本しゃぶり

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ブルマの興亡史

古代ローマ史には「人類の経験のすべてがつまっている」と言われる。
ではブルマの歴史には何がつまっているだろうか?

ブルマを覗くと慣習との戦い方が見えてくる。

束縛するファッション

ここしばらく「#KuToo」の記事をよく見た。

スーツも革靴も嫌いな俺としては、この風潮を歓迎する。ハイヒールやパンプスのような非合理的なファッションは、労働の現場から消え去ったほうがいい。そもそも会社の指定した靴により足腰を痛めたならば、それは労災である。労災のリスクが高い服装を強制するのはどう考えてもおかしい。

しかしながら、この時代にまだハイヒールやパンプスを強制してくる会社の意識を変えるのは難しい。合理的な思考をする会社ならば、すでに靴を自由化しているか、逆にかかとの高い靴を禁止しているはずだからだ*1。今も頑なにハイヒールを求めるということは、そこにある種の信仰を見出しているのだろう。

どうしたら非合理的な慣習を撲滅できるだろうか。こういう時は歴史を振り返る。これまでにもクソみたいな服装規定が生まれ、消えていった。そこから学ぶのだ。

そんなわけでブルマである。

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Kasuga~commonswiki CC BY-SA 3.0,Link

ブルマは女性差別を打ち壊す服として登場し、女性差別の現れとして消えていった。ブルマの歴史を紐解くことで、慣習との戦い方が見えてくる。

ブルマの興りと広がり

まずはブルマがどのように誕生し、広まっていったかを述べる。

合理的な服として

ブルマが誕生した19世紀半ばの欧米における女性服は、身体を束縛するものだった。

上半身はコルセットで締め付けられ、下半身にはペチコートが幾重にも重ねられる。全体で20メートル以上の布地を使って仕立てられた服の総重量は、5〜10kgにもなったという。当然、動くことは困難であり、階段の上り下りは重労働。ただ服を着ることが、健康を害するほどの負荷となっていた。

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François Courboin [Public domain],Link

こうした状況下、アメリカのフェミニズム運動の機関紙『リリー』に斬新なファッションが掲載された。当時としては極端に短いスカートと、トルコパンツを組み合わせたものである。このスタイルは『リリー』の発行人であるアメリア・ジェンクス・ブルーマーの名から、後に「ブルーマー」と呼ばれるようになる*2

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http://www.kvinfo.dk/kilde.php?kilde=253 [Public domain],Link

この奇妙なスタイルは、スイスの結核療養所で患者用に使われていたパジャマから発想を得たものだった。そのため当時の女性服と比べると着心地が圧倒的に良く、動きやすい。このスタイルをブルーマー夫人に紹介した女性解放運動家のエリザベス・ケイディ・スタントンは、「鎖と錘から解放された囚人みたい」と述べている。

どう考えてもブルーマーは既存の女性服より合理的である。だからバズった。反響はニューヨーク州だけでなくアメリカ全土から、さらに海を越えてヨーロッパにも広まった。『リリー』の購読者数は8倍に増え、驚異的な数の問い合わせが舞い込んだ。

結果、ブルーマーは農婦や繊維工場の女工といった、性労働に受け入れられた。また、女性運動の大会においては制服のように着られた。しかし、ブルーマーは猛烈な抵抗にあってその姿を消していくことになる。

嘲笑と批判

最初にブルーマーを批判したのは、関係者の家族だった。スタントン夫人の父親は「良識的な女性は男性のような格好はしない。そのような格好で実家に来ないで欲しい」と言い、息子は「ブルーマー服で学校に来ないで欲しい」と手紙に書いた。反対した家族がどちらも男性だったのは偶然ではないかもしれない。この後に続くブルーマーへの批判は主に男性によるものだったからである。

ブルーマーの女性は嘲笑批判にさらされた。風刺漫画でバカにされ、集会に着ていくと多くの不躾な言葉や嘲りに耐えなければいけなかった。中でも厳しく反発していたのは聖職者たちである。

女は男の着物を着てはならない。また男は女の着物を着てはならない。あなたの神、主はそのような事をする者を忌みきらわれるからである。
申命記 (口語訳) 22:5

聖書は異性装を禁じている。ブルーマーは男装であると批判したのだ。

ブルーマー夫人らも負けじと反論し立ち向かったが、次第に勢いを失っていく。トドメを刺したのはフランスで誕生したファッション「クリノリン」だった。

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Napoleon Sarony [Public domain],Link

