人は一人では神になれない。
偉業を成し遂げるためには相方が必要だ。
おけけパワー中島の価値はそこにある。
おけけパワー中島
今更「おけけパワー中島」について説明する必要は無いだろう。
この中島だが、上の記事によれば、天才に憧れる者の感情を揺さぶるために作られたキャラだという。
真田 直接のモデルというのは存在しません。七瀬(天才字書き綾城に憧れる秀才字書き)というキャラにとって、彼女の感情を最も揺さぶり、めちゃくちゃにするのはどういう存在かと考えた結果、自然と生まれてきました。
この試みは作者の想定以上に成功し、多くのオタク女子の心までも揺さぶったのは周知のとおりである。
そのためか中島に言及した話は、次のどちらかが多いように見受けられる。一つは七瀬の立場、つまり憧れの人の友人に対して嫉妬する人の独白。もう一つは中島の立場であり、こちらも自分がどうだったかを語る。つまり両方とも一般人による自分語りなわけだ。
この手の話はコンテンツとしては面白いが、あまり有用ではない。最も価値があるのは "神" である綾城の視点で語られる中島の話だ。なぜ神の視点の話が大事なのか。中島こそが成功の鍵だからである。神のおまけに中島がいるのではない。中島がいたから神となれたのだ。
神は希少な存在ゆえに神である。そのため神の自分語りも目にすることは珍しい。だから本記事で解説することにした。俺自身は "神" ではないが、語ることぐらいはできる。
ペアの英雄
古来より、英雄にはペアとなる相方がいた。ギルガメッシュにはエンキドゥが、アキレウスにはパトロクロスが、アレクサンドロスにはヘファイスティオンがというように。
古代の人はペアの重要性を理解していたのだ。聖書も例外ではない。自分は口下手だから皆を説得できないと嘆いたモーセに対し、主はアロンと組めと指示した。アロンがモーセに代わって民に語るであろう、と*1。以降、アロンはモーセを支え続けることになる*2。
視点を現代に移しても、様々なペアが偉業を成し遂げている。Apple、Google、Microsoftといった企業の成り立ちは、このブログの読者ならば今更説明するまでもないだろう。どの企業も有名なペアによるものだ。2011年のY Combinatorの夕食会で、ポール・グレアムは「ハッカーはコンビを組んで仕事をすることが多い」と語った。グレアム自身もロバート・モリスとコンビを組んでViawebを創立している。
そのポール・グレアムがY Combinatorを始めた時に、創業者が一人だけのスタートアップには出資しないと決めたのは有名な話だ*3。二人いれば負荷は分散されるし、それぞれが信頼できる人間という証拠でもある*4。だから一緒にアイデアを出し、愚かな決断をやめさせ、上手く行かない時に元気づけてくれるような仲間が必要だ、と。
ここまで読んで疑問を持つ人もいるだろう。「例のTwitterマンガは字書きの話であるし、同一名義で活動しているわけではないのだが。別に綾城一人だけでも作品を創ることはできるのでは?」と。たしかにマンガを見た限りでは独立して活動しているようだ。それに対象が小説だと、モーセとアロンのような分業制ペアのメリットは少ない。
だからといって、字書きにとってペアの価値が無いわけではない。やはり小説を書く上でも中島の存在は欠かせないのだ。そこで中島的存在が重要な役割を果たした、神字書きの例を紹介しよう。
『指輪物語』の著者、J.R.R.トールキンだ。
トールキンの中島
トールキンが中島と出会ったのは、教授職についたオックスフォード大学でのことだった。1926年の春、彼はコールバイスターズという読書クラブを立ち上げた。目的はアイスランド文学の輪読である。彼はそこに自分と同じ年にオックスフォード大学へやってきた教授を誘った。その教授の名はC.S.ルイス。後に『ナルニア国物語』を執筆する男である。ルイスはトールキンの中島となる。
コールバイスターズで話すようになった二人は、まもなく定期的に会い、夜遅くまで話し込むようになる。ルイスの手紙によれば、「アースガルズの神々と巨人達について、3時間も話し合った」こともあったという。完全にオタクのそれである。この関係はコールバイスターズが目的を終えて解散した後、同時期にルイスが始めた非公式のクラブ、インクリングズで継続された。むしろここからが本番とも言えるだろう。
インクリングズの集まりは週に2回。火曜日の午前中はパブ「イーグル・アンド・チャイルド」で集まっての談話。木曜日の晩はルイスの研究室での発表会だ。研究室では、執筆中の作品を互いに朗読し、批評し、励ましあう。これは主催者であるルイスの趣味によるところが大きかった。
ルイスは人に読み聞かせてもらうのが好きという、創作者にとってこの上ない性質の持ち主だった。トールキンによれば、ルイスは「中つ国の第一紀と第二紀の〈神話体系〉の大部分」を読んでくれた3人のうちの1人だという。それはトールキン自身によって読み聞かせたものだった。それに対してルイスの熱狂的な反応 (と批評) を返す。的確で素早いフィードバックほど、モチベーションを高め、人を成長させるのもはない。このことはトールキンの野望を後押しする。
トールキンはエルフが登場するような「妖精物語」は、立派な大人のための作品であるべきだと考えていた。しかし当時は (場合によっては現在も) 妖精物語は子供のための作品だと思われていた。そんな状況下で読書家のルイスがトールキンの神話体系に共鳴してくれたのだ。ルイスの死後、トールキンは手紙で「私の〈たわごと〉が個人的な趣味以上のものになるかもしれないという考えは、もっぱら彼が与えてくれのです」と述べている。
