを下に見るだろう。しかし一方でデンジが物語の主人公、すなわち英雄となることを彼らは受け入れる。それはデンジがチェンソーで木を切り倒していたからだ。

『チェンソーマン』第1話

シュメル人の住む南メソポタミアの降水量は年間150mm程度しかない。当然、立派な樹木などが生えているわけもなく*4、彼らにとって木材は貴重な資源であった。だからこそ遥か彼方にある森まで行き、森の番人フンババを倒して杉の木を手に入れたギルガメシュは英雄とされるのである。そんな樹木を切り倒し、加工するための道具がチェンソーだ。それをデンジが持つということは、彼が英雄であることを示唆していた。

文化を知らない「人外」であり、同時に英雄の卵でもあるデンジ。どうすれば彼を「人」にして、英雄の道を歩ませられるだろうか。この問題にシュメル人ならばこう答える。

「宮仕えの遊び女を向かわせろ」

『ギルガメシュ叙事詩』において、野人エンキドゥの心を神殿娼婦シャムハトは受け止めた。彼は女の上に横たわった。彼がすっかり心を許したところで彼女は語りかける。私と共に都市に来なさい、と。

『チェンソーマン』第1話

『チェンソーマン』もアニメが始まってから「いつものアレ」がネットで繰り広げられていた。

バカバカしい主張であり、これほどの人気作となると多くの人が擁護する。しかし教養が無いと「彼は純粋だよ」程度しか言えない。だが「シュメル起源説」を学べば違う。自信を持って「ストーリー上必須である」と言えるようになるのだ。

以降もシュメル人の観点から『チェンソーマン』を読み解いていくが、ここからはアニメ未放映分となる。ネタバレを気にする人は原作を読んでから記事の続きを読もう。

チェンソーの神

都市に住まうシュメル人は豊かな食生活を送ることができた。よく整備された農地からはたくさんの麦が収穫でき*5パンビールが作られた。デーツハチミツといった甘味があり、乳製品もある。アイソーポスの言う通り、「都会のネズミ」はおいしい食事を楽しめるのだ。

『チェンソーマン』第2話

しかし食事の対価として、都会には「人」「猫」といった危険がある。それはシュメルの都市においても同じだった。

メソポタミアは平坦な土地であり、自然の要害といったものは無い。そんなところに豊かな都市があったらどうなるか。当然、周囲から狙われることになる。襲いかかってくるのは別の都市に住む「文明人」の場合もあれば、野蛮な異民族の場合もある。どちらにせよ、都市は侵略の対象となっていた。

命を脅かすのは「人」だけでなく「猫」もそうだ。都市の中こそ安全であるが、壁の外に出たならばそこは弱肉強食の世界。メソポタミアにはライオンなどの猛獣が存在していた。シュメルの王の図柄によくライオンとの闘争図があるのは、それだけライオンが人々の脅威となっていたことを示している*6

DR. L. LEGRAIN, CC0, via Wikimedia Commons, Link

しかし最も驚異となるのは「自然現象」である。「疫病」「干魃」そして聖書にも伝わる「大洪水」。メソポタミアの過酷な自然環境は、容赦なく人々の生命を脅かす。これは人の力でどうにかなるものではない。そこでシュメル人は自然界の現象や事物を擬人化した存在として「神」を作り、祈りを捧げたのである。

大気の神エンリルや、水の神エンキといった偉大な神々は都市に祀られた。ここがシュメルの宗教のユニークな点で、それぞれ大神は特定の都市と深い絆があり、都市の守護神としての役割を持っていたのだ。都市の主人は王ではなく、神であった。

偉大な神の前では王も臣下にすぎない。下のレリーフは、グデア王 (左端) がニンギシュジダ神 (左から2番目) に導かれ、エンキ神 (玉座) に礼拝しているところを表している。エンキ神クラスとなると、王でも礼拝するには神の紹介が必要なのだ。

Osama Shukir Muhammed Amin FRCP(Glasg), CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons, Link

このようなグデア王に対するニンギシュジダ神のような立場の神を「個人神」と呼ぶ。エンキ神のような都市神に比べると身近存在で、守護霊守護天使の仲間だと思えばよい。シュメル人は個人神が各自の体内に入っていると考えていた。

しかし、さすがは王である。上位の神を個人神としているのだから。シュメルの神には特徴が二つある。一つは司る事象を表した特徴を持つこと。水の神エンキの場合、肩や持っている壺から水が湧き出している。二つ目は「角冠」である。神は角を生やしており、上位の存在になるほど角の数が増える。偉大な神は何対もの角があるが、一般的な個人神や神格化された王は1対しかないのが普通である。なので角の多いニンギシュジダ神を個人神としているグデア王は偉大だと言えるのだ。

