身内ネタがバズると人はうろたえる。
マルティン・ルターもうろたえた。
3回目の寄稿
『わたしのネット』でマルティン・ルターについて書いた。
前回パウロについて書いたので、同じノリで書ける人物は誰かと考え、ルターを選んだ。彼のことは巨乳の記事を書いた時に、ちょっと調べたことがある。それで思い浮かんだのだ。
当初は『95カ条の提題』について書けばそれっぽくなるだろうと考えていた。あれはネットどころか電報も無い時代に、わずか2週間でヨーロッパ中に拡散されたという。おそらく現在のバズに通じるものがあるに違いない。それぐらいの認識だった。
調べてみると、思っていた以上に現在のバズと似ていて面白い。ルターの場合は活版印刷が、現代はSNSが情報の複製を容易にした。新たなメディアが登場すると思わぬバズが生じるのだ。しかし、共通点はこれだけではない。寄稿した内容と被るところもあるが、ここでは現在のバズとの共通点をメインに紹介する。
500年前のあらすじ
ルターが『95カ条の提題』を書くに至った一連の流れについて簡単に書いておこう。
当時のカトリック教会は贖宥状 (免罪符) を販売していた。
贖宥状は購入することで「罰」を回避できるものである。その理屈はなかなか面白いが、話が長くなるのでここでは解説しない。それに贖宥状の販売に用いられたキャッチコピーの方が、その実態を簡潔に表しいてる。
「グルデン金貨がこの箱の中でチャリンと音をたてれば、たちまち魂は天国に」
死後に天国へ行くことを望んだ民衆が、こぞって買い求めたのも無理はない。需要があって金になる。教会が供給を増やすのも当然だ。当初は100年に1度だったのが、50年間隔になり、25年間隔になった。このペースだとそのうち二人分を同時に売ることになる。事実そうなった。贖宥状は生きている人だけでなく、既に亡くなり煉獄で罰を受けている人にも効くことになり、死んだ先祖の分まで買うようになったのである。
「何かおかしい」
金を払えば天国へ行ける。この状況にルターは疑問を持った。
聖書にはそんなことは書いていない。当然だ。贖宥の思想は、イエスのいたイスラエルのものではない。キリスト教が西ヨーロッパまで広がり、ゲルマン法の伝統と結びつくことで生まれたものなのだ。
そこでルターは贖宥の効力を明らかにするための討論をしようと、世の神学者たちに呼びかけた。それが『95カ条の提題』である。
そう、この文章は身内 (神学者) に向けて書かれたものだった。
身内ネタがバズる
なんとなく投稿した身内ネタがバズるというのは、まれによくある。つい最近も、身内の欲望をイラスト化したら、勝手に「男の理想とする女」というコメントと共に転載されてバズったという話があった*1。ルターの身に起きたのはこれに似ている。
ルターが対象としたのは、身内と言える神学者クラスタだった。だから『提題』はラテン語で書かれている。いくら住んでいたヴィッテンベルクが学園都市であった*2とはいえ、日常的に使われる言語はドイツ語である。ルターは贖宥状について皆に知ってもらおうと『提題』を書いたわけではなかった*3。
そのような『提題』が無断転載された。しかもわざわざドイツ語に翻訳されて。翻訳したのはヴィッテンベルク大学の学生とも言われている。いかにもやりそうだ。「ルター先生、カトリック教会に喧嘩売ってて草」とか言いながら拡散する様子が目に浮かぶ。
上記ツイートは完全に創作だが、「カトリック教会に喧嘩を売っている」と認識されたのは事実である。しかしルター自身にそのような意図は無かった。彼は純粋に神学的な討論を望んでいただけである。ところが『提題』には政治的な意味が付与されてしまったのだ。
政治的に使える
時として、本題とは「ズレた意味」が付与されてバズるということがある。特に政治的な意味がついたならばなおさらだ。例えばアニメなんかでも、本編のストーリーの面白さではなく、ポリコレ的な要素で話題ということが度々ある。ルターの場合も同様だった。
贖宥状が聖書的に正しいかどうかというよりも、バチカンの連中が間違ったことをしているということに、食いついた人達がいたのだ。都市部の商人、諸侯、ドイツの騎士達である。彼らは支配と経済の観点から『提題』を取り上げ、広めていった。
この辺の話は、先の寄稿記事には入れていない。さすがに「バズるためには政治的な話題と絡めよう」とはしたくなかったからである。下手に政治的な話に絡めると「バズる」というより「炎上」になる確率が高まる。それは望む結果ではないはずだ。ルターもそうだった。だから彼は困惑した。
予想外にバズってうろたえる
以下はルターによる1518年3月5日の書簡に書かれたものである。
「広く読まれていることは、私が望んだことではありません。また私はそのようなことを意図したことはなかったのです。私はただこの町の人々とまたせいぜい近くの学者たちと議論し、その意見によってこれ〔つまり提題〕を取り下げるか、あるいはみなに認めてもらうかを判断しようと考えたのです。ところがこれが何度も印刷され、翻訳もされているのです。ですから私はこれを公にしたことを今後悔しています。……もしこれがここまで公になることがわかっていたなら、別な方法を選択するとか、もっと正確に書くとか、余計なことは書かなければよかったのです」
深井智朗『プロテスタンティズム 宗教改革から現代政治まで』(Kindle の位置No.675-680). Kindle 版.
