辛かった一人◯◯の思い出。
精神的なやつと肉体的なやつ。
それに目の前が真っ白になったやつ。
一人◯◯
何度めかは分からないが、一人◯◯がちょっと話題になっていた。たぶんこれのせい。
それに対する反応。
「一人◯◯ができない」みたいなのを読むと、俺もTogetterの反応よろしく、人間強度が足りていないのではないかと思ってしまう。いちいち周囲の目を気にしすぎなのだと。
しかし思い返してみれば、俺にも一人◯◯が辛かった経験がある。なのでそれについて書くことにした。
一人バイキング
まずは一人◯◯が嫌われる理由として定番である、孤独を味わった話。
あれは2013年にヨルダンへ行った時のことだ。『トランスフォーマー』の聖地巡礼でペトラ遺跡へ行った後、せっかくだからと死海に訪れた。
死海のホテルは世界的なリゾート地だけあってディナーが高い。俺が泊まったところは22JOD (約3080円) だった。なのでプランは夕食無しにして、そこら辺の店で食べようと考えていた。
ところがホテルの周囲にはホテルだけであり、食事できそうな場所が無い。せっかく旅行に来たのにひもじい思いをするのは嫌だったので、22JOD払うことを決意した。フロントでプランには入れていなかったがディナーを食べたいと伝えると、チェックアウトの時に払えばいいと言われた。こうして俺は意気揚々とディナー会場へ向かったのである。
ディナーはバイキング形式だった。席は自由だが、一番小さいテーブルで6人がけ。なのでこうなる。
ボッチ飯も極めるとリゾートホテルのディナーで6人席を一人で使う
— 骨しゃぶり (@honeshabri) 2013年10月16日
この時は確かに一人だった。
席に場所取りの意味を込めてハンカチを置き、料理を取りに行った。
料理を持って戻ってきたら、俺のテーブルに4人家族が座っていた。
かつてない孤独を感じる食事となった。これが牛丼屋のカウンター席なら気にすることはない。10人がけとかで複数のグループが一つのテーブルについているならまだいい。しかしこの時は6人がけに4人家族と俺1人である。ずっと隣で賑やかなお喋りが行われる。辛い。こいつら何を言っているのか分からない。辛い。オヤジの皿がこっちに侵食してくる。辛い。
そんな孤独のグルメをやっていると、急にウェイターに呼ばれた。
ウェイター「部屋番号を言え」
俺「◯◯号室です」
ウェイター「お前まだ金払っていないだろ」
俺「チェックアウトの時に払えばいいって……」
ウェイター「ちょっとこっちに来い」
こうして俺は連行された*1。
一人高速バス
これは精神的にもきつかったが、それ以上に肉体的にきつかった話。
2015年にトルコへ『ヒストリエ』の聖地巡礼した時のことだ。もちろん一人。カッパドキア、パフラゴニアを訪れてからトロイア遺跡へ行った。
十分に見て周ってから宿のあるチャナッカレに戻り食事をとる。一人だが寂しくはない。ピザを食べて、それからアイスも食べた。


明日は高速バスに乗ってイスタンブールへ向かう。約300kmの移動だ。昼に出発するので、向こうに着くのは日が暮れる頃になる。宿は予約していないが、紀元前から続く大都市だ。すぐに空いている所が見つかるだろう。
それからのことについては手記が残っているのでそれを載せる。
前日、宿に戻って
完全に吐いた。
シャワー浴びに行くのがダルくて銀英伝を読んでいた。
読み終わらないのでシャワーを浴びることに。
シャワー前に用を足す。
下痢ではなかった。
座っているうちにだんだん気分が悪くなり、ついに決壊した。
夕食のアイスが全部出た。
おそらく食中毒ではなくて疲れによるものだろう。
明日はゆっくり寝て、イスタンブールに行くことだけを考える。
翌日 (移動日) の朝
胃が空のせいか吐き気はない。水がほしい。
寝ている間も心拍数は常に80以上で100に達することも。
何度か目がさめては寝る感じ。
体はだるい。
※心拍数が分かるのは活動量計を着けていたから。
バスに乗る前
水を買って飲んだ。常に500mlは手元に置いておこう。
下痢をした。固形物はほとんど無さそう。完全に腹が空だ。
バスの中で吐いたり下痢をしても困るので、固形物は食べず、コーラとシェイクを飲んだ。
シェイクは冷たかったが、それでどうというわけではない。
バス中
心拍数は起きている間は常に110を超えていた。ただ(バスの中で)座っているだけでも。
バスの中ではずっとウトウトしていた。
寒気がしていたのでパーカーを着ていた。
バスの終点近くで汗をびっしょりかいて、暑さを感じるようになった。
宿到着
宿についてしばらくすると、いろいろ楽になった。
心拍数も80切るようになった。
バナナを2本食べた。
こんな感じだった。手記に書いてあるように、これは疲労だと思う。トロイア遺跡を見た後、『ヒストリエ』のシーンを再現するために海辺を歩き周っていた。その日の歩数は19,716歩。
そしてその前の日は「ボアの村」の座標へ向かうため、全ての荷物を背負って山に登った。
そして夜行バスでカラビュックからチャナッカレへの移動。イスタンブールを経由してのおよそ720km*2。インドア派の俺の体力はとうに限界を迎えていたのだろう。
手記ではさらっと流しているが、宿を探すのも一苦労だった。当たり前だが俺を助けてくれる人はいない。宿を予約していないのでタクシーで向かうわけにもいかない。行き先が決まっていないのだから。完全に日が落ちた中、俺は体を引きずるようにして街を彷徨った。
それっぽい宿を見つけたら、2泊できないかと質問し、断られる。おまけにサンダルの鼻緒が切れる始末。それでもなんとか泊まれる場所を見つけることができたというわけである。辛かった。
一人ストロベリーシェイク
目の前が真っ白になってどうしようもなかった話。
2012年にタイへ行った時のことである。この時が初めての海外一人旅だった。聖地巡礼ではない。
明日帰国という時、俺はカオサン通りで調子に乗っていた。
ネットがあって飲み物があって pic.twitter.com/BFqNOWKA
— 骨しゃぶり (@honeshabri) 2012年3月1日
この後、およそ10分間にわたり瞳孔が開き、心臓はかつてないビートを刻むことになる*3。周囲の人の顔が光り輝いて見えた。俺はどうしようもないのでじっとしていた。
そのうち何事もなかったかのように治まったので、俺はホテルに戻った。あのストロベリーシェイクは何だったのか今だにわからない。
終わりに
以上が俺の辛かった一人◯◯である。
たぶんこれを読んでこう思う人もいるだろう。なんだこの程度か、と。俺の体験はよくあることで、それ以上ヤバい一人◯◯をやっている人は間違いなくいる。しかし、俺にとっては確かに辛い体験だったのだ。
こう振り返ってみると、一人◯◯の辛さというのは人によって異なるということが分かる。ならば俺にとっては大したことのない一人映画なんかも、辛い体験と感じる人がいてもおかしくはない。もう少し寛容になろうかと思う。
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