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「競女」のルーツを文化的な視点から探る

『競女!!!!!!!!』は荒唐無稽な作品である。
しかし、「競女」という競技自体は日本文化的に正しく、実際にありえてもおかしくない。
本記事では「競女」の歴史について解説する。

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2016年秋アニメから

数ある2016年秋アニメにおいて、最も注目すべき作品が『競女!!!!!!!!』である。何しろ2016年どころか、アニメの歴史100年の中でもトップに君臨する*1のだから当然であろう。

1話の時点での評判はそれなりにいいが、感想を見ると引っかかる点がある。それは、技や演出のみならず「競女」という競技そのものについても荒唐無稽でバカげている、というものだ。あの競技は完全にフィクションであるのだ、と。

それは間違っている。「競女」という競技は、日本の文化を知っていれば実在していてもおかしくないと思うはずだ。しかしアニメでは尺の都合上、競女の歴史について語られることは無いだろう。だから俺が解説する。

競女とは

この記事を読む人間で競女を知らない者はいないと思うが、いちおう説明しておこう。公式サイトやWikipediaにはこのように書かれている。

競女とは…お尻や胸を使って水上で闘うギャンブル競技。2003年の法改正によって生まれ、今では競馬・競輪・競艇に並ぶ人気である。
WEBサンデー|競女!!!!!!!!

プールに浮かんだ「ランド」と呼ばれるステージを試合場に、選手が手足を使わずに尻や胸を使って相手を落としあい勝負を決める。一見華やかだが、年に数人ほどの死者を出す危険な競技といわれる。
競女!!!!!!!! - Wikipedia: フリー百科事典(2016/10/09 19:46 JSTの最新版)

つまりこのような競技だ。

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『競女!!!!!!!!』1話より

競技の説明はこれで十分であろう。

さて、競女の歴史について解説する前に、ここで一つ問題だ。
競女という競技に向いている体型とはどのような体型だろうか。
その答にこそ、競女のルーツが示されている。


直感的に考えればこのような体型になるだろう。

Venus von Willendorf 01.jpg
By User:MatthiasKabel - 投稿者自身による作品, CC 表示 2.5, Link

そう、競女の起源は豊作祈願と子孫繁栄の神事にある。

概要

競女という競技は2003年の法改正によって生まれたものであるが、その原型は日本固有の宗教である神道に基づいた農耕儀礼にある。かつては日本国内各地の水田で見られたが、現在では一部の地域でのみ縮小化された形で行われている。水を入れた田植え前の圃場に舞台が作られ、そこで健康と体格に恵まれた女性によって押し合いが行われる。これは神々に敬意と感謝を示す行為であるとともに、今年の収穫を占う儀式としての側面もあった。

現在行われている競技と化した競女においても神事としての形態は色濃く残されていおり、ギャンブルとなっているのも伝統に即したものであると言える。

歴史

ここでは競女の原型となった農耕儀礼についての歴史を記す。

その起源は記録がほとんど残っていないため定かではないが、もともと耕田儀礼の祭事がトヨウケビメノカミ信仰と結びついて生まれたと言われている。豊受大神宮(伊勢神宮外宮)に奉祀されるこの神は、食物・穀物を司る女神であり、『古事記』にも豊宇気毘売神の名で記載されている。

外宮正宮
By N yotarou - 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 4.0, Link

また、競女はその形態から相撲との類似点を多く指摘されている。「相撲」という言葉の初出は『日本書紀』であり、そこで「雄略天皇が二人の采女(女官)に命じて褌を付けさせ、相撲をとらせた」と記されている。この頃から女性による相撲が存在していたことが分かる一方で、競女としての形態、すなわち水上に作られた舞台の上での落としあい、は確立していなかったと思われる。

現代に続く形が確立されたのは平安時代であると言われている。この頃には田楽などと共に各地へ広まり、祭事としての形式がはっきりとしてきた。当時の女性が書いたとされる『栄花物語』には、田植えの風景として歌い躍る情景が記されている。

そして何よりの証拠としてはこの漫画であろう。

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動物の姿で描かれているこれは、明らかに競女の原型であると言える。

以降の歴史については時代によって差異があるものの、基本的な形は変わらずに各地で続けられてきた。しかしながら田楽など他の祭事と同様に、江戸時代にはほぼ忘れ去られた存在となる。また、戦後の芸能史・民俗芸能研究においても、そのある種の卑猥さからか積極的に研究する者が少なく、農民主体の行事であるため記録が乏しいことから、伝統芸能として名が上がることは殆どなかった。今ではいくつかの地域で町おこしに使われる*2くらいである。

