これからの人生は長く変化に富んだものとなる。
どうしたら変化に適応し、充実した人生を送れるのか。
その答えは着せ替え人形にある。
オタクで優しいギャルと出会う
2022年冬アニメで、最もこれからの社会を表しているのは『その着せ替え人形は恋をする』だろう。
本作は、雛人形職人を目指している内気な男子高校生が、オタクで優しいギャルと出会ったことをきっかけに、コスプレ衣装の制作に関わっていく物語である。
なぜ本作がこれからの社会を表現していると言えるのか。それは、「長寿化」と「テクノロジーの進化」が進むこれからの世界において、どのようにキャリアを積めばいいかを示しているからである。
祖父の時代とは違う
主人公の五条新菜には夢がある。それは唯一の同居人であり師でもある祖父と同じように、雛人形の頭師となることだ。その内気な性格と過去に雛人形好きを否定されたトラウマも相まって、一人で雛人形制作の練習に没頭する毎日を過ごしている。しかし、どんなに練習を積み、修行に励んでも、祖父と同じような職人人生を送るのは難しいだろう。なぜなら状況が異なるからである。
祖父の時代はシンプルであった。人生は大きく三つの段階に分かれている。一つめが教育を受ける段階、二つめがフルタイムで仕事に専念する段階、そして三つめが完全に引退する段階である。若い頃に培った知識とスキルで一つの職を全うし、老後はゆっくりと過ごす*1。そういう人生モデルである。
しかし、新菜が生きるこれからの時代は、シンプルな三段階の人生ではなく、教育と仕事が絡み合った多段階の人生が当たり前となるだろう。なぜならば、人生の中で何度も変化を求められるからである。
長寿化
変化の回数が増える第一の要因は「長寿化」である。長く生きればその分だけ、社会環境の変化は大きくなるためだ。
令和2年版厚生労働白書*2によれば、平均寿命はこれからも伸び続け、2040年には男性83.27年、女性89.63年になると推計されている*3。平均寿命は新生児で死亡した場合も含めての平均であるため、実際にはもっと長く生きる人が多い*4。
現在高校生である新菜の場合*5、2040年でもまだ30代でしかない。2007年に産まれた日本人の半数は107歳より長く生きるとも言われている*6。今の若者は、祖父母の世代より長く生きることを覚悟しなくてはいけないのだ。
テクノロジーの進化
変化の回数が増える第二の要因は「テクノロジーの進化」である。テクノロジーが進むにつれて、社会の変化はより速くなり、頻度が増すためだ。
テクノロジーの進化は、複数の「法則」によって語られる。「ムーアの法則」*7と「ギルダーの法則」*8は性能が指数関数的に増えることを伝え、「メトカーフの法則」*9と「ヴァリアンの法則」*10は組み合わせが価値を生み出すことを示す。つまり個々の技術が発展すると同時に、その技術を組み合わせることで、さらなる可能性が加速度的に生じるのだ。
その結果、自動運転技術のように、既存の仕事や産業を大きく変えるテクノロジーが現実のものになろうとし、これは人の価値観にまで影響を与える*11。このような変化が何度も起きると考えた方がいいだろう。
雛人形職人の場合、テクノロジーの進化は一見すると影響が小さいように思える。だが現実は長寿化と合わせて、その影響は既に現れている。
縮小する雛人形市場
経済産業省の工業統計調査によると、「節句人形&ひな人形」の市場規模は下降の一途をたどっている。出荷額ペースで1998年には約283億円あったのが2020年には約89億円へと*12、およそ三分の一にまで減少している。これは長寿化に伴う少子化*13が大きな要因だと考えられるが、市場規模は出生数より速いペースで減っている*14。
これは都市に核家族が住まうという生活スタイルの変化によるものである。テクノロジーが発展し、頭脳労働の価値が上昇した現代においては、人が集まる都市に住んだほうが収入は上がりやすい*15。テレワークが進んだとはいえ、大きな流れとしては変わらず続くだろう。
