神話の時代よりアクロポリスは聖域であった。
今ここに、伝説が蘇える。
アテネへ
2017年のGWはギリシャへ行ってきた。例によって聖地巡礼の旅である。
ギリシャは歴史のある国である。さらにリゾート地としても優秀だ。それだけに見るべき場所は多く、日程に応じて絞り込む必要がある。そこで今回はアクロポリスを中心に、アテネ周辺の遺跡をメインに見て回ることにした。
というわけでやって来た。ギリシャの中心。学問の中心。大都市アテネである。
パルテノン神殿
アテネ市内のどこからでも見えるアクロポリス。
20ユーロのチケット*1を購入し、坂と階段を登っていく。
プロピレア(前門)を抜けたらそこにはパルテノン神殿が。
ギリシャの象徴であるパルテノン神殿。『処女宮』の名を冠するこの神殿の現状は、見ての通り無粋な鉄骨で覆われていた。見る方としては興をそがれるが、その歴史を知っていれば仕方ないと思えるだろう。
パルテノン神殿の歴史
現在のパルテノン神殿が建てられたのは、およそ2500年前のことである。計画を立案したのは、全盛期のアテナイを統率していたペリクレス。彼の権力とアテナイの栄華が合わさった結果、他に類を見ない壮麗な神殿が建造されたのだった。ちょうど今年発売された『ギリシア人の物語 Ⅱ』は、そのペリクレスが主役となっているので行く前に読んでおきたい。
そんなアテナイの繁栄の証拠であり、ペリクレスの最高傑作であるパルテノン神殿も、時代とともに傷つき、その姿を変えていく。ゲルマン人侵入による放火、キリスト教会堂への魔改造、オスマン帝国によるモスク化。だが何よりも決定打となったのは、330年前にヴェネツィア共和国とオスマン帝国の間で起きた聖戦である。
オスマン帝国はアクロポリスを要塞化し、神殿を弾薬庫とした。そしてヴェネツィアとの戦いの際には女子供の避難先としても用いた。然しものヴェネツィアも、聖域には攻撃しないだろうと考えたからである。だがそんなことで躊躇するヴェネツィアではなかった。フィロパポスの丘から砲撃を行ったのだ。
小規模ながら宇宙創造のビッグ・バンにも匹敵する爆発が発生した…
その神殿は今や跡形もなく消滅した…
美しい彫刻は総て吹き飛び、建屋は崩れ落ちた廃墟と化した…
諸行無常…
盛者必衰…
ただ数十本のドーリア式の柱を残して…
その後もイギリスに彫刻を奪われた上にホワイトウォッシュされるなど、処女宮の受難はなお続く。それでも傷ついたままじゃいないと、ペリクレスの意思を明日へ伝えるため修復しているのだ。文句を言うわけにはいくまい。
女神復活
現代においても、パルテノン神殿の偉大さは失われていなかった。だが何か足りない。決定的なものが今のパルテノン神殿には欠けている。それはアテナである。この神殿はアテナを祀るものであるのに、その肝心のアテナがいないのだ。戦場に神々がいないのは仕方ないにしても、神殿には御座らなくては。
だから俺が連れてきた。ご照覧あれ。
右手の勝利の女神! 左手の楯!!
2000年以上の時を越え*2、神殿にアテナ像が戻ったのだ。
このアテナ像は「ジェミニサガ-教皇の間-」初回限定版の特典である。
造形はしっかりしているが、ソフビ製で見るからに安っぽい。だがこの蘇ったアテナの彫像は違う。
その神々しい姿を目にした時、人は自ら跪く。
※全く知らないオバサン
ペリクレスが描き、フィディアスが監督し、そして俺が撮影する。歴史と虚構の中に入り込むこの感覚。聖地巡礼の醍醐味はここにある。
ポセイドン神殿
パルテノン神殿を制覇したら次に行くべき場所は決まっている。ポセイドン神殿である。場所はアテネからすぐそこだ。
が、これは光速で移動できる黄金聖闘士の感覚での話であった。
バス移動
アテネからポセイドン神殿のあるスニオン岬へ行くには、シンタグマ広場近くから出発するバスに乗って行くのが一般的である。そのバス停がこれだ。
行き先しか書いていない。路線図どころか時刻表すら無い。ネットの情報によれば、2時間に1本くらいの割合で走っているらしい。とりあえず覚悟を決めてベンチに座った。
10分ほどすると老婆が現れた。スニオンに行くのかと訊かれたので「そうだ」と答えると、12:15にバスが来るのでそれに乗ればいいと教えてくれた。あと30分も無い。俺はラッキーなようだ。どうやら老婆もスニオン岬へ行くらしい。二人でベンチに座って待つ。
婆さんがそろそろバスが来ると言ってから15分が経過した
— 骨しゃぶり (@honeshabri) 2017年5月5日
12:15を過ぎてから、バスが通りかかる度に老婆は腰を浮かす。しかしどのバスも停まることはない。目の前を虚しく過ぎ去っていくのみであった。
5月のギリシャは日差しが強い。幸いにも上半身は影の下にあるが、下半身には日光が容赦なく降り注ぐ。その熱さはカノン島の噴煙に身を浸すがごとし。
いつの間にか老婆も立ち上がることは無くなっていた。もう数十時間も、このバス停で待っている気がする。いつまでたってもバスが来ないとは、何者かの幻影におちているのではないか、そんなことを考えていたらようやくバスがやって来た。老婆の予想時刻から1時間と4分後のことである。
やっとバスに乗れた
— 骨しゃぶり (@honeshabri) 2017年5月5日
スニオン岬行きのバスの切符は乗ってから購入する。乗った直後に買うのではない。乗ってから1時間位経過した頃だろうか、急にコインカウンターとタブレットを持ったオバサンがバスの中を歩き始めた。服装は乗客にしか見えないこの人が切符の販売を行うようだ。スニオン岬行きは初心者に優しくない。
