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二つの英雄伝に学ぶ、嫉妬から身を守る方法

古代ローマの作家コルネリウス・ネポスは、ギリシアの英雄を紹介する中でこう書いた。

実際、栄光に妬みがともなうことは自由な大国に共通の悪癖である。ひとは眼前に自分より高くそびえる者を貶すのが好きで、貧乏人は裕福な他人の幸運を見ると平気ではいられないのである。
英雄伝 (叢書アレクサンドリア図書館)

そのような民衆から英雄達はどのように自分の立場を守ったのか。
二つの『英雄伝』からその方法を紹介していく。

英雄と妬み

「出る杭は打たれる」という言葉がある。昔から人気の言葉であるが、最近だと意識が高い人を擁護する記事でよく見かける。そして、日本はそういう国であるとも一緒に書かれやすい。だがこれは日本特有のものではない。冒頭で紹介したように、遠い昔の遠い国ですら同じように成功者は妬まれるのだ。ならば妬みへの対処は経験ではなく、歴史から学ぶべきである。

成功者への妬みというと、ここはやはり古代ギリシアだろう。なので今回用いる本は古代ギリシアの英雄について書かれた二つの『英雄伝』だ。

一つは別名『著名な人々』ことコルネリウス・ネポス著作。

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もう一つは別名『対比列伝』ことプルタルコス著作。

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この『英雄伝』から、周囲の嫉妬にはどのように対処すべきか学ぶことができる。

死者を利用する ― エウメネス

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最初は『ヒストリエ』主人公にしてアレクサンドロス大王の書記官、カルディアのエウメネスである。

今さら説明するまでもないが、彼の経歴について簡単に書いておこう。エウメネスは外国人であるが若い時にフィリッポス二世に気に入られ、マケドニアの書記官となる。フィリッポス亡き後は、アレクサンドロスの下で引き続き書記官として働き、さらには文官でありながらヘタイロイの指揮すらも任せられた。そしてアレクサンドロスが亡くなると、後継者戦争の主要なプレイヤーとしてその身を戦いに投じることとなる。

エウメネスには他のディアドコイよりも不利な点が2つあった。1つは外国人であるということ。もう1つは文官出身であるということ。いくら有能で大王と親しくあったとはいえ、プライドの高いマケドニアの貴族たちは彼に従うことを良しとしなかった。そこでエウメネスは知恵でその問題に対処した。

アンティゴノスと戦う時、エウメネスに味方するマケドニア貴族も多くいた。だが前述の理由により、エウメネスが最高指揮官となるのは具合が悪い。そこでエウメネスは今は亡きアレクサンドロスの名で本営にテントを張り、内部には黄金の玉座を設置した。そして会議はこの「大王のテント」で行うことにしたのである。これにより表向きの最高指揮官はあくまでも大王であり、エウメネスは将軍の一人という立場を手に入れたのである。もちろんエウメネスのテントは大王のテントのすぐ側に設置し、実質の最高指揮官はエウメネスであったのは言うまでもない。

他にもエウメネスはあえて部下たちから金を借りる*1など、様々な手段を用いてその身と地位を守ろうとし、その効果はあった。だが最終的には部下に裏切られ、マケドニア貴族たちの嫉妬によって殺される。プルタルコスは、エウメネスは人望ではなく実績によって頂点を目指したために敵が多かったと書いた。知恵だけで身を守るのは難しいのかもしれない。

全てを差し出す ― ティモレオン

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By Published by Guillaume Rouille(1518?-1589) - "Promptuarii Iconum Insigniorum ", Public Domain, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=8682519

知恵や権力ではなく、人望で事柄を獲得したのがコリントスのティモレオンである。

ティモレオンは自由のために戦った人であり、シチリア島の解放者である。当時シチリア島では独裁を目指す者同士の争い、さらにカルタゴが大艦隊を率いて攻めてきていた。住民達から助けを求められたティモレオンはシチリア島に渡り、まず独裁者達を打ち破り追放。その勢いで7万のカルタゴ軍にわずか6千の軍で勝利し、シチリア島に平和をもたらした。ティモレオンは復興にも力を尽くし、彼こそがシチリア島の真の建国者と呼ばれるようになったのである。

