本しゃぶり

骨しゃぶりの本と何かを繋げるブログ

当ブログではアフィリエイト広告を利用しています

豊かな生活を求めた結果にゃんぱすー / “里山資本主義 日本経済は「安心の原理」で動く”

[asin:4041105129:detail]

都市ではなく、里山のある田舎に住む者が賢いという時代が来ているのかもしれない。

f:id:honeshabri:20140406165144j:plain

のんのんびより 1 (MFコミックス)より

この本は現在の日本を支配している都市的な考え方 = マネー資本主義だけに頼るのではなく、田舎的考え方である「里山資本主義」を取り入れることが人々の生活を豊かにし、更にはエネルギー問題の解決にも繋がるのではないかと主張している。

なぜ「里山資本主義」とやらで豊かになれるのか。これを理解するには、終了時に多くの難民を産んだと言われる『のんのんびより』を見ればわかるだろう。その描写の素晴らしさは二期が決まっただけのことはある。

都市とマネー資本主義の問題

切れたら終わり

田舎の良さを語る前に、まず都市の問題からこの本は始める。本来田舎より都市のほうが効率的で優れているはずだ。人々を一箇所に集めることで無駄な移動を減らし、一つの施設で多くの人に対応できる。実際のところ環境にやさしいのは田舎より都市のはずなのだ。しかし一箇所に集中させることにより問題も生まれる。

都市の基本戦略は専門化と金銭取引にある。それぞれが得意な事に特化することで生産性を高め、それによって稼いだ金で必要な物を手に入れる。そのほうが全体の利益が高まるというこれはリカードの「分業の原理」というやつだ。だがこれには流通が切断されると全てが止まるというリスクを持つ。あの3.11では正にそれが起き、店からは商品が消え去った。専門化というものはあくまでも全体で一つなため、繋がりが切れると機能しなくなってしまうのだ。

今日も明日も頑張らないと

さらにこの戦略の問題は、上手く回っていても個人はラットレースのごとく走り続けるハメになるということだ。そんな状態になった人をこの本では以下のように説明している。

もっと稼がなきゃ、もっと高い評価を得なきゃと猛烈に働いている。

f:id:honeshabri:20140406190740p:plain

賭博黙示録カイジ(1) (ヤングマガジンコミックス)より

ご飯を作ったりしている暇などない。だから全部外で買ってくる。

f:id:honeshabri:20140406191000p:plain

賭博黙示録カイジ(1) (ヤングマガジンコミックス)より

もらっている給料は高いかもしれない。でも毎日モノを買う支出がボディーブローになり、手元にお金が残らない。

f:id:honeshabri:20140406191417p:plain

賭博黙示録カイジ(1) (ヤングマガジンコミックス)より

この流れから脱出するにはどうすればいいのか。その答えが里山にあるのだ。

ヤマノススメ

日本は山の国である。大小様々な山があるが、ここで注目するのはタイトルにもあるように里山である。個人が所有するような小さな山だ。

f:id:honeshabri:20140406191906p:plain

のんのんびより 5 (コミックアライブ)より

山からリソースを

里山の活用としてる例として取り上げられていたのは広島県庄原市と岡山県真庭市だ。どちらも共通して言えるのが里山から燃料と食料を調達するということ。この2つが自前で賄えるというのはかなり重要だ。ある地域における金の流入量を「域際収支」と呼ぶのだが、田舎の県ではこれがマイナス (赤字) となりやすい。金が県外へと流出しているのだ。これが赤字1位の高知県の場合、流出の内訳を見ると燃料が1番、飲食料品が4番となっている。これを減らすことが出来るのだ。

里山から採れる食料は山菜を始め、キノコや魚、場所によっては鹿や猪も食べることが出来る。さらに地元の農産物を活用すれば食費は殆どかからない。しかも新鮮この上ない。そしてこれは燃料費や住宅費にも言えることだが、過疎が進んだおかげで入手できる資源に対して人口が少ないのが効いている。人口が少ないのも悪いことだけではないのだ。

f:id:honeshabri:20140406195843p:plain

のんのんびより 5 (コミックアライブ)より

小さな薪で大きな火力

しかしせっかくの燃料 = 薪も上手く活用できなければ意味が無い。仮に俺が薪を手に入れたとしても傘立てに放置するハメになるだろう。そこで薪を有効活用するためにこの本が推しているのがエコストーブである。エコストーブとは灯油を入れるペール缶の側面に、小さなL字形のステンレス製の煙突を付けたものだ。以下の映像を見ればわかる。


田舎暮らしの必需品高火力エコストーブ - YouTube

このエコストーブはやたらと燃焼効率がいいらしく、通常の薪ストーブの3倍という見解もある*1。しかも手作りでき、制作費も5,6千円程度だという。そしてこれで炊いた飯はうまいというのだから言うことなしだ。これを都市で行うなら色々と無理があるが、田舎で使うぶんには問題ない。キャンプとかが好きな人には理想的な生活になるだろう。

あげてもらって

続いて重要な要素となるのが金を介さないやりとりである。これについては里山というより田舎の人付き合い的な話だが、田舎で豊かに暮らすなら重要なことだ。上記の話にも言えることなのだが、田舎ではいかに金を消費しないか、正確には町の外に出さないかというのが重要になってくる。田舎で金を稼ぐのは難しく、それも外から持ってくるのはかなり厳しい。そのため都市と同じように金を使うと、金がどんどん流出していき貧しくなってしまう。