そんな個人神だが、もちろんシュメルを起源とする『チェンソーマン』にも伝わっている。ポチタだ。

『チェンソーマン』第1話

ポチタには「角」があり、デンジの「体内」に入っている。それでデンジがピンチの時は助けとなるのだから、これは個人神で間違いない。

だが角があるのはポチタだけではない。チェンソーマンもまた「角」を持ち、司る事象を表した「特徴」を持っている。デンジがチェンソーマンとなるのは神格化だと言えよう。

『チェンソーマン』第1話

もちろん、初期のデンジ = チェンソーマンは姿形が神に通じるというだけで、その存在は神とは呼べない。しかし何度も戦い、多くの民衆を守っていく中で、チェンソーマンの人気は高まっていく。とうとう民衆はチェンソーマンの名を叫び自ら血を捧げ彼に祈るようになった。民衆に崇められたことで神格化が成し遂げられたのだ。

あのギルガメシュも実在した王と言われているが、神格化されて冥府の神となった*7。デンジは野人から始まり、民を守る神格化された王になったことを考えると、ギルガメシュとエンキドゥの両方の要素を受け継いでいると言える*8

このようにデンジはシュメル神話の主人公らしく、都市の側に身を置き、民衆を守るために体を張る。ではその「敵」どうなのか。

「神の力」と「人の力」

第一部、公安編のラスボスはマキマである*9。彼女が明確にデンジと対立すると分かるのは第6巻。彼女は「私も田舎のネズミが好き」と語る。シュメル的には「都市が正義」であり「辺境は悪」である。こいつは悪者に決まっている。そして物語が進むにつれて正体を表し、最終決戦で彼女は言い放つ。

『チェンソーマン』第11巻

文化の否定。ここまでシュメル神話における敵としてふさわしいセリフがあるかと、初めて読んだ時は感心してしまった。服を着ず、言葉を知らず、常識が無い。そんな存在は人間の敵*10

そんなマキマは当初、デンジに対してシャムハトの役割を果たしていた。彼女は彼の心を開き、語りかけた。彼女は自分の着物を彼に着せ、母親のように連れて行った。パンの食べ方を教え、身なりを整えてやった。こうして彼は野人から人間になったのだ。

これは知っての通り「罠」だった。人間になったことでエンキドゥが失ったものもある。それは「野生の力」だ。人と交わった後、彼の体はこわばった。彼は弱くなり、以前のような速さは失われてしまった*11。そしてエンキドゥはシャムハトに従うようになった。チェンソーマンも人として生きたことで「恐怖の力」を失い、弱体化してしまう。

しかしエンキドゥは、力を失った代わりに得たものもあった。それは「知恵」であり、彼は広く考えられるようになった。その知恵を使って(デンジ)は、脅威(マキマ)を制し、共存することに成功する。これこそシュメル人が成し遂げたことだ。

English: DoD photo by Navy Petty Officer 2nd Class Dominique A. Pineiro, Public domain, via Wikimedia Commons, Link

シュメルの地はユーフラテス川ティグリス川によって肥沃な土地となってはいたが、そのままでは耕作地に適さない。雪解け水で氾濫した川は、低地に沼地を作る。農業に水は必要不可欠であるが、多すぎても害をなす。そのままの地に種を蒔いても作物は実らない。

そこでシュメル人は知恵を絞った。排水用の運河を引き、その水を利用して灌漑施設を整備する。牛には鋤を引かせるように、様々な農機具を活用した。そうした工夫をしたことで天然資源である肥沃な土壌が有効活用され、シュメルは「エデンの園」となったのだ*12

繁栄には「神の力」「人の力」の両方が必要である。これが『チェンソーマン』を通じて伝わるシュメルの教えだ。

終わりに

以上のように、シュメルの知識を持ち出すことで『チェンソーマン』をより深く理解することができる。この作品は映画を筆頭に、古今東西の様々な芸術やコンテンツを取り入れているが、その根幹にはシュメルの文化が流れているのだ。

もちろん、このシュメル起源説に反対する人もいるだろう。こんな方法で起源を主張できるなら、他の文化、例えばキリスト教でも同じくらいもっともらしいことが言えるのではないか、と。

俺はその意見を否定しない。それはその通りだ。しかしそれは実際に論として提示できて初めて意味を成す。だから俺はこう返す。

解釈バトルしようぜ。

参考書籍

本記事を書くのに参考にした本。全てもともと持っていた本で、この記事のために新たに購入したものはない。メソポタミア関連本、以外に持っていたな。

『シュメル 人類最古の文明』

今回一番参考にした本。その名の通りシュメル文明について解説されている。本書を読むと何でもかんでも起源はシュメルにあるように思えてしまう。それこそ一週間が7日であるのも、1時間が60分であるのもシュメル起源。シュメルが起源であるものは、我々の生活に深く根付いている。

物語においてもシュメル起源のものがある。それこそ「ノアの方舟」は有名だ。幼い高貴な主人公が川に流される貴種流離譚も、元をたどればサルゴン王にたどり着く。彼はシュメル人ではなくアッカド人だが、アッカドとシュメルを統一したので広義的にはシュメル起源でいいだろう。

