読んだ。葬式について思うことがあるので書く。
近頃宗教についての話題をよく見かけましたので僕が2013年11月現在で宗教のことをどう思っているのかメモっとこうと思いました。しかし宗教は大変に込み入った話題で...
自分の葬式を観測したい。
全力で不謹慎にいきたい
以前にこんなことを書いた。
葬式は、要らない (幻冬舎新書)作者:島田裕巳出版社/メーカー:幻冬舎発売日:2010/01/28メディア:新書購入: 24人クリック: 382回この商品を含む...
まず読む前の俺は葬式は必要ないと考えていた。なぜなら死んだ人間より生きている人間のために金を使うべきだからだ。
今もその考えは変わらない。だが、一方で葬式をしてみたいことがある。それが葬式実況だ。お通夜も葬式も火葬も全部実況してネットに流す。どのサイトを使ってもいいけれど、やはりニコ生でやるのが一番面白いだろう。お経を唱え始めたら「サビ来るぞ鳥肌注意」とか書き込んでもらいたい。そして葬式の内容もひどくバカバカしいものにする。故人の紹介をKeynoteでAppleっぽくやり、解剖すればiFixit風に発表する。「接着が多数使われ非常に複雑。修理は不可能と断定。」思いつく限りのふざけた内容を詰め込んでいきたい。
葬式でふざけるとバチが当たると思う人がいるかもしれないが、そんなことあるわけがない。しばらく前に、お守りをハサミで切れるかなんて話題があったが、余裕だろ。俺は神仏をバカにして、神様の名前を書いたお札で尻を拭いた奴を知っている。そいつはその後、自分自身がお札になりやがった。学問を薦めてくるアイツのことだ。そんなわけで俺はバチなんていう存在しないものを気にせず、お葬式で盛大に不謹慎なことをやってみたい。
人が怖いから自分ので
しかしここで問題がある。俺は天罰なんて恐れていないが、人は怖い。家族のでも友人のでも葬式でそんなことをしたら、その後の生活がまともに送れるか怪しい。それどころか恨まれるかもしれない。もちろん生きた人間にだ。死んだ人間は俺に手も足も出ないが、生きている人間は手も足も包丁も出せる。それに俺はふざけるのは好きだけど人を悲しませるのは好きじゃあない。だからやれる気がしないのだ。
だが唯一俺の好きなようにできる葬式がある。それは俺の葬式だ。遺言で俺の葬式はネットで生中継してくれとしておけば、たぶんやってくれるだろう。主役が望んでいるのだから文句を言える奴はいないはずだ。仮に文句を言おうとしても無理だ。なぜなら相手は既に死んでいる。葬式を真面目にやれという奴に死者を冒涜出来るだろうか。いやできまい。完璧な作戦だ。俺がその様子を見れないことに目を瞑れば。
どちらかが死んで どちらかが生き残る
そう、どんなに面白いことをやっても俺の葬式である以上、俺自身はそれを見ることができない。しかも残念なことに俺は神様と同様に幽霊を信じていない。だから魂の状態で見るなんていう希望にすがることすらできない。なんという皮肉だろう。
だが俺はこの問題を解決する画期的な方法を思いついた。こんな他人から眉をひそめて見られそうなことをわざわざ記事にしたのはこのためだ。というわけで言おう。ここまでコレを読んで俺に共感できる人いたら教えて。遺言で、お互いがお互いの葬式をプロデュースできるように書いておこうぜ。