ゆえに新菜は、このまま雛人形制作に専念しているだけでは、不利な状況に置かれるだろう。ゆえに環境の変化に応じて生き方や働き方をシフトさせなくてはいけない。
どのようにシフトするか
では具体的にどのようにすればシフトを成功させられるのか。それは
業務が被れば戦える
シフトするといっても、全く新しい分野に0から挑戦するのは困難である。高い専門性が求められる現代においては、後から始めた者は不利だからだ。しかし新菜は、これまでコスプレに触れてこなかったにも関わらず、コスプレ文化に精通している喜多川よりも的確に意見を述べ、衣装製作をこなせた。なぜ彼は初めての分野に対応できたのか。それは雛人形制作とコスプレ衣装製作に求められるスキルの多くが被っていたからである。
一つの「職」は複数の「業務」によって構成されている。その「業務」をこなすために必要なのが「スキル」である。つまり異なる「職」であったとしても、それを構成する「業務」が被っているのであれば、持っている「スキル」を活かせるというわけだ。
新菜が目指していたのは人形の頭部を作る頭師であるが、完成品の人形を作るために着付師などの真似事も行っていた*16。そのため造形や化粧のスキルだけにとどまらず、裁縫スキルやトータルコーディネートのスキルまで獲得していたのである。
これがコスプレに活きた。中身とサイズこそ違えど、求められるスキル群は似ている。だからこそ新菜はすぐに対応し、最高のパフォーマンスを発揮することができたのである。一つの職を完璧に遂行できるように培われたスキルは、他の職にも転用は可能なのだ。重要なのは「分野」ではなく「業務」である。
とはいえ構成する業務の多くが被っていても、新しい職で働くには不足するスキルを補う必要がある。そのためには学習しなくてはいけない。この点で新菜は偉かった。
学習して適応する
コスプレには元となるキャラが存在する。クオリティの高いコスプレを行うには、キャラを深く理解しなくてはならない。だが雛人形作りに人生を捧げてきた新菜は、元ネタを全く知らない。そこで彼は原作をプレイし、コスプレ対象のキャラを徹底的に分析したのである。
この学習する姿勢こそ、今後の社会を生きていく上で重要となるスキルである。現代は新しいテクノロジーが日々登場し、新しいツールを使うことを求められる。若い頃に無かったものは若い頃に学ぶことはできない。何歳であろうとも、出会ったタイミングで学ぶしかないのである。学ばない者は置いていかれるだけだ。
また、学びには挑戦がつきものだ。やり方を調べたら、とりあえず手を動かして試してみるしかない。新菜は裁縫スキルを持っていたとはいえ、それはあくまでも人形用である。リアルな人間用、ましてや洋装は完全に守備範囲外だ。それでも初心者向けガイドを片手に挑戦し、見事クライアントの期待に応えたのである。
集中力と勇気を持って学習に取り組み、自分のスキルを最大限に活かすことができれば、このように成功へのチャンスを掴むことができる。しかしここで問題なのは、どうやって自分にあった分野を見つけるか、ということだ。ここで「繋がり」が重要となる。
認知的多様性を得る繋がり
アメリカの社会学者マーク・グラノヴェッターが発表した有名な論文に、人はどこから転職に役立つ情報を得るのか、というものがある*17。それによれば、家族や友人など「強い絆」で結ばれた人からよりも、友達の友達や単なる知り合いといった「弱い絆」の人からの方が、有用な情報を得られるケースが多かったという。
なぜ「弱い絆」の人の方が有用な情報源となったのか。それは異なるネットワークに所属しているからである。
「強い絆」の人は、自分と同じようなネットワークに所属している。すると得られる情報は、自分が既に持っている情報である確率が高い。対して「弱い絆」の人は、自分と異なるネットワークに所属しており、そこでは違う情報が流れている。そのため、得られる情報は新しいものが多く、有益な情報が含まれる確率も高まるというわけである。
つまり重要なのは「疎遠」であることではなく、「異なる世界」に生きる人と繋がることである。ここで『着せ恋』第1話のサブタイトルを確認しよう。