コストゼロ

だが工夫で金の流出を減らし、無料で物を手に入れることができれば収入の絶対額が少なくても豊かに暮らすことは可能だ。ほんとうに必要なのは金そのものではなく燃料や食料なのだから。この「無料で手に入れる」を合法的に実現する方法は存在する。おすそ分けである。

f:id:honeshabri:20140406205119j:plain

のんのんびより 4 (コミックアライブ)より

のんのんびより放映時に俺も干し柿を食べたくなった。が、俺に柿を送ってくれるような人はいないのでスーパーで購入。9個で680円。一方のんのんびよりでは干している分だけで60個は確認できる。単純に計算して4500円分だ。しかも甘柿まで貰っているのだから恐れ入る。さらにこれがアニメ版だとさらにおすそ分けで蛍が干し柿を貰っている。全く労働せずに干し柿ゲット。持つべきものは友である。

この本でも食材を身内から入手することで食費を抑える例が登場している。庄原市のデイサービスセンターでは施設で出す食材の一部を利用者から購入している。価格は市場の半分。しかも地域通貨でだ。だが別に締め上げてこの低価格となったわけではない。これらの野菜は今まで無駄に腐らせてきたものだからだ。

過疎が進んだ地域では農作物が必要以上に採れてしまう。 元々自分たち用に作っていたため、市場に出すほどの量ではない。だが食べきれる量でもない。そういうわけで無駄になっていたのだが、これが有効活用されることになった。施設は食糧費を抑えることができ、利用者はささやかながらも収入を得ることが出来る。なにより人に食べてもらって嬉しいといいことづくめなのだ。

0から1を

また、単純に野菜を渡すのではなく、一手間工夫を加えてプレゼントする人も登場する。和田芳治さんという方はなにか貰った時のお返しとしてカボチャを贈っている。だがただのカボチャではない。成長中に釘で表面に傷をつけることでメッセージが浮かび上がったカボチャなのだ。それぞれのカボチャには「ありがとう」とか「笑顔」などが書いてある。金をかけることなく付加価値を与える。こういった遊び心が豊かに暮らすコツなのだ。

f:id:honeshabri:20140406213122j:plain

のんのんびより 4 (コミックアライブ)より

みんな大好き承認欲求

都市にはスペアがたくさん

個人の扱いについて都市と田舎では大きく異る。以前これでも書いたが、生産性向上のため規格化と機械化を進めた結果、人間も互換性のある存在として扱われるようになった。
【書評】代わりのモノはいくらでも / “「ものづくり」の科学史 世界を変えた《標準革命》” - 本しゃぶり
さらに専門化が進んだ都市ではその傾向が強い。コンビニのバイトなんかはいい例だろう。誰にでもでき、代わりもすぐに用意される。人間は潤沢な資源だからだ。そして物のように扱われる。

f:id:honeshabri:20140406215640p:plain

賭博黙示録カイジ(1) (ヤングマガジンコミックス)より

そのため「自分は本当に必要とされているのか?」と考える人が増え、猫も杓子も承認欲求を連呼することになってしまった。果たしてこんな状態で幸せになれるのか。

田舎ではいるだけで価値がある

一方田舎では扱いが180度変わる。人は今日な存在なので誰もが必要とされる。そのためたとえ子供でも承認欲求を日頃から満たすことが出来るのだ。

f:id:honeshabri:20140406221559j:plain

のんのんびより 1 (MFコミックス)より

そして人は認めてもらえると元気になれる。島根県邑南町では「耕すシェフ」というコンセプトのもと、農業とレストランを行う人材を募集した。それに応募しやってきた安達さんについて邑南町商工観光課の寺本さんはこう語る。

「安達さんがここに来た頃、疲れていた。遅刻ばかりしていた。でもしばらくすると元気になった。たぶん、都会にいた時は何百万人のひとりだったんでしょう。ここにくると一万人のひとり。役立ち感が全く違う。」

存在に関する議論で「誰もいない森で倒れる木は音をたてないか」というものがある。誰も観測していなければそれは存在しないのと同じではないかという話だ。これを人間に置き換えて考えてみるとどうなるか。「他者に認められていない人間はいないのか」とならないだろうか。もしいてもいなくても同じというのであれば、それは生きていないのと変わらないのかもしれない。だから人は承認欲求を持つのだ。ならば自分がより必要とされる場所へ行ったほうが生きていると言えるだろう。

行くべき場所

そういうわけで田舎は都市に比べて劣っているどころか、むしろ豊かに暮らすことは出来る場所であると言える。ここまでわかったところで俺はどうするべきなのか。都会で専門に特化した働き方をしてお金を稼ぐ一方で、食事はいつもコンビニ。少ないバリエーションから選び取り、たまに気に入った物があったと思ったら入れ替えで消え去る。そんな生活を送るのか。

それとも少々不便ではあるが体を動かして働き、新鮮で美味しい食事をとれる健康的な生活を送るのか。

f:id:honeshabri:20140406223740p:plain

のんのんびより 4 (コミックアライブ)より

まあ考えたところで答えは決まっている。俺は可能な限り人付き合いを減らし、休日は部屋にこもって過ごしたい。都市一択だな。田舎での暮らしはフィクションで楽しめればそれでいい。とりあえずのんのんびより二期を気長に待つとする。

ところで、俺の部屋から一番近い駅には自動改札機が無い。それどころか夜には人もいなくなる。しかも電車の扉は手動で開ける。

……

f:id:honeshabri:20140406224803j:plain

のんのんびより 1 (MFコミックス)より


[asin:B00GRINN2G:detail]

*1:ネットで見かけたが眉唾っぽい気がする。具体的な計算ないし。