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なぜ淫獄団地の怪人は人妻なのか

人妻が動くとサーバーが落ち、トレンドが入れ替わる程に話題をさらう。
いったい何が団地の人妻を特別な存在にしたのか。

全ては公団Xの計画から始まった。

人妻の勢いが止まらない

現在、最も勢いのあるWeb漫画と言えば『淫獄団地』だろう。

seiga.nicovideo.jp

この漫画は更新を知るのに公式をフォローする必要はない。更新されると関連ワードがTwitterのトレンドに入るためだ。Twitterのブランドに傷がつくことを恐れたのか、作品名がトレンド入りすることを禁じられたようだが問題ない。見ればひと目で分かる関連ワードがトレンド入りするからである。

トレンドからも分かるように、本作の主役は人妻である。他の作品なら「人間」や「普通のホモ・サピエンス」といったワードが使われるセリフは、全て「人妻」となっている。異常な行動を取るのは全員人妻なのだから当然とも言えるが、ならばなぜ人妻という属性が特別なのだろうか。

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『淫獄団地』第1話

その答えを知るためには、今の団地だけを見ていても分からない。

『淫獄団地』は現代を舞台とした作品であるが、その団地のイメージは違う。高齢者と外国人住民が多くを占める現代の団地ではなく、若い子育て世代が多い様子は1960年代の団地である*1

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『淫獄団地』第1話

従って淫獄団地を理解するためには、団地が誕生した当時の状況と政策を知る必要がある。

淫獄への道は善意で舗装されている

高度経済成長が始まりである1955年、日本住宅公団が発足する。その任務は住宅難の激しい地域に、質が高い住宅を供給することである。そうすることで住宅市場を整備するとともに、中間層の育成し、都市の社会的・政治的安定化を目指したのである。ではどうしたら効率的に住宅を供給できるだろうか。

その答えが「住宅の標準化」であり、団地である。

住宅を短期間で大量に建設するのであれば、まとまった土地に同じ形の住宅を建てるのが合理的である。公団の考える「質の高い住宅」とは鉄筋コンクリート造のことであり、旧来の木造建築と比較してコストが高い。速さと低コストを求めるのであれば、標準化しスケールメリットを活かすのが最善の選択だったのである。そして定められた標準設計は、住宅供給の知見が無い自治体に対する指針となった。

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Syced, CC0, via Wikimedia Commons, Link

標準化が行われたのは建築物だけではない。入居者も標準化されたのである。

住宅は無限に供給できるわけではないため、優先順位をつける必要がある。当時、最も重要視されたのは家族形成期の労働者であった。復興と経済成長の担い手となる彼らに質の高い住宅を供給することが、中間層の育成に繋がるためである。

また、最適な間取りは人生のステージによって異なる。間取りを標準化する上でも入居者が均質化されていることは都合が良かった。採用された中で最も有名な「51C型」*2と呼ばれる2DKは正に子育て世代のための間取りである*3

こうして入れ物と中身が定まった。良質な住宅を子育て世代に手頃な費用で提供する。だが「良質な住宅」と「手頃な費用」を両立させるのは難しい。しわ寄せは土地へ向かった。

郊外の住居と都市の職場

公団は政府が住宅供給のために設置した機関であるが、税金が補助金として与えられるわけではない。政府からの資金はあくまでも「貸付」であって、公団は入居者からの家賃で返済する。そのため団地の家賃は公営住宅よりも割高にせざるを得ないが、それには限度がある。入居者の中心は若い家族であり、支払い能力は高くないためだ。団地を建設するコストはなるべく抑える必要がある。

広い土地を安く確保する。こうして団地は郊外に建てられた。

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建設中の常盤平団地(1960年)/ Unknown authorUnknown author, Public domain, via Wikimedia Commons, Link

例えば常盤平団地の建設地は、畑や雑木林が大半を占める場所であった。誤解を恐れずに言えば、団地はそういった「何もないところ」に突如として整然とした住居が形成され、そこに核家族が入居する形態となったのである。

「何もない」というのは娯楽や商業施設に限った話ではない。働く場所もここには無かった。住民、特に夫の職場は遠く離れた都会にあった。住居と職場が遠く離れることで、必然的に通勤時間は長くなる。

