読んだ。このブログもたぶん書評ブログなので俺も書く。
私はよくこのブログで、書評のような感想文のような、得体の知れないものを書いています。*1そんな中で先日、内田樹の『村上春樹にご用心』を読んでいる途中で、書評に関...
自分でも忘れそうになるが、本来このブログは書評ブログだ。書評を書くためにこのブログを作ったと言っていい。だが最近いろいろ記事を書いている雑多なブログになっているので、いい機会だから書評と自分のスタイルについて書く。
良い書評とは
良い書評とは何かって感じの記事は以前にも書いた。
イシューからはじめよ―知的生産の「シンプルな本質」作者:安宅和人出版社/メーカー:英治出版発売日:2010/11/24メディア:単行本(ソフトカバー)購入: 4...
この時はこんなことを書いている。
この記事やブコメなどを見ていくと、良い書評というのは本のあらすじよりも自分の意見・感想が多く書いてあるものらしい。もちろん、一番いいのはその本が読みたくなる書評だが、書評そのものをコンテンツとして捉えるならばやはり個人の主観が重要だということだ。
自分でも客観的に判断できるので、自分の意見・感想が多く書いてあるのを『良い』として話を進めた。だが本当に良いのは元記事や俺自身が言っているように、書評を読んだ人がその本を読みたくなるのが一番いいだろう。従ってまだ読んだことのない人を対象としているのが前提となる。既にその本を読んだ人でも楽しめるに越したことはないが、やはり未読の人を対象とすべきだろう。アフィリエイトの観点から言っても合理的だ。
ターゲットは俺
読んだ人がその本を読みたくなるのが良い書評だとは言っても、自分の書評が良い書評かどうか判断するのは難しい。人によって興味は異なるし、本を買うきっかけも異なるだろう。本の種類によってある程度ターゲットを絞り込めるかも知れないが、それでも何がきっかけで本を読むか予測し、それを書評に反映させるのは難しいだろう。
だから俺は完全に自分をターゲットにしている。俺が本を買うときの理由を考え、仮にまだこの本を読んでいない場合どんな紹介のされ方だったら買うだろうと考えて書くのだ。そうすれば俺に似た奴はその本を読みたくなるだろうし、俺に似ているから読んでよかったと思う確率も高いだろう。これで俺も方針がはっきりしていいし、本を買う人も外れる確率が低くなっていい。俺の書評が合わない人は…… そもそもこのブログを見ないから問題ないだろう。一度くらいは目に入るかもしれないが、それは事故として処理しよう。
現実と虚構の交差点
そしてその結果がいつもの書評だ。毎回のようにマンガやアニメを持ち出すのはネタとしてやっているわけではない。何度か書いているが、俺は基本的にマンガやアニメをきっかけとして本を読む。アレに出ていたことは本当か知りたいとか、元ネタを知っておきたいとかそんな理由だ。逆に本を読んでいても、これってあのマンガに書いてあったなとか考えている。なので俺に本を薦めるとしたらで書くとあんな感じになるわけだ。
結局のところそれで書評を読んでもらえているのかと言うと、狙い通り俺と似た考えの奴が来ている。最近書いた中ではこの記事がそれで上手くいった例だ。
波紋と螺旋とフィボナッチ: 数理の眼鏡でみえてくる生命の形の神秘作者:近藤滋出版社/メーカー:学研メディカル秀潤社発売日:2013/09/13メディア:単行本こ...
あとこの方法で書評を書くと起こりえるのが、何かで登場したキャラの元ネタを知りたくてこのブログにたどり着くというパターンだ。こういうのは正に俺と似たタイプなのだろう。わざわざ書いただけのことはあったということだ。
というわけで何度目かの書評についての記事を書いたが、あらためて思う。ブログ書いていると本を読む時間が減る。