本しゃぶり

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時間が足りないから筋トレで脳を鍛える

いかにして日々の生活の中で瞑想を行うか。
行き着いた先には筋トレがあった。

「筋トレ瞑想」で筋力と一緒に注意力を鍛えよう。

瞑想を始めたが時間が無くなる

この連休に瞑想を始めたことは既に書いた。

ちゃんと連休中は毎日行っている。まだ瞑想の恩恵は感じられていないが、それは気にしていない。ウィスコンシン大学マディソン校の心理学・精神医学の教授リチャード・デビッドソンが著書で何度も述べているように、瞑想の効果は累積時間で決まってくる*1。彼の研究における「瞑想初心者」の被験者は、8週間の瞑想プログラムを受けて実験に臨むことが多いことを考えると、まだ瞑想を始めて2週間の俺に変化が無いのは当然だ。

とはいえ先の記事で書いた通り、瞑想によって「自分の集中力の無さ」を実感することはできた。これはぜひとも改善したい。なので引き続き瞑想を行っていきたいと思う。

しかしここで一つ問題がある。連休が終わってしまうということだ。連休中は時間があったから瞑想をすることができた。これからは違う。仕事が再開し、ゆったりとした生活は失われるのだ。もちろん多少は瞑想の時間を確保することはできる。しかし、先に述べたように、瞑想の効果は累積時間で決まってくる。もっと時間を確保できないものだろうか。

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John Tenniel / CC0, Link

この「瞑想するための時間がない」という問題は、俺に限った話ではない。上で名前を挙げたデビッドソン教授の妻で、自身も長年に渡る瞑想実践者であるスーザン・デビッドソン博士は、彼女が勤める病院で週一の瞑想セミナーを開いたことがあった。セミナーの開催そのものは多くのスタッフから喜ばれたが、参加者は少なく、セミナーは打ち切りとなった。多くの人は「瞑想する時間が無かった」ためである。

瞑想は「重要」であっても、「緊急」ではない。往々にしてそのような活動は、緊急の用事のために後回しにされがちなのだ。

このような場合、取るべき手段は2つある。1つは予め時間を確保しておくというもの。もう1つは他の作業と「並行して行う」ということだ。本記事で取り上げるのは後者となる。瞑想は坐禅に限らない。

坐禅ではない瞑想

Googleで行われている瞑想セミナー『サーチ・インサイド・ユアセルフ (SIY)』の開発者チャディー・メン・タンは、オフィスでトイレへの行き帰りに瞑想しているという。彼は歩行時の身体動作や感覚に注意を向け、それをもって瞑想としているのだ*2。この「歩く瞑想」は、先のデビッドソン教授も推奨している瞑想法である*3

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Wayne77 / CC BY-SA, Link

なぜ歩行に注意を向けることが瞑想となるのだろうか。それは歩行も呼吸と同様に、「馴化」が起きる行動だからである。

校長先生の話を聞けば分かるように、脳は単調な刺激に対する反応がどんどん弱まるものだ。この現象が「馴化」である。こうなると変化が生じるまで、その「刺激」に対して注意が向けられることは無い。落ち着いた状態での呼吸は、まさに馴化となる「単調な刺激」だ。

そのような呼吸に注意を向けるところから瞑想は始まる。『SIY』で教えられる瞑想の「やさしい手法」もそうだし、インドに古くから伝わる「サマタ瞑想」*4も呼吸を観察して集中力を高める瞑想だ。つまり瞑想の基本とは、馴化に抵抗し、「単調な刺激に注意を向け続ける」ことだと言える。

よって単調な刺激を得られるならば、呼吸にこだわる必要は無いわけだ*5。歩行でも馴化は起きる。むしろ身体を動かすので、初心者でも集中しやすいという呼吸に対する優位性もある。

このような理屈を把握したところで、俺は気がついた。馴化に抵抗するのがポイントならば、動作は歩行である必要はなく、観察できる反復動作なら何でもいいのではないか、と。

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No machine-readable author provided. Scoobytrash assumed (based on copyright claims). / CC BY-SA, Link

そう、筋トレだ。

筋トレ瞑想

俺は1年前から筋トレを毎日10〜20分行っている。トレーニング内容は単調で反復される動作だ。そこで「歩く瞑想」と同じことができる。動作の一つ一つに注意を向け、観察するのだ。どこの筋繊維が収縮しているのか、どこに負荷がかかっているのか、と。そうすれば筋トレの時間も瞑想に使うことができる。

この「筋トレ瞑想」は脳神経の注意システムを鍛えるのが目的だが、筋肉にとってもメリットがある。筋トレと瞑想を合わせるとシナジー効果があるのだ。

筋肉は神経が活性化すると、負荷が無くても筋力が増強するという性質を持つ。例えばPekka Kannusらが行った調査では、脚の片方だけ筋トレした結果、筋トレしていないもう片方の脚の筋肉も筋力の増強が確認されている*6。脚部の神経が活性化したためだ。そして神経の活性化はイメージトレーニングでも起きるのである*7。だから多くの筋トレ記事において、「筋トレをする時はどの部分の筋肉を鍛えるのか意識しろ」と書かれている。

