本しゃぶり

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小学生に学ぶ、危機を回避する振る舞い方

人の抱える問題の多くが人間関係にある、というのは有名な話である。だが最適な選択肢を選び取ることができれば、その問題は小さな芽のうちに取り除くことも可能である。

その方法を学ぶべき時が来た。小学生から。

最善を尽くせ

アニメを見ていて不満に思うことがある。それはキャラが物語の都合で明らかな悪手を打つ時だ。これは敵も味方も関係ない。主人公側ならばピンチな状況を作り出すため、敵側ならば主人公が勝つために、といった感じで。それまで賢いように振舞っていたのにもかかわらず、急に知能が低下し、感情的な行動を取る。これを見ると俺は萎えるのだ。

もちろん、普段偉そうにいろいろ書いている俺だって悪手を打つことはままある。後から考えれば、なぜあんなことをやったのか、と言いたくなるようなことさえも。だから実際に他の人が失敗したとしても、それについて必要以上に責めることはない。人は失敗する生き物なのだから。大切なのはそこから何かを学ぶことである。

しかし、アニメと現実は違う。物語内でのミスとは、作者の手によって意図的に創りだされたものである。キャラがそのミスを犯すためにお膳立てしてあるならともかくとして、唐突に失敗するというのであれば、それは作者の力量不足と言わざるを得ない。なぜならそれを認めると、主人公が勝ったのは実力ではなく、運命によるものとなってしまうからだ。主人公がピンチになるにしろ勝つにしろ、それは双方が最善を尽くした結果であってほしい。

冷徹な12歳

物語の都合で悪手を打つキャラがいる一方で、常に冷静沈着で最善を尽くすキャラも存在する。今季も様々なアニメがやっているが、その中から一人例を挙げるならば、俺は彼がふさわしいと断言する。

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『12歳。~ちっちゃなムネのトキメキ~』5話より

高尾 優斗(12)である。

彼はどんな状況下であろうともクールさを失わず、適切な言動で問題を瞬時に解決する。彼に見習うべき点は多いので、この記事ではその一部を説明したいと思う。

今さら言うまでもないが、小学生にとってのクラスという環境は過酷なものであり、それは時として多数の都市国家や諸侯国、教皇領に分裂していたルネサンス期のイタリアに例えられる*1。その中で児童達は一人の君主として、時には争い、時には同盟を組み、日々を生き抜いているのである。

そのような6の2の中で、高尾は抜きん出た存在である。成績優秀でスポーツ万能、容姿端麗な上に慈悲深い。当然、女子からの高い支持を受けている。そんな高尾と1話にしてカレカノ契約を結んだのが『12歳。』の主人公、綾瀬 花日である。その関係は高尾の宣言によってクラスに知れ渡り、周知の事実となったのであった。

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『12歳。~ちっちゃなムネのトキメキ~』1話より

男子小学生において、彼女持ち、というのはマイナスに働くことが多い。これは教会が力を振るう中で異教徒と親密な関係を築くようなものであり、迫害を受けることさえも覚悟する必要がある。しかし高尾は一時的にからかわれることはあっても、それ以上の仕打ちを受けることは無かった。それは運動ができるからである。

小学校における運動能力とは、国にとっての軍事力のように扱われる。運動能力が高ければそれだけで周囲から一目置かれ、戦いを挑もうとは思われなくなる。つまり、高尾のスポーツ万能という特質は抑止力として働き、周囲を押さえ込んでいるのだ。マキアヴェッリは、君主が覇を競うには「法」と「力」の二つによるものがあると言っている。高尾は「性格」と「運動能力」の二つでその地位を確立しているのだ。

したがって花日と高尾の関係は安泰かと思われた。これが他の者ならば、片方の軽率な言動から危機が訪れるだろう。しかし子供っぽい花日はともかくとして、もう一方はタイムリープの疑いすらある高尾である。分別ある君主というものは、ただ現在の厄介事だけでなく、将来の厄介事も考慮するものだ。常に小さな芽のうちに対処するので問題ない。

だが、二人の関係を引き裂こうとする者がいた。

高尾を自分のものにしようとする少女、浜名 心愛(ココア)である。

6の2のボス

ココアは6の2のボスである。

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『12歳。~ちっちゃなムネのトキメキ~』1話より

その美貌で男子の人気を集め、高い政治力によって女子を統率している。その支配力は6の2において教師よりも高いと言っていい。常に情報を収集し、敵対する者がいれば陰謀を企て排除する。それがココアという人物だ。しかし、彼女の真に恐るべきはその持続する意志にある。

花日に出し抜かれ、高尾を取られたココアは、決して諦めること無く二人を別れさせようと画策する。花日に落ち度がある度にそれをあげつらい、タカオと別れるべし、と演説する彼女は現代に現れた大カトーと言えるだろう*2

Marco Porcio Caton Major.jpg
By Unknown - scan from 19th century book, Public Domain, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=3785590

だがココアの不断の努力にもかかわらず、花日と高尾の関係は壊れることは無かった。その都度、高尾がはっきりと自分の立場を表明したからである。花日を庇うために行われるそれは、時としてココアに恥をかかせるものであり、下手をすれば優しいという評判を落とすものであった。それでも行った高尾の判断は正しいと言える。

マキアヴェッリは、悪評を可能な限り避けるべきだが、それよりも自分の国を失わないことを最優先にしろ、と言っている。高尾の場合も、最優先にすべきは花日との関係であり、そのための悪評ならば甘んじて受けるべきなのだ。