そんなわけなのでシュメル起源の知識は持っておくと使える。何より、シュメルならば元ネタマウントを取られないのが良い。

『古代メソポタミア全史 シュメル、バビロニアからサーサーン朝ペルシアまで』

上記『シュメル』と同じ著者が書いた本。こちらシュメルだけでなくその後の時代についても書かれ、アラブ人に支配される紀元後651年までが対象。最初に対象期間を見た時に「古代」だから仕方ないとはいえ、つい「651年までで全史か」と思ったが、紀元前3500年スタートなので実はめちゃくちゃ長い。メインが紀元前539年までなのだから、日本の歴史を語るのと同じように考えてはいけない。

『シュメル神話の世界 粘土板に刻まれた最古のロマン』

上記2冊と同じ著者ともう一人の共著による、シュメル神話だけを対象とした本。シュメルの神々の話は『シュメル』でも少しは紹介されているが、より深くシュメル神話について知りたければ本書を読むべき。

『興亡の世界史 人類文明の黎明の夜明け』

本書はメソポタミアだけでなく、時間的にも空間的にも広い範囲を対象とする。具体的に言えば、人類が石器を握るところからローマ帝国まで。そもそも文明とは何か、文化とはどう違うのかを定義するのは難しい。そこで本書は古代文明と言われるものを順次紹介し、そこから文明の輪郭を見つけていくというスタイルをとっている。

『生活の世界歴史〈1〉古代オリエントの生活』

古代メソポタミア・エジプトがどのような世界であったかを書いた本。出来事よりは文化をメインに説明していく。ヘロドトスが『歴史』でペルシア戦争を書くと同時に各民族の風俗も積極的に紹介していたことを考えると、これもまた正統派な「歴史」の本と言えるだろう。

『メソポタミアの神々と空想動物』

神話を中心として、古代メソポタミアの文化を学べる本。図が多く、一つの名詞につき説明を書いていくスタイルなので、入門書として良い。シュメルとアッカドの神話は重なるところが多いので、軽く知りたいだけなら『シュメル神話の世界』とどっちか片方を読めば十分だと思うが。

『ギルガメシュ叙事詩』

本書はギルガメシュ叙事詩の本文だけでなく、豊富な解説と注釈によって構成されている。ギルガメシュ叙事詩は最古の写本が紀元前二千年期初頭に作られたものであるため、本文だけだと何が書いてあるか分からない。例えば最初の文は以下のようになっている。

すべてのものを国の〔果てまで〕見たという人
〔すべてを〕味わい〔すべてを〕知っ〔たという人〕
〔 〕とともに〔
知恵を〔 〕、すべてを〔 〕した人

何が言いたいか分からない。だからギルガメシュ叙事詩を知りたい人は、本書のような解説本が必須というわけだ。

神話でアニメを読み解くタイプの記事

*1:他には犯罪を犯した罰としてなる「犯罪奴隷」、外国から商人によって買われてきた「購入奴隷」、戦争で敗北したことによってなる「捕虜奴隷」がある。

*2:とはいえエラム人もシュメルに近いところに住んでいただけあって、紀元前3千年頃にはシュメル人に少し送れて文字を使っていたという。エラム人はシュメル人が言うほど文化が無い民族ではない。

*3:ネットを見ていると4千年前の価値観を持つ人が多くいるが、日本はビールをよく飲み、ハンコを重視する親シュメル国なので仕方ない。

*4:ナツメヤシはそれでも育つのだから偉い。

*5:前24世紀中頃の大麦の収量倍率は76.1倍、土壌の塩化が進んだ200年後でも30倍はあったという。古代シュメールにおける農業生産-ラガシュ都市を中心として-

*6:より正確に言えば、そんな脅威であるライオンを倒すことで、王の偉大さを讃えている。

*7:ギルガメシュは体の3分の2が神、3分の1が人間という半神半人であることで有名だ。しかしこの設定はシュメル語版には記載されていない。神格化されて神となったのだが、「神ならばなぜ死を恐れるのか」ということで、アッカド語版で人間要素が追加されたと考えられている。

*8:これによってデンジのエンキドゥ要素が薄まるせいか、エンキドゥ要素はパワーにも受け継がれた。主に野人成分が。

*9:まさか原作読まずにここまで読み進めた人はいないよな。

*10:俺の中のシュメル人がそう言っているのであって、俺の意見ではないよ。

*11:エンキドゥは弱体化したにもかかわらず、半神半人で200kg以上の武器を扱えるギルガメシュと互角の戦いを繰り広げた。こいつの初期ステータス、さすがにチートすぎるだろ。

*12:なお、「エデン」の語源であるシュメル語の「エディン」は、「草原」「平原」「荒野」などを指す。なので不毛の地でも「エデン」と呼ぶことはできる。