1965年に神奈川県の6つの団地を対象に行われた「団地居住者生活実態調査」によると、平日における夫の平均通勤・移動時間は2時間17分である。成蹊大学の渡邉大輔准教授はこのデータを系列分析し、団地の夫を5グループに分類した。その結果によれば、団地の夫の約半数を占めるのは「バランス型長時間通勤」であり、平均通勤・移動時間は2時間42分にも及ぶ。このグループにはホワイトカラーが多く、横浜市や川崎市そして都内の職場へ1時間以上かけて通勤するのである。

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長時間通勤を続けた末路 / 『淫獄団地』第5話 (前編)

対して、平日における妻の平均通勤・移動時間はわずか17分。多くの妻は団地の外で働かず*4、家事・育児を中心とした生活を送っていた。

これは結果は必然だった。夫は日中遠く離れた職場で働いている。新しく郊外にできた団地住まいなので、両親とは物理的に距離がある。家事・育児をする人は自分しかいない*5。しかも近所に働く場所が無いのだから、団地の中にこもる以外の選択肢があるだろうか。

こうして日中の団地は、人妻がウジャウジャいる空間となった。

謎に包まれた人妻

外部の人間にとって団地の人妻は謎の存在である。そもそも団地そのものが謎に包まれていると言っていいだろう。街の中心から離れた場所に余所者が大勢住んでいる。同じ形をした建造物がずらりと並び、見分けがつかない。そして遮音に優れたコンクリートは、中で何が行われているか外に漏らさない*6。住人の中に宇宙人がいても気が付かないのではないか、そう考える人がいても無理はない。

そんな団地に人妻はずっといる。夫は朝から仕事にでかけ、子供も学校があるから日中は不在。厄介な姑は最初から団地にいない。いったい誰が人妻の行動を把握できるだろうか。もちろん人妻である。

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『淫獄団地』第3話 (前編)

『国勢調査報告』の結果をまとめたものによると、1965年の団地住人の親族世帯の内、79.6%が子持ちの核家族世帯であった。さらに世帯主の年齢については、30代と40代が70%を占めている。公団の狙い通り、子育て世代の家庭が入居者の大半を占めていたのだ。そして同世代の子供がいれば親同士の繋がりができる。

帝京大学の石島健太郎は、「団地居住者生活実態調査」のデータを多変量解析することで、母親同士の繋がりを見出した。それによれば、ママ友候補*7の専業主婦の割合が1%増えると、1週間あたりの母親の育児時間は平均3分減るという。この結果は、専業主婦のママ友に自分の子供の面倒を見てもらうことがあったことを示唆している。

もっとも、このような分析結果を提示しなくても、子育て経験のある人ならば団地内で濃密な近所付き合いがあったことは容易に想像できるだろう。ママ友が隣近所に大勢住んでいるのだ。秘密を守れると思う方がどうかしている。

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『淫獄団地』第3話 (前編)

しかし秘密が無いのはあくまでも「中」の話である。団地の外の人、特に子育てに関わっていない人にとって団地は謎に包まれた場所であっただろう。そこには人妻が大勢いて、外に出ることなく暇を持て余している*8。そのため団地の秘密は人妻に集約され、「団地妻」が生み出された。

ゆえに団地居住者の中でも人妻は特別な存在であり、怪人となる資格を得たのである。

終わりに

全ての始まりは日本の住宅事情の改善であった。この目的を実現するために公団が取った手段が団地である。良質な住宅と手頃な費用を両立させるために、団地は郊外に建造された。その結果生じたのが男性の遠距離通勤、性別役割の固定化、そして団地妻である。

公団の誕生から半世紀以上が経った現代、高齢化・老朽化が進む団地は変革することを求められている。団地妻も同様である。かつてはある程度リアリティのある属性だったが、団地のイメージが変わったことで完全に古臭いフィクションの産物となっている*9。この言葉が消えるのも時間の問題であった。

そんな団地妻のリノベーションに成功したのが『淫獄団地』である。団地妻と怪人を結合させることで、最高のケミストリーが始まった。やはり革新とは、要素をこれまでとは異なる仕方で新結合することによって生じるのである。