圧倒的既視感。
バズった時の反応というものは、500年前でも変わらないらしい。しかもルターの場合、敵に回したのはカトリック教会である。下手をすれば炎上 (身体) の危険性がある。実際、ルターの100年前に贖宥状を批判したヤン・フスは火刑となったし、ドミニコ修道士のヨハン・テッツェルはルターについてこう言っている。
ちなみにこのテッツェルは「金貨がチャリンと音をたてれば」のキャッチコピーを唱えていた人物である。ルターを燃やしたくなるのも当然だ。
なのでルターがうろたえたのも当然であり、騒ぎになったことで口を閉ざしてもおかしくはない。
だがルターは止まらなかった。
抵抗する者
この記事のタイトルに俺は「親近感」と入れた。だがこれはあくまでもバズったことで「うろたえた」ことについてのみである。その後のルターがとった行動については違う。とてもじゃあないが、俺には真似できない。
翌年にルター派『贖宥と恩恵についての説教』を翌年に発行し、さらにカトリック教会へ喧嘩を売る。今度は民衆にも分かりやすくドイツ語で書いた。その後、同年に「アウクスブルク審問」、1519年に「ライプツィヒ討論」を経てカトリック教会との対立は決定的なものとなる。そして1521年には破門されてしまった。
当時、破門で失われるのは宗教的な加護だけではない。破門とは帝国内における法的加護を全て剥奪されることを意味する。ルターは自身の安全よりも、自らの信仰を優先したのである。結果、同年の「ウォルムス喚問」の後にルターは何者かに襲撃され、行方不明となった。起きたことは明白だ。ルターは死んだ、もういない……
それから一年が過ぎ、ヴィッテンベルクの町は騒乱状態となっていた。反カトリックの改革派が実力行使に訴え、もはや暴動へと陥ったのだ。事態を収拾するために一人の男が動き出す。
終わりに
こうやって見ると、やはりマルティン・ルターの身に起きたことは、現代のバズに通じるものがある。やや軽率な投稿、無断転載、政治的な意味付け、大炎上。ネットに入り浸っていればよく見かける光景である。
本文には入れなかったが、バズるとそれをイラスト化する人達が現れるのもそれっぽい。当時は識字率が低かったので、一般庶民にとっては絵の方が広めるのに効果的だったこともある。まあ、今でも文章を読めない人は多いのだが。
ともあれ、このように現代のバズに近いと、逆に考えることもできるだろう。つまりルターの行動を真似たらバズるのではないか、と。それが今回『わたしのネット』に寄稿した記事である。
ルターに学んであなたもバズる時が来た。破門される覚悟を持って突き進むがいい。
参考文献
マルティン・ルターの生涯について書かれた本。
プロテスタント入門的な本。ルターについてもかなりページが割かれている。
キリスト教をどこまでネタにしても許されるのか迷ったら読む本。これに「ルターはパウロに似ている」と書かれていたが、俺もそう思う。
本当にバズについて学びたいなら、マルティン・ルターの本ではなくこれを読め。
プロテスタント関係の記事
*1:「男が思う理想の女」のコスプレが再現度が高すぎて話題になるも無断転載と判明してツイートを削除する流れ - Togetter
*2:人口が約2000人の小さな町に大学ができたことで、ほぼ同数の学生が押し寄せたという。
*3:ただしルターは同様の内容を民衆にも伝えようとはしている。あくまでも『提題』は一般向けではないということである。