スニオン岬
バスに揺られて1時間50分。ようやくスニオン岬に到着した。
写真右上に写っているのが目的地のポセイドン神殿である。そして中央の崖下に双子座のカノンが閉じ込めた岩牢がある*3。というわけでポセイドン神殿へと向かう。柱を壊すつもりはない。ただ撮影したいだけである。
こちらは爆発があったのではなく、東ローマ帝国初代皇帝のアルカディアによるものらしい。おそらくオリンピアのゼウス神殿と同様に、異教の神を祀るものということで破壊したのだろう。これだから寛容の無い連中は困る。
愚痴はこのへんにしておいて、記念撮影を。
アテナがポセイドンに勝利した感ある。
その他に行った場所
『聖闘士星矢』の「聖地」というと以上の2ヶ所だが、当然他にもいろいろと行っているので、代表的な所を簡単に紹介。
国立考古学博物館
ギリシャ各地から発掘された出土品が大量にある。名前こそ「博物館」だが、ギリシャだけあってまるで「美術館」である。
博物館にはアテナ像だけで構成されたコーナーがあった。
その奥にあるのは本物のアテナ像のレプリカ*4である。
『聖闘士星矢』のアテナ像と違って右手は柱の上に置かれている。俺のもこうなっていれば、カバンの中に入れているうちに右手が上がることは無かっただろうに。
アテナの次はポセイドン。こちらもいくつかあったが、何やらポセイドンコーナーみたいな所があったので、それの写真を貼る。
装備が無いのでアテナに比べるとあっさりしている。
小宇宙が第七感であるということの説明で使われる彫像。
タンヤオ*5ではない。
「ディープネットワークを用いれば女神も色付くか」で使った『アフロディテとパンとエロスの像』。
ディープネットワークを使わなくても照明の当たり方によっては生々しくなる。
歴史のある芸術品なのでゾーニングはしない。
展示品を上げていくとキリがないのでこのへんにしておこう。
ピレウス
船に乗る予定も無いのにやって来たここは『ヒストリエ』の聖地の一つ。
カロンの愛する町、メランティオスの故郷の町。
ゼア港の見える景色から考えるに、カロンの邸宅があったのはこの先に見える高台だろう。さすがに今回は登る気がしない。
オリンピア遺跡
オリンピック発祥の地であるオリンピア遺跡。ここで『ヒストリエ』ファンとして見逃せないのがこのフィリペイオン。
10巻で描かれた「カイロネイアの戦い」の勝利を記念してフィリッポス2世が建てたものである。
そしてオリンピアと言えばスタジアム。
ここにはツアーを使って来たのだが、ツアーメンバーで競争することになった。結果は惜しくも2位。敗因はサンダル。
デルフォイのアポロン神殿
かつて「世界の中心」と呼ばれた場所。ホテルで窓から外を見た時、俺は異世界転生した感覚に陥った。
まるで文明を感じられない。かつての「中心」も今では辺境の地に思える。
デルフォイと言えば神託で有名なアポロン神殿である。
神託と言ってもなかなかバカにはできない。実際、先の戦争*6の時も「木の壁で守れ」という実用的なアドバイスがアテナイに告げられ、その結果アテナイは覇権を握ることになった。具体的に知りたい人は『ヘロドトス』を読もう。何かと役に立つ。
もう少し気軽に知りたい人には『ギリシア人の物語Ⅰ』を薦める。
ただし『300 帝国の進撃』は止めておけ*7。
ところで、このアポロン神殿もまた『ヒストリエ』の聖地になりえる場所*8である。紀元前336年にフィリッポスが、そして翌年にアレクサンドロスがペルシア遠征の助言を得るために訪れた。
俺の聖地巡礼は時に、物語でまだ登場していない場所へ行く。話の流れから、ほんのわずかな先の未来を見て向かうのだ。ほんのわずかな先…… 史実では数年後の出来事だがこのペースだと……
テルモピュライ
終わりに
今年もまた海外へ聖地巡礼に行くことができた。しかも今回は前々から行こうと思っていたアテネだ。街中を歩いていると普通に遺跡が現れるのは「神話の時代より続く街」という感じで実に良い。一方で、市内各所の落書きはもう少し改善したほうがいいと思うが。
それでもあこがれの都…… 来る事ができてよかった。あちこち観光もしたし。
ところで最近こんな記事を見た。
<「おしゃピク」って何?>インスタ女子たちの歪んだリア充 | メディアゴン(MediaGong)
本来は「楽しむ人」が主人公であるのに、「おしゃピク」は、それ自体が目的であり、主人公になっている。そこに今日の日本社会が抱える「病」を感じるらしい。この著者から見たら俺はかわいそうな人だろう。1枚の写真を撮るためだけに、いつも汗まみれ砂まみれ……
しかし俺はちょっと違うのではないかと思う。みんなで遊んだらとりあえず記念撮影。1枚の写真を撮ることにマジになったらそれこそダサい。はたしてそれが撮影を楽しんでいるということなのだろうか。逆に自分本来の理想を持たず、雰囲気に流されているだけではないだろうか。
だが俺は違う! この広いネットの中の一つのアカウントとして、いつも心の小宇宙は燃焼しているのだから。誰かが作り上げた空気に飲まれて生きているより、よほど充実しているのである。
手近にあるもの・使えるものは余さず利用し、撮影のためにこそ全力を尽くす。それがインスタの心得であろうと俺は思う。どうかその点ご理解願いたい。
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『ヒストリエ』の聖地巡礼記事。
初めて遺跡でフィギュアを撮影した記事。