参考書籍

本記事を書く上で参考にした本。

『総中流の始まり 団地と生活時間の戦後史』

1965年の「団地居住者生活実態調査」から、当時の住民の実態を明らかにしていく本。この記事を書くにあたって最も参考にしている。住宅政策によって性的役割の固定化が進むなど、当初意図していなかったと思われる方向に影響が出るのが面白い。

本書によれば、当時最も普及していた耐久消費財はミシンだったという。1959年の婦人少年局による調査によれば、人妻にとって裁縫とは仕事である以上に余暇活動としての側面が強かったらしい。こうなると、そのうちリビドークロスをミシンで魔改造する人妻が出るのではないか。共振石が複数個ついているとか。

『団地の時代』

政治学者と作家による団地をテーマにした対談本。自身の体験に始まり、地理や政治、そして文化など、様々な観点から団地の歴史を語っていく。

この手の対談本のいいところは、話題の種類が豊富ということである。団地の好きな二人が語り合うため、話があっちこちに飛び、団地そのものだけでなく周囲の文化にも話が及ぶ。おかげで団地がもてはやされた時代の雰囲気が少し分かる気がする。

『団地団 ~ベランダから見渡す映画論~』

様々な映画やアニメで、団地がどのように描写されているかを語る本。時代によって団地の扱われ方が違って面白い。2012年に出版された本なので、残念ながら『淫獄団地』は載っていない。

特に興味深かったのは、団地はウルトラマンが戦う場として最適という話。団地は同じ建物が並んでいるため、同じ金型で大量生産できる。また、高さがあるので壁にもなるし、ウルトラマンの大きさを表現するのにもちょうどいい。昔から団地と特撮の相性は良いようだ。

『団地と移民 課題最先端「空間」の闘い』

こちらは現代の団地を中心に書いた本。高齢化と外国人が増加した団地がどのような問題を抱えているのか、そして問題解決のためにどのような取り組みが行われているのか、と。本書を読むと、偏見と無知が差別を生むのだとよく分かる。あと『団地妻』の監督の人生についても書かれているのがポイント。

本記事では団地特有の謎が団地妻を生み出したと書いた。現在団地に集まっている外国人は人妻以上に謎の多い存在と言えるので、軋轢や偏見を解消するのは難しそうだ。だが本書には共生に向けて活動を続けている人たちが登場する。全くもって感心してしまう。

続き

*1:厳密には様々な時代の団地のイメージをミックスさせていると思われる。団地の人妻に「欲求不満」の意味を持たせた『団地妻』は1971年に公開された作品である。また、第1話でヨシダは「寂れた団地」と言っている。これは現代的な団地のイメージだろう。

*2:1951年に東京大学建築学科の吉武泰水研究室が提案した間取り。

*3:nDKモデルの生みの親である建築学者の西山夘三による設計の原則、「食寝分離」と「隔離就寝」を最低限のスペースで実現する間取りとなっている。「食寝分離」とは食事する場所と寝る場所を分けること。「隔離就寝」とは成長した子供と両親は別の部屋で寝ること。そのため核家族が必要とする部屋は最低3部屋となり、そこからDKと2つの居室からなる2DKの51C型が生まれた。

*4:もちろん仕事中心の妻もいた。夫の場合と同様に系列分析した結果によると、15.9%の妻は仕事中心で、彼女らの平均通勤・移動時間は1時間23分である。

*5:『日本統計年鑑』および『事業所統計調査報告』によれば、1965年当時は保育所は現在の半分しかない。また、児童館はほとんど作られていない時代である。

*6:もっとも、当時の団地におけるクーラーの普及率は0.5%しかないため、夏に玄関のドアを開けっ放しにしていた家庭は多かった。住民ならば互いのことは音だけでも多くの情報を知りえただろう。

*7:同じ団地に住む同じ年齢の子供を持つ母親。

*8:実際は家事・育児が大きな時間を占めており、それほど暇ではない。「団地居住者生活実態調査」によれば、平日における夫の平均余暇時間が2時間10分であるのに対し、妻の平均余暇時間は2時間50分である。ちなみに休日の夫の平均余暇時間は6時間で、妻は3時間24分である。休日の差は家事・育児時間の差によって生じている。

*9:団地の住人にとってはその方がいいだろうが。