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萌え絵が迫害されるのは歴史が足りていないから

また萌え絵が迫害されている。
その理由は過度な性的表現であるにも関わらず、ゾーニングされていないからだという。
しかし、それは本質ではない。

迫害されるのは、ひとえに積み重ねた歴史が足りていないからである。

今回の案件

今回問題となっているのは「駅乃みちか*1」である。

  • 「駅乃みちか」は2013年から使われている東京メトロの公式キャラクター
  • デフォルメされた絵柄だが困り眉で頬を赤く染めている
  • 「鉄道むすめ」は2005年からトミーテックが展開する萌え系企画
    駅乃みちか問題まとめ

これが公開されたところ、例によって批判が噴出した。曰く「公共的な場で使われるにも関わらず、発情的な表情扇情的なポージングスカートが透けているといった性的な絵であるのは問題だ」と。

その結果、イラストに修正がされた。批判の一つである「透けたスカート」が塗りつぶされたのである。

またこのパターンかと思う。とはいえこうなるのも仕方ない。なぜならば萌え絵には積み重ねた歴史が少ないからだ。歴史があればこの程度の表現など許される。むしろ批判する方がおかしいと思われるくらいだ。

歴史があれば許される

さて、今回の「駅乃みちか」だが、オタク向けの場所だけならばともかく、不特定多数が目にする場に掲載されるものとしてふさわしくない、という意見が多い。

しかし俺は、もっとすごい絵が不特定多数が目にする場で展示されていることを知っている。そこは家族連れも多いというのに、衣服が透けた女性キャラの絵があるのだ。これに比べたら「駅乃みちか」は生ぬるい。


その問題の絵がこれだ。


Botticelli-primavera.jpg
By サンドロ・ボッティチェッリ - http://www.googleartproject.com/collection/uffizi-gallery/artwork/la-primavera-spring-botticelli-filipepi/331460/, パブリック・ドメイン, Link

ルネサンス期のイタリア人画家サンドロ・ボッティチェッリが描いた『プリマヴェーラ』である。尻の割れ目まではっきりと描かれたこの絵を、俺はサイゼリヤで見た

「駅乃みちか」と『プリマヴェーラ』のどちらの方が体の線がはっきりとしているか、間違いなく『プリマヴェーラ』だろう。比べてみればすぐに分かる。

しかしこの程度で驚いていてはいけない。サイゼリヤにはもっとすごい絵がある。
その絵は衣服が透けているどころではない。なんと全裸である。


この絵だ。


Sandro Botticelli - La nascita di Venere - Google Art Project - edited.jpg
By サンドロ・ボッティチェッリ - Adjusted levels from File:Sandro Botticelli - La nascita di Venere - Google Art Project.jpg, originally from Google Art Project. Compression Photoshop level 9., パブリック・ドメイン, Link

ヴィーナスの誕生』である。この絵もサンドロ・ボッティチェッリによるものだ。神絵師か。

このような作品が見れるサイゼリヤであるが、このことで批判されているという話を俺は聞いたことが無い。性的な絵があるからサイゼリヤに行くのは止めよう、なんてことを言ったら笑われるだろう。

従って、絵に歴史があれば許されることが分かる。

時間が経てば無修正

しかしまだ納得のいかない人がいると思う。ボッティチェッリのような宗教画・神話画と、オタクのズリネタのような萌え絵では、その役割も社会的価値も異なるのだ、と。

それは違う。性的な要素が無く、権威ある画家の手によって描かれた宗教画であろうとも、露出の多さ歴史の無さが合わされば、批判されて修正されてしまうのだ。

この絵のように。

Last Judgement (Michelangelo).jpg
By ミケランジェロ・ブオナローティ - See below., パブリック・ドメイン, Link

ルネサンス期の芸術家ミケランジェロの代表作『最後の審判』である。この絵もサイゼリヤで見れる。

この絵はあまりにも裸体が多かったため、ローマ教皇パウルス4世らから「不信心、不道徳である」と批判された。そして知っての通り、ミケランジェロの死後に上塗り修正が行われ、人物の局部は隠されてしまった

修正イメージ

もし「ルネサンスの芸術家と言えば?」で真っ先に挙げられる「レオナルドラファエロミケランジェロドナテロ」というほどに有名なミケランジェロですら、描いた当時はこのような仕打ちを受けたのだ。もちろんミケランジェロ自身の名声は当時も相当なものであった。そうでなければシスティーナ礼拝堂の天井画を描くよう命じられない。にも関わらず「この絵は礼拝堂ではなく、公衆浴場や宿屋にふさわしい」と言われ、ミケランジェロを「わいせつ美術の考案者 (inventor delle porcherie )」と呼ぶ人まで現れたのだ。

しかし、歴史の重みが付けば評価は変わる。具体的には500年分くらいの歴史を得たことによって、修正は取り除かれることになった*2。「駅乃みちか」も500年後には「なんて愚かなことをしたのだ」と修正が取り除かれるだろう。

終わりに

これで萌え絵の何が本当にいけないのか分かっただろう。萌え絵には許されるほどの歴史が無いためだ。

ではオタク達はなぜ問題ないと考えるのか。それはオタクは日頃から萌え絵に触れているため、彼らの中での歴史は十分に積み重なっているからである。そういう意味では批判者達の言う「オタクは感覚がマヒしている」というのもあながち的外れではない。

しかしながら「マヒしている」というのは表現として適切ではない。『最後の審判』は問題ないと言ったらパウルス4世に「異教徒め、お前の感覚はマヒしているのだ!」と言われて納得がいくだろうか。そんなはずはない。真実はこれだ。

擁護する者は批判する者より未来に生きている

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*1:ここに現在問題となっているキャラ名を入れる

*2:深夜アニメで放送時は局部に修正があるのに、後で発売されるBDで無くなっているのは、偉大なる芸術家ミケランジェロにちなんでのことであるのは言うまでもない。