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Tomoki Fukushima / CC BY-SA, Link

さらにこれは筋トレに限った話ではないが、運動は注意力を向上させる効果が期待できる。人間の注意システムで使われる神経伝達物質にはノルアドレナリンとドーパミンがある。これらの物質が増え、受容体が新たに作り出される。これは運動と注意が脳内で同じ回路を共有しているからだと思われる。小脳は大脳基底核を経由して運動皮質に情報を送っているが、同じルートで執行中枢である前頭前野にも情報を送っている。そしてここでもドーパミンが必要になるのだ。

また、イェール大学の神経生物学者のエイミー・アーンステンによれば、ノルアドレナリンとドーパミンは前頭前野の「信号対雑音比」を向上させるという。余計な情報をシャットアウトし、必要な情報だけが伝達されるようにするわけだ。

以上のことを総合すると、「筋トレ瞑想」を行うことで、「注意力」「筋力」の両方を効率的に向上することが期待できそうだ。つまり脳と筋肉を同時に鍛えられるわけで、こうなるとソーの発言もバカにできない。神の言葉に耳を傾けろ。

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https://youtu.be/_JLZBq2ylOE

終わりに

これまで俺は筋トレする時にKindle読み上げを聞いていた*8。これは全く読まないよりはマシの精神で行っていたが、筋トレ瞑想と違ってアンシナジーだった。注意が筋肉と本に分散されるからである。結果、どちらも「やらないよりはマシ」であるが、筋力増強も本の内容理解も中途半端になっていた。

ここ数日は「筋トレ瞑想」を行っている。Kindleから瞑想に切り替えた結果、同じ動作でも以前より回数が「こなせなくなった」ことに気がついた。おそらく以前は注意が本に向かっていたため、フォームが崩れ、適切に負荷がかかっていなかったのだろう。それが身体の動きに注意を向けたことで、正しいフォームとなり、負荷が増したのだ。

そのようなわけで、これからは「筋トレ瞑想」を行うことにした。読書量の低下に対しては、また別途検討する。

参考書籍

上2冊は前の瞑想記事と同じ文章。

サーチ・インサイド・ユアセルフ

本文中でも紹介した通り、俺が瞑想を学ぶのに使っている本。ブッダの教えとかはどうでもよく、唯物論的に瞑想の効果を欲している人はこれを読むといい。

心と体をゆたかにするマインドエクササイズの証明

瞑想の科学的な効果を知りたい人はこの本を読むべき。SIYのアドバイザーであるダニエル・ゴールマンと瞑想研究の第一人者であるリチャード・デビッドソンによる共著。本書は瞑想の効果について書かれているが、一方で瞑想研究の問題点についてもページを割いている。二人とも長年瞑想について研究しているだけあって、「何にでも瞑想が効く」という風潮に対して厳しく、様々な研究手法の問題点を挙げている。自分達の過去の研究結果にまで文句をつけるほどだ。

だから本書で語られる瞑想の効果は信頼ができる。正直なところ1〜3章は思い出話でダルいが、4章以降は瞑想研究に切り込んでいくので面白い。本当に瞑想に時間を割く価値があるか悩んだらこの本を読んで判断しよう。

脳を鍛えるには運動しかない!

運動することがいかに脳を発達させ、よりよい人生を送れるのかを解説した本。著者は精神科医であり、自信の医療経験や様々な論文を元に効果とメカニズムを紹介していく。

運動の効果というと、筋力や心肺能力に対する話が多い。もちろんその効果もあるのだが、それ以上に脳への影響が大きいようだ。運動するだけで集中力や記憶力が増し、シナプスの結合が増えていく。こういったことを知ると、運動が脳にいいというより、人の身体は運動することが前提の設計であると言いたくなる。こう思うのは『サピエンス異変』を読んでいるからだろうけど。

筋トレと仏教の記事

この記事の終わりに俺はこう書いた。

仏教の生まれたインドでは、古来より肉体を観察する宗教が王道だった。それは、悟りを目指すための修行として観察があり、その対象として自分の肉体から始めるのが容易だったからである。
筋トレもまた、己の肉体を観察しながら動作を行う。

ここまで書いておいて実践していなかったのか俺。

*1:どのような瞑想を行ってきたかという瞑想の「種類」や、集中して長時間瞑想する「合宿経験」の有無・期間によっても変わってくる。

*2:当然のことながら、この瞑想しか行っていないわけではない。通常の坐禅に加えて、である。

*3:Making Well-Being Part of Daily Life - Center for Healthy Minds

*4:ヴィパッサナー瞑想の前の段階として行われる瞑想。

*5:とはいえ昔から使われているだけあって、呼吸は注意を向ける対象として便利だ。道具も動作も不要。生きている限り無限に続く。心拍より周期が長くて分かりやすい。

*6:Effect of one-legged exercise on the strength, power and endurance of the contralateral leg. A randomized, controlled study using isometric and con... - PubMed - NCBI

*7:この辺の内容は右の記事が詳しい。 イメージトレーニングが筋トレの効果を高める〜その科学的根拠を知っておこう - リハビリmemo

*8:Siriお姉さんに励まされながら筋トレを行う - 本しゃぶり