本しゃぶり

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「俺、社会人に向いていないかも」と思ったらこの本を読め

向いていないと思うならつべこべ言わず、これから紹介する本を読め。行動するのはそれからだ。

この記事は五月病への処方箋である。

五月病に備えて

今週のお題「ゴールデンウィーク2016」である。ゴールデンウィークと聞いて真っ先に思いつくのは、もちろん五月病だ。俺のように二手三手先を読む者ならば、まず連休が終わった時のことを考える。五月病について書くのは自然の流れだろう。

このブログは名前の通り読書ブログである。であれば五月病への対処も当然読書によって行う。これから紹介する5冊はどれも面白く、五月病の様々なパターンに対応できる。まずはこの記事を読み、次に紹介した本を読めば、あなたは安心して残りの連休を楽しめるだろう。

誰のためのデザイン?―認知科学者のデザイン原論

自分がこの仕事に向いていないのでは、と思うシチュエーションの一つに、装置やソフトの操作ミスが挙げられる。他の人達は平然と使えているのに、なぜ自分はうまく使えないのか、と。そして自分を責めてしまう。しかし、それはあなたのせいではなく、そのデザインに問題があるのかもしれない。

この本は以前にも紹介したことがある。

これを書いてからもう2年以上が過ぎているが、今でも同じ感想を抱く。違う点があるとすれば、俺が設計したものをユーザーが上手く使えない時に、それはデザインが悪かったのだという実体験を得たことぐらいだろうか。良いデザインというものは、上記記事にも書いたように「4条件」を満たしている。

  • 可視性:状態を目で見れる。(中身が見えるとか)
  • よい概念モデル:対象の原理を簡単に理解できる。(頭の中でシミュレートできるか)
  • よい対応づけ:入力と出力の関係がわかる。(入力と出力の動作が同じとか)
  • フィードバック:入力に対してすぐに反応がある。(実行中と表示されるとか)

この本は何かを設計する人にとって必読とも言える本であるが、使うだけの人であっても価値のある本だ。少なくとも「4条件」を満たしていないのであれば、自分は悪く無いし、仕事に向いていないわけでもないと言えるのだから。とはいえ、悪いデザインだからと言って使うことを拒否できるわけではないのが、現実であることも受け入れなければならない。


働かないアリに意義がある

失敗がどうというより、そもそも働くことに対して熱心になれない、そしてそのことを引け目に感じてしまうならこの本を読むといい。その熱心さの多様性こそが、組織が存続していく上で重要であるとわかるからだ。

この本も昔に取り上げたことがある。

アリやハチの中で常に働いているのはコロニーの中で2割しかいず、さらに全く働かない個体も2割いる、という話は聞いたことがあるだろう。この本はその理由と仕組みを教えてくれる。

まず理由だが、これは何と言っても緊急時に備えての予備である。トラブルというものはいつ発生するかわからない。にもかかわらず日頃から無駄なくメンバーを100%使っていては、そのトラブルに対処するために割くリソースが無い。すると一度トラブルが発生した時点でその組織は滅びてしまう。それを防ぐために存在するのが「働かない」メンバーなのだ。

その予備を作る仕組みを説明したものが、「反応閾値モデル」である*1

反応閾値モデルの基本的ルール

  1. コロニー内の全てのアリは、タスク毎にコロニー共通の負荷 (例えば餌の枯渇度) を時々刻々感知する。
  2. コロニー内のいずれのアリもタスクを実行しない場合、コロニー共通の負荷は一定の割合で増加し続ける。
  3. コロニー内でタスクを行っているアリの割合に応じてコロニーの負荷は時間とともに、低下する。
    「こんな研究アリですか?」--自然・生命現象モデリング入門

そして肝心なのが、この「負荷」に対して反応するか否かという反応閾値は、個体によって異なるのだ。つまり、反応閾値が低い個体はわずかな負荷で反応するため、常に働くことになる。一方で反応閾値が高ければ少々の負荷で反応しないため、そうそう働かず、予備としての役割となる。したがって、働く気がなかなか起きない人は、自分は反応閾値高い系であると自覚し、いざという時に備えているのだと思えば良い。

いや、俺は予備どころか何があろうとも絶対に働きたくないのだ、と言う人もいるかもしれない。そんな人にもこの本は道を示してくれる。フリーライダーとしての道だ。既存の組織に潜り込み、働かず利益だけを享受していく。その時に注意すべきは感染力、すなわち他の組織へと移れる力をつけておくこと。寄生したがゆえに組織が滅び、自分も共倒れになっては元も子もない。なお、この道を選ぶなら続編にも目を通しておくべきである。



