タイトルは俺が昨日友人に言われた言葉である。新しい記事にちっともはてブが付かないと言ったらこう返されたのだ。これには反論せざるを得ない。
反撃しなくてはいけない
最初にこれを言われた時、俺はぶん殴ってやろうかと思った。例え言葉による攻撃だろうと反撃しなくてはならない。それがこの先もブログを平和に続ける上で重要な事だ。しかし俺は殴らなかった。Skype越しに言われたからである。Skypeには急に雑音を出す機能があるくせに相手を殴る機能はない。だから俺は物理的に反撃することを諦めた。というか言葉に対して暴力は良くない。
だからといってこのまま言われっぱなしで終わるわけにはいかない。この先ブログを更新していけば、はてブが付かないことは何度も起きるだろう。その度に言われてはたまったものではない。俺が自由にブログを更新し続けるためにも今叩くべきなのだ。今日この日に、自由の名の元、奴に戦いを挑む!
恥は敗北の原因
まず反論する上で『恥ずかしい』とはどういう意味かをはっきりさせなくてはいけない。俺の中で『恥』とは敗北の原因であり、死に至るきっかけだが、実際のところどうなのか。デジタル大辞泉によると以下の説明が書いてある。
1 自分の欠点・過失などを自覚して体裁悪く感じるさま。面目ない。
2 人目につきたくない思いである。気詰まりである。てれくさい。
3 相手がすぐれていて気おくれするさま。立派である。
今回の場合、1が当てはまるだろう。自分の書いた記事がブックマークされないということは、大した記事ではなかったということだ。もちろんブックマークされる=優れた記事というわけではない。むしろひどい記事の方がされるかもしれない。だが、人の心を揺さぶったという意味では優れている。されない記事というのは人の心に響かなかったということだ。
ここから反撃するのは難しそうだ。ブログを単純に記録として使っている人ならば、別にブクマされなくても気にする必要はない。だから付かなかった記事を自分の過失と捉えることもないだろう。だが俺の場合は違う。俺は読んでもらうために書いている。しかもそれを公言してしまっている。
せっかく死海に行ったのだから書いておこう。死海の朝日ヨルダンのネタ第五弾。さすがにこれで終わりな気がする。【トランスフォーマー】バンブルビーとヨルダンのペトラ遺...
俺がこのブログを書いているのは読んでもらうためだ。だからどうしたら読んでもらえるか考える。
これでは読まれなくても構わないとは言えない。別の方向から反撃を考えよう。
観測者がいない
ここで俺は逆転の発想に辿り着いた。『恥ずかしい』で考えるからダメなんだ。『恥ずかしくない』で考え、それに当てはまればいいわけだ。そこで『恥ずかしくない』でググってみる。一番上はこれだ。
パンツじゃないから恥ずかしくないもん!とは (パンツジャナイカラハズカシクナイモンとは) [単語記事] - ニコニコ大百科
お、おう……
いや、待て。これは真理かもしれない。この場合なぜ恥ずかしくないかと言うと、見られても構わないズボンを履いているからだ。逆に言えば見られたくないものを見られた時、人は恥ずかしさを覚える。恥ずかしい体験談とかを見ると、そのほとんどは人前でしたことだ。ここから一つの真理が得られる。
「恥ずかしさは観測者によって生まれる」
そうすると「はてブが付かない」とはどういった意味を持つか。それは付かない時と比べて人に見られないということだ。すなわち観測者が少ないということだ。これは恥ずかしさの真理とは逆の状態だ。従って、はてブが付かないことに恥ずかしさを感じることはないと言える。はい論破ー。我が心と行動に一点の曇りなし…………! 全てが『正義』だ。