ルイスがトールキンを励ましたのはこれで終わらない。あの『指輪物語』についても、ルイスの関心と熱意が無かったら書き上げられなかったと、トールキンは同じ手紙で述べている。『指輪物語』の執筆には10年以上の歳月がかかっている。その期間には第二次世界大戦があり、兵役こそ年齢から免れたが、執筆はしばしば止まった。インクリングズで読むことも無くなってしまった*5。そして首尾一貫性を保つため、全面改訂をしなくてはいけない。そんなトールキンを、ルイスは激励し続け、ついに『指輪物語』は完成したのである。
こうしてトールキンは神の一人となった。これはルイスという中島がいたからである。しかし話はこれで終わらない。我々はトールキンだけでなく、『ナルニア国物語』を書いたルイスのことも知っている。彼も神の一人と言っていいだろう。ルイスにはトールキンという中島がいたからだ。
ルイスの中島
例のTwitterマンガで、中島は綾城に「布教」を行い、ジャンル移動を促した。
神字書きがジャンル移動する話 1/3 pic.twitter.com/9GqlLWGn4x
— 真田つづる✏️同人女の感情 (@sanada_jp) 2020年7月2日
トールキンもまたルイスに布教を行っている。
学生時代にルイスは唯物主義に賛同し、無神論者となった。なぜ他の宗教は全て間違いだけであり、キリスト教だけが本物だと言えるのか。その根拠が分からず納得がいかなかったのである。
1929年、ルイスがヘディントン行きのバスに乗っていた時のことだった。ルイスは突如として自分自身に関するある事実を突きつけられたように感じた。今まで閉じたままにしておいた扉が、目の前に出たようだ。ルイスは扉を開けて通り抜けることにする。ルイスは回心したのだ。
よく分からない神秘体験をしたルイスは、こうして神の存在を信じるようになる。しかしまだ何者か分からぬ神を信じ始めただけで、キリスト教を受け入れたわけではない。ここで布教を行い、ルイスをキリスト教へと導いたのがトールキンであった。
トールキンは敬虔なローマ・カトリック信徒であった。彼は福音書を最高位の物語だと言っている。それは歴史的な出来事であり、神の手によって創作されたのだ、と。そして神が世界を作ったように、神を模した人間もまた再帰的に創造を行うのだと考えていた。だからトールキンは中つ国を創造したのだ。この概念をトールキンは「準創造」と読んでいる。
1931年ルイスは、トールキンと二人の共通の友人であるダイソンとの長い会話を通して、ついにキリスト教に改宗した。沼にハマったオタクの例に漏れず、ルイスもこの新しいジャンルで本を出す。一般向けの神学書を次々出し、さらには1940年代にはBBCラジオでシリーズ講演まで行った。これをまとめたのが『キリスト教の精髄』である。
ちなみにトールキンは福音伝道はプロの聖職者に任せるべきだと考え、ルイスが神学者として活躍することには反対だったという。間違っても「ルイスファンのXPクラスタは私に感謝してもええんやで」とは言わない*6。
ともあれトールキンはルイスに多大な影響を与えた。準創造という概念、信仰心、そして物語の理想像。これらを取り入れたルイスは『ナルニア国物語』という児童文学の傑作を生み出したのである。作品への影響という観点で、トールキンは間違いなくルイスの中島であり、そのためにルイスは神となったのだ。
終わりに
トールキンとルイスを見ると分かるように、字書きにおいても中島とペアを組むのは有用であることが分かる。二人とも出会う前から創作は行っていたし、有能でもあった。しかし作品を完成させ、多くの人に受け入れられるようになったのは、それぞれが相手の中島となっていたからだと言えるだろう。
中島は、新たな視点、フィードバック、そして激励をくれる存在である。どれも創作する上で欠かせないものだ。神は創造するからこそ神である。ゆえに中島が神になるために欠かせない存在なのだ。
したがってあのマンガから学ぶべき重要なことはこれに尽きる。神になりたければ自分だけの中島を見つけるのだ。
参考書籍
この記事を書く上で参考にした本。
『POWERS OF TWO』
天才は一人でなるものではなく、ペアでなる、という本で、この記事のネタ元。トールキンとルイスの関係も本書で知った。有名なペアを多数例に出しつつ、ペアがどのように成立し、偉業を成し遂げ、そして終焉を迎えるのかを書く。「有名なペア」と言っても、往々にして有名なのは片側だけであることも多いが、むしろそのパターンの方が知ることが多くて面白い。
『トールキンとC.S.ルイス友情物語』
トールキンとルイスの話は基本的に本書が情報源。本書は二人の伝記だが、幼少期と学生時代の話は最小限で、二人がオックスフォードで働くようになってからが本番。互いがどのように影響を与え、名作が執筆される過程を書く。優秀な者同士が交流すると、偉大な作品が生まれるという良い例。
『Yコンビネーター』
ポール・グレアムの話は本書から。シリコンバレーでスタートアップがどのように生まれるのかを教えてくれるわけだが、読むとここまで猛烈に働くのかと感心してしまう。やはり成功する人達は質だけでなく量もすごい。2013年の本なので、現在のそうなのかは知らないが、今読み返しても面白いのは間違いない。
創作する人の話
トールキンとルイスの話を考えると、やっぱり何かしらのフィードバックは必須だと思う。