「自分と真逆の世界で生きている人」である。新菜にとって喜多川は、全く別の世界の住人であった。だからこそ自分のスキルを活かせる分野として「コスプレ衣装製作」という発想が出たのである。これは祖父のような「強い絆」の人からは決して出なかったであろう。
したがって有益な情報を得ようと思うなら、異なる世界に属する複数のグループにまたがる人的ネットワークを構築するのを目指すのが良い。とはいえ異なる世界のグループに入り込むのは難しい。どうしたら文化が違う集団と上手くやっていけるのか。
イギリスの経済学者マーティン・キルダフによれば、異なるグループに入るのが得意なのは、カメレオンのような人間であるという*18。周囲の環境に合わせて色を変えるカメレオンのように、グループに応じて服装や発言など、自らの振る舞いを周囲に合わせるのが得意な人間のことだ。
もちろん全てを周囲に合わせる必要はないし、むやみに同調する必要もない。核となる信念はそのままに、表現を周囲に合わせるのだ。喜多川に合わせて「しずくたん」と口にする新菜のように。
そうすると、自らの肉体そのものを変化させるカメレオンを比喩として使うのは、少々不適切かもしれない。自分自身は変えず、表現だけを変えるのだから。なので俺はこう言おう。着せ替え人形になれ、と。
本作の着せ替え人形は喜多川だけではない。主人公である新菜も着せ替え人形なのである。
終わりに
これからの人生は、長く変化に富んだものとなる可能性が高い。それは若者に限った話ではない。既に社会の中で働いている人にも言えることである。振り返ってみれば、まだiPhoneが登場してから15年*19、VR元年からは6年*20、リモートワークが当たり前になってからはまだ2年しか経っていない。もう以前の世界を想像するのは難しいくらいなのにだ。きっとこれからもこういった変化が訪れるだろう。
そのような変化に対応するにはどうしたらいいか。本記事で述べた通り、繋がりからチャンスを掴み、勉強し、培ってきたスキルを武器に生き方をシフトさせるのだ。その事例として『着せ恋』は参考になるだろう。
ところで、本記事では話の展開上、雛人形制作には未来が無く、新菜はコスプレ衣装制作に生きることが正しいかのように書いてきた。しかし俺は雛人形を捨てる必要はないと考える。これからの時代は「何か一つ」ではなく、同時並行で進め、人生の道に幅を持たせることが重要だと思うからである。
雛人形作りで培ったスキルがコスプレで活かされていたが、その逆もまた然りである。コスプレのテクニックは雛人形にも使えるだろうし、コスプレと関係の深いイベント参加やSNS運用は、雛人形のPRにも役立つはずだ。そうやって得たスキルや知見を水平展開できることが、副業の良い点である。
参考書籍
この記事を書く上で参考にした本。
『LIFE SHIFT2 ―100年時代の行動戦略』
タイトルからも分かる通り、この記事を書く上で一番参考にした。長寿化とテクノロジーの進化が進むこの先の世界において、どのように生きるべきかという本。「2」ではあるが、これは続編というよりバージョンアップと捉えた方が良い。本書だけ読んでも十分に理解できる。なので今から5年以上も前に出版された前作を読む必要はない。少なくとも俺は読んでいない。
俺が記事で利用したのは、背景とキャリアの積み方だけである。本書では他にもコミュニティとの関わり方など、働き方以外の生き方についても記載されている。若い人や、子育て中の人にお勧め。
『ワーク・シフト ─孤独と貧困から自由になる働き方の未来図<2025>』
この記事をきっかけになった本。『LIFE SHIFT』の共著者の片方が書いた本で、実質的に「LIFE SHIFT・ゼロ」といった感じの内容。これを少しばかり読んでいたので、『着せ恋』を見た時に「これワーク・シフトに書いてあったやつだな」と思い、今回の記事ができあがった。
出版されたのが2012年で、タイトルの通り2025年の働き方を予想して書いている。今となってはもう手が届きそうな先である。なので今から読む必要は薄い。素直に『LIFE SHIFT2』を読もう。両方買ってくれたほうが俺は嬉しいけど。