このような鉄壁の関係の前にどうしようもないココアさん、そんな評価が下されようとしているその時、事態は新たな局面を迎えた。首都から帝王が帰還したのである。

帝王の帰還

東京からの転校生、堤 歩は花日の幼なじみである。園児の頃、彼はその実力に支えられた傲慢な態度から、帝王と呼ばれていたのであった。

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『12歳。~ちっちゃなムネのトキメキ~』1話より

6年生になっても帝王の振る舞いそのままである堤は、以前と同様に花日をからかう。しかし、年月は人を変える。現在の花日は、ココアを出し抜き、高尾とカレカノ契約を締結したほどの女である。その天然とも言える男たらしっぷりにより、堤は花日に惚れてしまう。

もちろん高尾はそれを放置するわけにいかない。そしてこの状況を利用しようとするココア。四人の思惑が交差する中、マラソン大会が行われる。

マラソンの戦い

小学校では児童たちに不断の緊張状態を強いるため、絶え間なく何かの行事が行われている*3。マラソン大会もその一つであり、児童たちは体力の限界を問われ、その能力差が白日の下に晒されるイベントである。また、このイベントは小学校行事の中でも教師の目が届かない部分が多く、陰謀を仕掛けるには最適なのであった。

そのようなマラソン大会が高尾と堤の対決の舞台となる。花日を賭けて競争しようというのだ。この勝負について高尾は受ける必要が無い、と思う人もいるだろう。すでに高尾と花日は両者の合意の上でカレカノ契約を締結している。花日の意思を無視した戦いであるし、高尾にとってやる理由が無いではないか、と。

それがあるのだ。すでに書いたように、小学校における力とは運動能力のことである。高尾が戦いを避けるということは、自身の運動能力に自信が無いということであり、堤に敵わないということを示すことになる。それでは高尾の地位も当然ながら、花日を守ることもできなくなる。抑止力というものは、疑われてはその効果は無い。ここは力を行使することによってその存在を示す時である。そして、堤を徹底的に叩きのめし、二度と反抗できないようにすべきなのだ。

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『12歳。~ちっちゃなムネのトキメキ~』6話より

このチャンスを逃すココアではない。ココアは高尾の足止めをし、堤を勝たせることを企む。当然、花日が堤のものになれば、高尾を自分のものにできるだろう、と。

そしてマラソンの戦いが始まった。コース上に潜んだココアは腹痛を偽り、高尾に対して一緒にいて欲しいと頼み込んだのである。本来であれば高尾はこれを無視してレースを続けるべきであった。先に書いたように優先すべきは花日との関係を維持することである。そのためにはレースに勝たなくてはならない。

しかし、高尾は人徳の高さで地位を築いた人物である。女子からの支持を維持するならば、ここで見捨てるのはリスクがある。それに苦しんでいる人が一緒にいてほしいと言うのであれば、いてやるべきではないだろうか。その結果、ココアは高尾に取り憑くことに成功したのであった。

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『12歳。~ちっちゃなムネのトキメキ~』6話より

この後、異変を察知した花日が現場へと駆けつけ、ココアの仮病は高尾にもバレることになる。しかし、それで怯むようなココアではない。高尾が花日よりもココアを優先した、という事実を突きつけ、二人の仲を裂きに来たのである。

このような落ち度となる行為を突きつけられた時、対処の仕方は三つある。一つ目はそのような行為を取ったことそのものを否定するというもの。当然これは下の下である。二つ目は自らの非を認め、別の行為で名誉を挽回するというもの。これは正しくはあるが、そのためにはより大きなリソースが必要であるし、挽回のチャンスを与えられるとも限らない。そして高尾が取ったのは三つ目であった。行為の意味を書き換えるのである。

「綾瀬ならそうすると思ったから きっと誰が倒れていても助けるから」

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『12歳。~ちっちゃなムネのトキメキ~』6話より

花日を持ち上げることによって反論を防ぐと同時に、ココアを特別視していないことを表明する。行為の正当化として、完璧な解である。こうして彼は破局の危機を回避したのだ。このような対処を人によっては、屁理屈だ、と心よく思わないかもしれない。しかしこのようなスキルは古代からリーダーにとって必須のものである。マキアヴェッリも座右の書としたという『フロンティヌス戦術書』では、不吉な予兆への対処だけで一章を割いているほどだ。中にはこのようなエピソードが紹介されている。

ガイウス・カエサルは、軍船に乗り込もうとするときに、足を滑らせて地面に手をついてしまった。彼は大声でよばわった。「母なる地よ、わたしはおまえを早く掴むぞ」。これを聞いて兵隊たちは、わが軍の大将が、遠征先から必ず生きてローマへ凱旋するように運命づけられているのだと思った。
[新訳]フロンティヌス戦術書 古代西洋の兵学を集成したローマ人の覇道

人を繋ぎ止めるためには、後の行動よりも、その場での発言のほうが時には効果的なのであるのだ。

終わりに

このように『12歳。』は大人が見ても学ぶべき点の多い作品である。今回、この記事では長々とストーリーを書いたが、これはほとんど1話分程度しかない。この作品は非常に密度が高く、展開も早いと言える。何しろもう一組のメインペアについては今回全く言及していないほどなのだから。なのでこれで興味を持った人は今からでも見ることを薦める。

それにしても、女子は子供の頃からこのような作品を読んでいる、というのは恐ろしい事実である。実質これは戦術書と言っていい。あのアレクサンドロス三世も『イリアス』を戦術書として読み込んでいたというのだから、フィクションであるかどうかは関係ないだろう。帰りの会で女子が強かったのも納得がいく。

小学生を支配したいなら

あなたが大人ならこれを読むといい。

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きみが小学生ならこれを読もう。