最終的に歴代の独裁者よりも権力を手にしたティモレオンであったが、彼は早々にその立場を放棄する。彼は恐れられる君主であることよりも、愛される一市民であることを望んだのだ。マキャベリが聞けば罵倒しそうな選択であるが、それは賢明な判断であったとされる。何しろ彼は何も失うことはなく、権力は無くとも権威はそのままであったために、重要なこと全てに彼の意見が求められたのだから。そして、不届き者がティモレオンを批判することがあっても、誰であろうとも批判できる自由のために私は戦ったのだと、ティモレオンは言ったのであった。

言ってしまえばティモレオンは全てをあえて差し出したことで、全てを得ることが出来た、ということだろう。古代ギリシアにおいては、多くの英雄がその権力を妬まれ狙われ、批判にさらされることになる。事実、権力を手放したティモレオンですら、落ち度が無いのにもかかわらず告訴されたほどなのだから。しかし、持っていなければ失うことは無く、権威が落ちることもない。特に使う必要がないのなら、早々に手放すべきだろう。

ティモレオンの生存戦略を見ると、『ヒストリエ』にも登場するフォーキオンを見る目も変わってくる。

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頼まれれば指揮をとるが、日頃は財産を蓄えることもなく、一般市民としての生活を送る。これはフォーキオンの好みの結果と言うよりも、攻撃を受けないための自衛手段であったのではないかと思う。

逆に考える ― エパミノンダス

やるべきことがあるのなら、権力を保持したまま身を守る必要がある。そんな時はテーバイのエパミノンダスが参考になる。彼はティモレオンが対抗意識を燃やした人物でもあった。

エパミノンダスと言うと斜線陣を考案したことで有名である。その戦術は人質としてテーバイに滞在していたフィリッポス二世が継承し、アレクサンドロスがこれを持ってペルシアを打ち破ることになる。

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この斜線陣はスパルタを倒すために考案されたものであり、エパミノンダスの人生を語る上でスパルタを外すことはできない。当時スパルタはギリシア最強の国家であり、全ギリシアの支配を目論んでいた。スパルタ率いるペロポネソス同盟軍との対決で、エパミノンダスは少数精鋭のスパルタ部隊に斜線陣による集中攻撃を仕掛けて打ち破る。これによってスパルタに代わりテーバイがギリシアの覇権を握ることになった。

さらにエパミノンダスは逆にスパルタを攻めることを決意し、自ら軍を率いてペロポネソス半島に攻め込んだ。そしてエパミノンダスはこの時に一つの法を犯す。期限が切れた指揮権の保持である。テーバイでは法で定められた期間以上に指揮権を保持していた場合、その者は死刑になるとされていた。エパミノンダスは自分以外が指揮官となると軍が全滅すると考え、違法であると分かった上で手放さなかったのである。

帰国後、エパミノンダスは裁判にかけられる。普通なら罪状を否認するだろうが、エパミノンダスは逆であった。むしろ罪状を追加しろと迫ったのである。その罪状とは「スパルタを打ち破ったため。また、テーバイ人を破滅から救い、全ギリシアに自由を取り戻したため。さらにメッセナを再建し、スパルタを包囲したためである。」というもの。その結果、誰一人として有罪判決を下す者はいなかった。

このようにエパミノンダスほど弁説が巧みであると、法を犯しても刑の執行を免れ、栄誉のみを手にすることができる。もちろんエパミノンダスの場合はあくまでも国の為を思っての違法行為であり、それによって上手く行ったからという点を忘れてはならない。また、エパミノンダスは買収を持ちかけられた時は断るだけでなく、その工作員が無事に帰れるよう手配したという。日頃から高潔で信用される人間であったためにできたことである。

理解者の下へ ― テミストクレス

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By Ernst Wallis et al - own scan, Public Domain, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=11587213

国を救い、そのことを訴えたとしても、ダメなこともある。そんな時は早々に逃げるべきだ。アテナイのテミストクレスのように。

『ヒストリエ』でアテナイの海軍についてこんなセリフがある。

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もともと他のギリシア国家と同様、重装歩兵による陸軍が主体であるアテナイを海戦がお家芸とまでに変えたのが、このテミストクレスである。そして第二次ペルシア戦争は徹頭徹尾、この男の描いたとおりに行われた。

マラトンの戦いでギリシアが勝利に湧き上がる中、テミストクレスだけは次の戦いを想定していた。本気になったペルシアの陸軍には勝てないと考えた彼は、勝機を海戦に見出す。対アイギナ用と偽って*2、公金によって百隻の三段櫂船を作らせ、さらに海賊討伐を訓練に利用し、市民を水兵として鍛え上げた。そしてついにペルシアが攻めてくると、テミストクレスは金と口で指揮権を手にする。