『RANGE 知識の「幅」が最強の武器になる』
直接的な参考は「おわりに」だけであるが、ある分野で獲得したスキルを別分野で活かすという意味では、本書の考え方はがっつり使っている。複雑性が増し不確定な現代においては、一つのことに専門特化するのではなく、様々な経験を積むことが重要だという本。特に若いうちは専門を絞り込まず、いろいろなことを試し、自分には何が向いているのかを探すのが良い。
本書はビジネスマンがターゲットに書かれていると思うが、実際に読むべきなのは子育て中の親だと思う。特に教育に熱心な家庭向け。幼いうちから特定の習い事だけをさせるというのは、周囲より速く上達するので短期的には良く思える。しかし、長期的な視点で見るとリスクが高い。子供に何が向いているかは分からず、今やっていることは10年後にどれほど役立つかも不明だからだ。スタートが遅れても、探索に時間を使った方が最終的に勝てることを、本書は教えてくれる。
オタクに優しいギャルの記事
*1:新菜の祖父は今もなお現役で働いているが。これは職人としてまだ手が動くことに加え、新菜の両親が他界しているためであろう。しかし雛人形職人一筋のシンプルな人生を送ってきたことは想像に難くない。
*2:令和2年版厚生労働白書-令和時代の社会保障と働き方を考える-(本文)|厚生労働省
*3:図表1-2-1 平均寿命の推移|令和2年版厚生労働白書-令和時代の社会保障と働き方を考える-|厚生労働省
*4:厚生労働省政策統括官付政策立案・評価担当参事官室によると、2019年時点で65歳の人が90歳まで生きる確率は男性36%、女性62%である。これが2040年になると男性42%、女性68%にまで増えると推定されている。65歳の人の生存割合|令和2年版厚生労働白書-令和時代の社会保障と働き方を考える-|厚生労働省
*5:連載がスタートした2018年時点で15,16歳とする。
*6:第1回 人生100年時代構想会議リンダ・グラットン議員提出資料(英語)(PDF/3,080KB)(日本語訳)
*7:半導体の集積率が18ヶ月で2倍になる。
*8:周波数帯域幅はコンピュータの処理能力の3倍のペースで拡大していく。
*9:ネットワークの価値は接続するユーザー数の2乗に比例する。
*10:活用できる既存のテクノロジーが多彩であるほど、組み合わせて有益なものが生まれる可能性が高まる。
*11:車は「運転するもの」ではなく「乗るもの」とか。若者の車離れを考えると既に起きているとも言えるが。
*13:長寿化=死亡率が低下すると、出生率も低下することが世界的な現象として確認されている。
*14:出生数は1998年が約120万人であったのに対し、2019年は約87万人である。減っていることに変わりないが、雛人形ほどではない。第1部 少子化対策の現状(第1章 2): 子ども・子育て本部 - 内閣府
*15:これは「イノベーション産業の乗数効果」で説明できる。詳しく知りたい人は『年収は「住むところ」で決まる』(Amazon)を読もう。
*16:一般的に雛人形の制作は分業制であり、頭師、織物師、小道具師、手足師、髪付師、着付師の6部門に分かれている。頭師はその名の通り人形の頭部を作る職人であり、髪や衣服は別の職人が担当する。
*18:Social Networks and Organizations, by M. Kilduff and W. Tsai. Thousand Oaks, CA: Sage, 2003. 172 pages, $115.00 (hardcover), $36.95 (paperback) | Request PDF
*19:初代から数えて。最初は「スマホが登場して〜」と書こうとしたが、スマホの定義が面倒なのでiPhoneとした。
*20:ここでは最も有力な説である2016年とした。いつがVR元年かは諸説あり、去年という説もあればこれからという説もある。