シュメル―人類最古の文明

働くことそのものは別にいい、それよりも社会の古臭い風習に従うのがダメなのだ、という人に勧めたいのがこの本である。

この本は単体で紹介したことは無いが、まとめの一部としてならある。

この記事にも書いたように、シュメルは元ネタの宝庫である。例えばこの前書いた「強い男を色仕掛けで落とす」というネタ、これも元をたどればシュメルに行き着く。その元ネタとは『ギルガメシュ叙事詩』だ。人民に横暴を働くギルガメシュを罰するために、神は凶暴な野人エンキドゥを送り込む。互角の力で決着がつかないと判断したギルガメシュはエンキドゥに娼婦を与え、彼に人間の楽しみを教えこんだ。これによってエンキドゥは野生児から社会人へと、その立場を変えたのである。

ここで「社会人」という言葉を使ったが、最古の都市文明を築き上げたシュメル人は、社会人・文明人であることを重視した民族であった。では、どうあればシュメル人に人として認めて貰えるのか。その答えもギルガメシュ叙事詩に書いてある。

古代メソポタミアの人々はビール、ぶどう酒、蜂蜜酒、なつめやし酒などのアルコール飲料を楽しみ、ことにビールを嗜むことは文明人の証であった。 『ギルガメシュ叙事詩』(古バビロニア版P)では、ウルク市の王ギルガメシュの友人となるエンキドゥははじめ「パンをどのように食べるかを知らず、ビールの飲み方を教えられていなかった」とその野人ぶりが表現されて、エンキドゥはパンを食べ、ビールを飲むことを覚えてようやく人間らしくなったと書かれている。
シュメル―人類最古の文明 (中公新書)

ビールを飲め!
そう、シュメルの社会では人間と認められるにはビールを飲まなくてはいけないのだ。酒を麻薬の一種と考えている俺からすれば今だに信じられないが、現代日本において飲み会は重要な社会人の行事であり、中でもビールは飲んで当然の飲物とされる。いつまでこんな風習を続けるのだ、と俺も思っていた。しかし、その文化がシュメル発祥であると知れば諦めもつく。なにせ今から4千年以上昔の物語で言われているのだ。今さら10年20年程度で変わるわけがない。

飲み会に限らず、ハンコ文化や一週間が七日であるのも、起源をたどればシュメルに行き着く。人間の文明というものは最初からそういうものだ、となればイライラするのもバカらしくなるだろう。そして、過去に遡っても社会人の定義は大して変わらないのだから、今が一番マシであるとも。

ちなみにギルガメシュ叙事詩は日本語訳もちゃんと存在していくので、興味ある人は読んでおくといい。



GO WILD 野生の体を取り戻せ!

とりあえず何もかもヤル気が出ない。そんな人は文明的であるよりも野生的であることが望ましい。そんな人に勧めたいのがこの本だ。

この本を要約するとこうなる。

「意識のもち方をちょっと変えるだけで、すべてがもっとうまく行く」スタンフォード大学の研究者が助言 | ライフハッカー[日本版]

自分自身を大切にする事はとても大切。食生活・睡眠・運動・瞑想を丁寧に実践して心豊かな人生を満喫しよう。

2016/03/04 08:55

はてなネタになってしまうが、俺はこの本を読んだ時、id:xevra先生のことを思い出した。先生の言っているネタはこの本に書かれていることばかりである*2。実はこの本を宣伝するためのbotと言われても驚かない。

そんなこの本の中心にあるのはタイトルにある通り、野生的な生活であれ、ということ。人間の体は昔とそう変わっていない。「昔」というのは5万年前のことだ。さらに言えば我々ホモ・サピエンスが登場した20万年前と比較しても大した差はない。それに比べたら先ほど取り上げたシュメルなんて、たったの5500年前とつい最近の話だ。したがって人間の体というものはその昔、すなわち狩猟生活に最適化されており、文明的な生活では不具合をきたす。その結果が心臓疾患、肥満、うつ病、そして癌といった文明病なのである、と。

これを防ぐために有効なのが、野生に近い食生活・睡眠・運動・瞑想を実践することだ。一見、野生とは正反対に思える瞑想ですら、その本質は狩猟に近い。瞑想は「今、ここ」に注意や意識を向けることであり、それは「気づき」と「能力」をもたらす。その状態は狩人が注意深く辺りを観察し、獲物の隙をうかがうようなものなのだ。

