本しゃぶり

骨しゃぶりの本と何かを繋げるブログ

当ブログではアフィリエイト広告を利用しています

『エロマンガ先生』の限界と『ダビデ像』

これから「性器」の話をしよう。
芸術と表現について考えるために。

とはいえ中学生でも読める内容なので安心して欲しい。
中学生はそういう話が大好きだからな。

『エロマンガ先生』第2話より

『エロマンガ先生』最終話

『エロマンガ先生』の最終話を見た。

誰かが「これは『俺妹』の大型アップデートパッチだ」と言っていたが、最後まで見た上で同意する。特に「妹のかわいさ」に関しては、刀を鍛え研ぐように完成度を高めてきている。人気が出るべくして出たと言えるだろう。

『エロマンガ先生』EDより

だが、最終話で一つだけ残念な点があったので、それについて書く。

最終話でエロマンガ先生こと紗霧は、自身の作品の「薄い本」を書く。それについて読んだ感想を求められた兄の正宗は、重大な欠点をどう指摘するか苦悩する。それは「男性器の形状位置が間違っている」ということであった。

『エロマンガ先生』第12話より

残念ながらアニメでは該当の箇所にモザイクがかかっているので、我々はどのように間違っていたのか確認する術は無い*1。ともあれ正宗は妹に対してミスをはっきりと指摘することができず、口で説明でないなら本物を見せろと妹達に襲われた。

最終的に場を収拾したのは、ムラマサ先輩の描いた1枚のイラストであった。彼女はその画力を持ってあるべき姿を示したのである。

『エロマンガ先生』第12話より

ルネサンス期の天才芸術家ミケランジェロの傑作『ダビデ像』である。

David von Michelangelo.jpg
By Rico Heil (User:Silmaril) - private photo, CC 表示-継承 3.0, Link

世界で最も有名な裸体像なだけなことはある。その見事な造形は、たとえスケッチとなっても規制することはできなかった。

しかし俺はここで引っかかった。なぜダビデ像は許されるのに、紗霧の描いたエロマンガにはモザイクが掛かるのか、と。

芸術カースト

性器は規制されやすいモチーフであるが、それは表現方法や対象によって程度が異なる。では以下の場合、どちらが規制されやすいと思うだろうか。

項目 A B
表現 写実的 記号的
形状 正確 不正確
位置 正確 不正確
モデル 実在の人物 架空の人物

順当に考えれば規制されやすいのはAである。しかし、実際に規制されたのはBの方であった。

それは当然だろ、と言う人は少なくないと思う。ダビデ像は芸術品であるがエロマンガはポルノにすぎないのだから、と。

確かにダビデ像は由緒正しい歴史ある芸術品である。世界中の誰もが知っていて、芸術的な裸体像であると認知されている。そんなダビデ像の性器は「公然たるべき男性器」と言えるだろう。むしろ隠そうとする方が頭のおかしい人と思われる。

では対して紗霧のエロマンガはどうだろうか。あれは作中でも人の手によって描かれたものである。断じて写真ではない。しかも位置や形状が間違っていることから、何かをモデルにしたわけでもない。彼女の想像の産物である。そこにあったのは「観念上の男性器」を表現したものなのだ。これこそ芸術と言えるのではないか。

『エロマンガ先生』第12話より

それでもダビデ像のは公開できる男性器だが、紗霧のエロマンガのは非公開すべき男性器と言うのなら、やはり芸術カーストと呼ぶべきものがあるように思えてならない。ダビデ像のようなバラモン級の作品 は人前に出すことができるが、エロマンガのように芸術と認められないアチュートは、何かしらの規制を必要とするのだと。

世間への反攻

このような内容を書くと、お前はそこまでして見たいのか、と言い出す人が出てくる。俺も他の作品だったらこのような記事は書かなかっただろう。しかし『エロマンガ先生』ならば話は別だ。今まで積み上げてきたものがある。

紗霧の同級生であるめぐみはライトノベルのことを当初「キモオタ小説」と呼んでいた。

『エロマンガ先生』第6話より

彼女に悪気は無いが、完全にライトノベルを下に見た言い方だ。しかし読んでみると即落ちし、次はまだかと文句を言うまでになる。

『エロマンガ先生』第6話より

『エロマンガ先生』は、世間的なイメージは悪くとも、好きなものを貫き通す者達の物語である。そして最初は反発していても、その良さが分かるならば仲間であるのだと。故にエロマンガを素晴らしいと思うならば隠すのではなく、堂々とさらすべきなのだ。少なくとも視聴者に対しては。

また、山田エルフの存在がある。彼女は3話で「全裸こそが神が人に与えた最も自然な衣服。全裸こそが最上なのよ」と言った。だからヒロインが登場する時に全裸なのだと。

参考:なぜラノベ原作ヒロインは3分以内に脱ぐのか

さらには編集者に対して「私こそがライトノベル界の救世主。否、私がライトノベルよ」と宣言した。

『エロマンガ先生』第2話より

ならばこれを受けて紗霧も言うべきであったのだ。自分が好きなエロマンガは素晴らしいもので、隠す必要は無いのだと。そして、私がエロマンガである、と。

『エロマンガ先生』第1話より

でも、そうはならなかった。そこまで徹底することはできなかったのだ。それが『エロマンガ先生』の限界であり、残念な点なのである。これさえ貫き通せていたら完璧だった。まあ、問題となって二期が無くなるよりはマシだが。

ダビデ像のウソ

そんなわけで惜しかった最終話だが、一方で男性器の見本としてダビデ像を持ち出したのはネタとして優秀だったと評価する。なぜならダビデ像の男性器こそ本来の姿と異なることで有名だからだ。

ダビデは古代ユダヤ人の王である。そしてユダヤ人は割礼を施さなくてはいけない。

あなたたち、およびあなたの後に続く子孫と、わたしとの間で守るべき契約はこれである。すなわち、あなたたちの男子はすべて、割礼を受ける。
新共同訳 創世記 17章 10節

これはユダヤ人にとって必須のことである。かのイエスも割礼をしており、そのシーンは絵画にまでなっている。

Guido Reni 027.jpg
By Guido Reni - The Yorck Project: 10.000 Meisterwerke der Malerei. DVD-ROM, 2002. ISBN 3936122202. Distributed by DIRECTMEDIA Publishing GmbH., Public Domain, Link

もちろんダビデも割礼をしている。なにせ敵対する相手を「無割礼の」と呼ぶくらいなのだから。

ダビデは周りに立っている兵に言った。「あのペリシテ人を打ち倒し、イスラエルからこの屈辱を取り除く者は、何をしてもらえるのですか。生ける神の戦列に挑戦するとは、あの無割礼のペリシテ人は、一体何者ですか。」
新共同訳 サムエル記上 17章 26節

ではミケランジェロのダビデ像はどうなっているか。

完全に包茎である。

こうなっている理由として「ダビデはダビデ王ではなく別のダビデがモデルだ」とか「古代ギリシアの美術を模倣したから」など諸説あるが、少なくとも聖書に書かれたダビデ王のとは異なるという点に間違いはない。もしダビデ王がこの像を見たならきっとこう言うだろう。

俺のムスコがこんなに可愛いわけがない

似たような記事

*1:BDでモザイクが無くなる可能性はまだ残っているが。