神事の形態

ここでは平安時代から室町時代に行われていた神事の形態について説明する。もちろん地域や時代によって異なる点があるため、あくまでも共通する基本的な形式と思っていただきたい。

時期

地域にもよるが概ね5月上旬の田植え前に行われる。競女を行うと舞台の周辺が荒れるため、代掻き前に行うところもあるが、本来は田植え直前にやるものである。

舞台の構成

現代の競女はプールの浮島が舞台となっているのに対し、神事の競女は水田上に作られた木組みの舞台で行われた。伝わっている作り方は以下の通り。

  • 太さ1尺半(約45センチ)の先端を尖らせた木材を2本ずつ用意する
  • それを2尺(約60センチ)の間隔をもたせて互いにしばりつける
  • この2本組の杭を地中に打ち込んで固定する
  • さらにもう1組の杭を6尺離れた位置に平行に打ち込む
  • 2組の間に2尺×6尺の板を橋桁として渡し、留め金で固定する
  • これをもう1組用意して土台とし、横木を渡して床を貼ったら完成

これに飾り付けが行われるのが普通であるが、それこそ多種多様なものであり、一般的な形態というものは存在しない。

参加者

実際に競技を行うのは女性のみであり、各家から代表者1名が選出された。基本的には年頃の娘が選ばれる。これは後述するように、この神事はある種のセックスアピールの場としての機能も果たしていたからである。とはいえ既婚女性が参加することもあり、経験豊かな女性がその実力を買われて参戦することも多々あったという。

女性のみという理由はいくつかある。まずこの神事は先に書いたように、トヨウケビメノカミ信仰が根本にある。最後に残っていた者にトヨウケビメノカミの祝福がされると言われているため、女神と同性である女性が行うのだ。また、もう一つの願いである子孫繁栄についても、宗教において女性の役割であるためである。さらに実務的なことを言えば、そのルール上、男女混合では体格的に不平等であるというのもあるだろう。

田植姿 南秋田・金足.jpg
By 柳田国男、三木茂 - http://20century.blog2.fc2.com/blog-entry-440.html, Public Domain, Link

ルールと神事の意義

ルールそのものは現在の競女とそう対して変わらない。4名から8名の選手が舞台に上がり、乳と尻を駆使して相手を押す。そして最後まで舞台に残っていた者が勝者である。

占い的な要素として、この勝者の家の田んぼが今年最も豊作になるとされる。これは元々、勝者になる人は体格が良く健康的であるため、そのような人は豊かであるに違いない、という発想から来ている。それがいつしか因果が逆転し、勝者の田んぼが豊かになる、となった。そのため去年不作であった家の者をわざと勝たせることもあったと言われている。

また、乳と尻を積極的に使うところから、前述したとおりセックスアピールの場としても機能していた。勝者が未婚であった場合、その健康的な肉体を持つことを示した彼女は、多くの男性に求婚されたという。子孫繁栄の祈願として考えた場合、かなり有効的な神事であったと考えられる。現在の競女選手が人気であるのも、伝統と言えるだろう。

終わりに

このように「競女」という競技は神道と稲作という日本の文化に深く結びついた競技であると言えよう。現実に競女が存在しない我々からしたら、奇妙に思えるのも仕方ないのかもしれない。しかし、現実に存在する競技についても、良く良く考えれば奇妙なものばかりだ。国技である相撲にしたって、ほぼ全裸のデブが抱き合うようにして戦う競技なのだ。普通に思えるかどうかは、ただ実際にあるかどうかという点でのみ決まるのだ。

そう考えてみると『競女!!!!!!!!』という作品は、日本文化を元にもしかしたらあったかもしれない世界を描く、文化のSFと言えるだろう。こういった作品は自分の常識がどのようなものか、再認識させてくれるから面白い。

さて、最後に念のため書いておく。このブログ記事はフィクションである。「競女」という競技が実在しないというのは当然として、上記の「競女の歴史」が『競女!!!!!!!!』という作品の公式設定ではない、という点も含めてだ。これは原作を読んでいない俺が、アニメ1話を見て思いついたものである。間違ってもWikipediaなどに書かないでもらいたい。

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