前回からマナーについて考えていた。そして結論に達した。もうこれ以上マナーを作るのはやめよう。
呪いを増やすことになる。
前回書いたこの記事。
読んだ。次の戦隊に備えて口をはさもう。10年前の高校生が解説する「なぜ電車内の通話がダメなのか」俺は電車内で通話を出来るようにすべきだと思っている。もはや残骸と...
これで言及した記事にこんなのがあった。
元記事のブコメで、「マナーは呪いだ」という意見があった。
しかし、繰り返しになるけど、マナーというのは「赤の他人と、同じ空間をいかに共有するか」ということだ。
それを「呪い」としか思えないのなら、他人と同じ空間を共有しなければいい。外に出なければいい。と僕は思う。
これを読んで呪いとは上手いことを言うなと思った。俺も同意したのでマナーや礼儀といったマナーが呪いである理由を説明するとともに、それを解く方法も考えたいと思う。
ルールは呪い
なぜ俺がマナーを呪いと思ったか。それは思い込みに人々が束縛され、苦しんでいるからだ。考えてもみて欲しい。陽炎が立ち上る猛暑の中、皆が防寒具をつけて「暑い、暑い」と汗を垂れ流す。そして暑いから室内を必要以上に涼しくしようとする。もっと涼しい格好をすればいいじゃないかと言うと、「こうしなければいけないから」と言ってそのままでいる。そこにいる全員が外したいと考えていても、自らの意志で解くことはできない。外部の人間から見ると頭がオカシイとしか思えない。だがこれはビジネスマナーに欠かせないもの、ネクタイの話だ。外したいのに外せないとか完全に呪いのアイテムだろアレ。
マナーは「相手を思いやる気持ち」らしいが、明文化された途端に気持ちは消えて結果だけが残る。ネクタイは防寒具として生まれた後、戦場へ行く兵士たちのために妻や恋人たちが無事を祈って付けさせたお守りになったという。それが現代になって温帯な気候のビジネスマンを苦しめている。誰かの幸せを祈った分、他の誰かを呪わずにはいられない。ネクタイとはそういう仕組みだったのだ。
因果の逆転
呪いは受けた側が「呪われた」と思い込むことで効果を発揮する。マナーも同じだ。マナー違反などの行為が無礼な行為であるのは、それによって人を不快にさせるからではなく、「無礼な行為と定義されているから不快になる」という具合だ。昔は意味があったものでも今ではそれが無意味になっていることもある。しかし一度かけられた呪縛からは逃れられないのだ。
この手の例として俺が好きなのは着物の着方の話だ。少し前にこんな話があった。
【鬼女】紗栄子がブログで着物の着方を間違え炎上するも、ただ写真が反転していただけでしたw
たかが和服の着方、それも左右が逆になっただけでえらい叩かれようだ。みんな疑問に思わないのだろうか。なぜ左前がいけないのだと。今では死者に着せるのが左前だからとなっている。だから縁起が悪いと。だがもともと和服は左前とされている。高松塚古墳の壁画では男女ともに左前だ。それが死者の着方となってしまったのは以下の説が有力らしい。
- 弓を引くとき左前のほうが袂に引っかからなくて安全
- 1より古代の騎馬民族は左前にしていた
- 2の騎馬民族と古代中国(唐)は敵対していた
- 中国では騎馬民族との差別化として逆=右前で服を着た
- 奈良時代の日本にとって中国は手本
- 中国に蛮族扱いされたくないので、右前にしろとのお達しが下る
- 生者が右前なので死者が左前になる
- 死者が左前なので生者が左前に着ると怒られる ←今ココ
もう今となっては本来の理由なんて意味をなさない。現代において「中国に馬鹿にされるから右前に着る」なんて人がいるだろうか。しかし理由がなくなっても右前になるしかない。まさか当の騎馬民族の連中も、1000年以上後の外国に影響をおよぼすなんて思いもよらなかっただろう。だがこのように無意味となっても人々の行動を制限し続けるのが、マナーや礼儀といったものの恐ろしいところだ。
ナプキンをとれる人
呪いを解くのが難しいように、すでに広まったマナーや礼儀といったものを覆すのは非常に難しい。それがどんなにクソだとしても。ゲームなどで呪いを解ける人間が限られているように、マナーを変えることが出来る人間も限られる。例としてナプキンを出そう。
どっちをとるか / STEEL BALL RUN vol.16―ジョジョの奇妙な冒険Part7 (16) (ジャンプコミックス)より
この質問の答えはこうなっている。
正解は『最初に取った者に従う』
最初に取ったのが左なら全員左を、右なら全員右を取るしかない。そして最初に取る者はその場にいる中で最も偉い人間となっている。マナーや礼儀というものは相手に敬意を払うものなので、変えることが出来るのは払われる人間だけといことだ。下っ端がどんなに訴えたところで、上が良しとしなければ変えることはできない。
最初に上げた例のネクタイもこれが当てはまる。近年はクールビズとやらのお陰で付けなくても済むようになってきた。だがそれはどうして可能となったか。平社員で付けない人が増えたから?違う。トップの人間が外し、真似するようにと号令をかけたからだ。同じことを下の人間がやっても「常識の無い無礼な奴」という扱いで終わる。和服の右前だって結局は尊敬される国に右へ倣えって話だ。変えたければ自分が偉くなるしかない。
未来の為に
さて、今までのように「マナーや礼儀がクソだ」みたいなことを言っているとだいたいこう返される。「そんなにマナーが嫌で無意味なものなら無視すればいいじゃん。他人に変人扱いされて不利益を被るだろうけど。」腹立たしいがその通りだ。この手の話で俺が一番気に食わないのが「非合理的なものでも従ったほうが合理的」ということだ。しかも上で書いたように変えるのは困難。協力な呪いにはヘタに抵抗しないほうが得策なのだ。
だが、俺みたいに下っ端の人間にもできることがある。それは新たなマナーが生まれるのを阻止することだ。呪いを止める一番いい方法は、唱えた時に打ち消すこと。魔女なら使い魔の時点で倒すこと。これはマナーも同じだ。早い段階で潰すしか無い。
ネットを見ていると新しいマナーがポコポコと生まれてくる。かつてこんなのがあった。
強要されても困るTwitterの俺ルールとその反応まとめ - NAVER まとめ
幸いにも育つ前に消えたが、今でもどこかで変なマナーが生まれようとしている。だから俺は言いたい。未来の人達が呪われないためにも「気軽に新しいマナーを作るのを止めよう」と。チャンスは効果が出る前の今しかない。