神託さえも利用したテミストクレスは、サラミス水道を決戦の舞台に選ぶ。ここは狭い海域で、ペルシアは数の利を活かすことが出来ないからである。サラミスに船を集結させた後、テミストクレスは敵であるペルシアの王クセルクセスに使いを出す。今がギリシア連中を一網打尽にするチャンスですよ、と。そしてまんまとやってきたペルシアを、自慢の水軍で徹底的に叩きのめしたのである。

敗北し、意気消沈したクセルクセスに対してテミストクレスはさらに使いを出す。あなたがギリシアに渡るために建設した船橋を、ギリシア軍が破壊するという動きがあるので撤退するのなら今しか無い、と。敗北して恐怖に囚われたクセルクセスは脱兎のごとくアジアへと逃げ帰った。こうしてギリシアはテミストクレスによって、ペルシアの侵略から守られたのである*3。これだけのことを成し遂げたテミストクレスが、映画ではただのマッチョになっていたのは歴史の謎という他ない。

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全ギリシアの英雄となったテミストクレスはその後、経済的な面でもその偉大な頭脳を働かせ、アテナイを繁栄に導いた。しかし時が過ぎれば状況は変わる。敵がいないのならば英雄は不要である。かつてテミストクレスの父親は浜辺に打ち捨てられた古い三段櫂船を息子に見せ、民衆指導者はというのも同じで、使いみちがなくなれば大衆はこれと同じ態度をとるのだと言った。テミストクレスはむしろ厄介な存在となったのだ。

その結果、テミストクレスは陶片追放され、さらにはペルシアとの内通の容疑をかけられ、裁判にかけられることになったのである。テミストクレスは説得が無駄だとわかると、各国を転々と逃げることになる。行く先々でギリシアの英雄ともてはやされたテミストクレスであったが、ギリシアに留まる限りアテナイからの追手は逃れられない。そこでテミストクレスは大胆不敵にもかつての敵国、ペルシアへの亡命を行う。かつてペルシアを破ったのはこの私だが、王が撤退できたのもこの私のおかげである、と言って。

代が変わり、新たなペルシアの王であるアルタクセルクセスは、テミストクレスを手厚くもてなし、三つの街の長官に任命した。自分の父親を負かしたテミストクレスの価値を、誰よりも分かっていたのである。こうしてテミストクレスは王と友好を深めながら、幸せな余生を過ごす*4。有能な人は、自分の価値を認めてくれるところに行くべきなのだ。

終わりに

『英雄伝』はどちらも以前に取り上げたことがある。

2回とも『ヒストリエ』をテーマに紹介したので、今度は別の視点で取り上げたいと思って書いたのがこの記事である。結局、どの人物の紹介にも『ヒストリエ』のコマが挟まれているのだが。ともあれどちらの『英雄伝』も面白いので、この時代に興味のある人はぜひとも読んでもらいたい。

ただ一つ難点を挙げると、どちらも買うのが少々難しい。ネポスの方は古いために新品は在庫切れで入荷未定。プルタルコスの方は1冊5千円前後する上に全6巻なので、あまり気軽に買えない。そこで代替案としてこの本を薦める。

言わば日本人による『英雄伝』である。値段もそうだが、ローマ人が書いたのに比べて格段に読みやすい。第1巻は民主制の誕生とペルシア戦争がテーマである。何より表紙は今回取り上げたテミストクレス。このブログを読む人ならば必読だ。

*1:エウメネスの身に何かあると貸した金は戻ってこない。そこで貸し手は自分の財産のために、エウメネスの身を守ろうとする。あのカエサルもその膨大な借金によって保証を獲得していたが、エウメネスはその200年以上も前にやっていたのだ。

*2:対ペルシアというと現実味が無いので、当時アテナイと敵対していたアイギナ用としたのだ。アイギナは船の数で海を制していた。

*3:厳密に言えば、ペルシア陸軍はまだ健在で、年を明けてからの戦いがまだ残されている。だが、最高指揮官であるクセルクセスが逃げた時点で勝負は決まったようなものだ。

*4:後にギリシアを攻めろと王に言われ、悩んだ末に自殺したなんて噂もあるが、ネポスはデマだと書いている。