これら野生的な生活は健康だけでなく、社会的な繋がりさえも人にもたらす。脳内化学物質オキシトシンによって。

「他人の誕生日なんて、全然おめでたくない」 レストランでの迷惑なバースデーサプライズ - さようなら、憂鬱な木曜日

アスペは辛いね。オキシトシン点鼻薬を試してみてはどうか。お大事に

2015/11/20 00:31

このオキシトシンである。オキシトシンが分泌されると、人は共感と利他的傾向が強くなる。ラットに投与した場合も同じで、子育てに無関心であったオスのラットが、オキシトシンを投与したとたんに一夫一婦制を守り、子育てに積極的な参加を行った。そしてこのオキシトシンは、運動や贈与などの体験によって分泌されるのである。

そんなオキシトシンの存在を知ると、手っ取り早くオキシトシンを摂取したいという人もいるだろう。しかし注意が必要だ。オキシトシンも麻薬と一緒で、人工的に過剰な摂取を行えば、受容体の感度は鈍る。特に子供の頃から摂取しているとその影響は大きく、大人になった時に通常よりも社会性に乏しくなってしまう。

また、オキシトシンの効果も諸刃の剣である。オキシトシンは身内・同族に対して友好的にさせると同時に、競争相手や部外者に対しては暴力的になるのだ。身内を守るためには余所者を痛めつけることもいとわない。オキシトシンにはそういった、現代の価値とずれた効果もあるのだ。xevra先生がアニオタなど自分の趣味と異なる者に対して妙に攻撃的なのは…… これ以上はやめておこう。

なお、この本の中で度々紹介される『BORN TO RUN』も面白いのでおすすめだ。



宇宙はなぜこのような宇宙なのか――人間原理と宇宙論

休みが終わるのが憂うつである。つい意識が内側へと行ってしまう。そんな人には広い大きい視点を持ってもらいたい。そこでこの本である。この本は俺の持っている本の中でも特にスケールの大きな話が展開される。どれくらい大きなスケールの話であるか、説明図を引用することで教えよう。

我々のいる宇宙ですらインフレーションの海に浮かぶ泡の一つにすぎない。しかもこれはSFではなく、れっきとした科学の話なのだ。さらに言えばこの多宇宙ヴィジョンはある意味でオマケである。このモデルは「物理定数の値がなぜその値なのか」を解き明かす中で作られたのだ。

物理定数と宇宙の全体像は一見何の関係もないように思える。だが、宇宙の形はそれぞれの物理定数が今の値だからこそ今の姿になっているわけであり、物理定数を知るということは、宇宙を知ることに深くつながっているのだ。それをイメージしたのがこのウロボロスである。

さて、このような大きなスケールの話を知って、一体何になるんだという人もいるかもしれない。だがこれが重要なのだ。日頃の思考が生活レベルのこと、仕事程度のことで埋められていると、人間はどうしても相対化して物事を捉えることができなくなる。そこで日常とかけ離れたスケールの話が効く。ライフネット生命会長の出口治明がその著書にこんなことを書いている。

地球のスケールからすれば、人間の文明は地球の表面にこびりついているカビのようなものです。ある人は、水炊きのアクがちょうど私たちが住んでいるプレートのサイズに匹敵すると話していました。


所詮私たちの文明はカビ程度なのだという認識を持っていれば、仕事や職場のことなど、じつに小さなことだと割り切れるのではないでしょうか。地球の歴史に関する教養が、余計な悩みやストレスから皆さんを守ってくれるのです。
人生を面白くする 本物の教養 (幻冬舎新書)

自分が全体に対してどのような位置にいるのか知れば、深刻さは低減される。そして、その「全体」を何にするかによって、その捉え方は大きく変わる。どうせなら地球と言わず、宇宙すらも全体の一部に過ぎない、という考えでいたい。また、この宇宙論では観測選択効果が重要な意味を持つ。宇宙に限らず、日常レベルな世界の見方においても、その結論は観測選択効果の罠にかかって導き出したものではないかと、注意しよう。

なお、この本を読んで多宇宙ヴィジョンに興味を持ったのなら、次に読むべきはこの本だ。



終わりに

連休というものは、まとまった時間を取れる貴重な機会である。インスタント的にではなく、じっくりと考えを消化できるこの時こそ、読書をするべきなのだ。

目的別な本の紹介記事

*1:この反応閾値モデルはあくまでも仮説であると付け加えておく。

*2:とはいえ、何から何まで同じというわけではなく、特に食生活について重視するものが違う。この本では「糖を取るな」というのが第一であるのに対し、xevra先生は「野菜中心にしろ」という主張である。また、後述するオキシトシン点鼻薬については真逆であると言っていい。