骨組みによってスカートを膨らませるクリノリンは、ペチコートの重ね着と比較したらだいぶマシだった。なにせ中空だから軽い。そして重要なことに外見はブルーマーのように奇抜ではない。ある程度の快適さを獲得でき、男性陣からの抵抗も無い。これでブルーマーを推すインセンティブは低下した。

結果、フェミニストクリノリンを選択し、ブルーマーは消え去っていく。

それから約40年後、ブルーマーは復活することになる。

チャリが来た

19世紀末、欧米に自転車ブームが到来した。自転車の発明は1770年代であるが、その時点ではまだペダルすら無い代物だった。それから改良が続けられ、ペダルとハンドルハンドルがあり、ゴム製タイヤが前後で同じ大きさである現代とほぼ同じ構造の自転車が誕生したのが、この時代だったのだ。

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[Public domain],Link

この新しい乗り物に夢中になったのは男性だけではない。ヨーロッパの社交界の夫人たちを中心に、女性も自転車に乗るようになったのだ。当初は女性が自転車に乗ることに反対する者たちもいたが、この勢いを止めることはできなかった。

問題は服装だった。スカートは自転車に乗るのに向いていない。特にクリノリンと組み合わせるようなロングスカートは。風でスカートがはためき、ペダルに絡まる恐れがある。みっともないだけでなく、危険であった。

そこでブルーマーに白羽の矢が立つ。女性たちはサイクリングウェアとしてブルーマーを履くようになったのだ。

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Jules Beau [Public domain],Link

当時もまだ女性がブルーマーのようなパンツスタイルとなることは禁じられていた。マナーというだけでなく、法で禁じられていることもあった。だが禁じられるならば、隠れて乗るまで。1894年のニューヨークでは、ブルーマーを履いた女性たちが夜の暗い公園に集まり、サイクリングを楽しんだという。

こうしてブルーマーは自転車と共に広まり、やがてスポーツウェアとして水泳や体操、登山など他のスポーツにも使われていくようになったのだ。

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Unknown ca. 1902 photographer [Public domain],Link

ちょうどこの頃、一人の日本人女性が官費留学生として、アメリカに来ていた。彼女の名は井口阿くり。井口の目的は女子体育のあり方を学ぶこと。そこで目にしたのがブルーマーを履いて運動する女性たちだったのである。

日本におけるブルマの終焉

ここからは日本におけるブルマがどのように消えていったかを述べる。

ブルマの進化と不満

井口の手によってブルマは日本に導入された。井口が考案したのは欧米のブルーマーと同じで裾は長く、スカートと組み合わせて着用されている。上半身はセーラー服デザインなのが面白い。

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Inokuchi Akuri (1871-1931) [Public domain],Link

ここから時代が進むに連れて、ブルマは裾がどんどん短くなる。明確な理由は不明だが、おそらく動きやすさと汗の蒸散効果を求めてのことだろう。井口のブルマから30年経つ頃には、裾は膝上までにまで短くなっていた。いわゆる「ちょうちん型ブルマ」はこうして誕生した。

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Kasuga~commonswiki CC BY-SA 3.0,Linkを改変

短くなったとはいえ、裾を縛り、膨らみをもたせた形状であることには変わりない。もともと文部省は体育時の服装に気を使っており、女子は体の形が露骨に表れない服装をするようにと指示していた*3。なので機能上、ふとももを露出させるのはやむを得ないとしても、腰回りはゆったりとしたデザインとなっていたのである。

だが1960年代半ばになって状況は変わる。中学校体育振興会*4 (中体振) が誕生し、この組織が推薦するブルマが、現在のオタクが思い浮かべるナイロン製の密着型だったのである。

なぜ密着型にしたのか、これもまた理由ははっきりしない。だが中体振推薦ブルマの製造元である株式会社葵の持っている工場はもともと水着を生産する工場であるため、そのまま水着の技術を流用できるデザインにした可能性がある。加えて東京オリンピックによって、密着型の存在も知られつつあったのも関係しているだろう。

ともあれ、お上のお墨付きを得た密着型は瞬く間に普及し、ちょうちん型を駆逐していったのである。

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Kasuga~commonswiki CC BY-SA 3.0,Linkを改変

しかし密着型ブルマには問題があった。恥ずかしいという問題が。

セクハラというインセンティブ

露出が多く、体の形がはっきり出る密着型ブルマは、履くのが恥ずかしい。中にはそう思わない人もいるかもしれないが、恥ずかしいと思う人がいることを否定する人はいないだろう。少なくとも俺は恥ずかしいので履きたくない。履いたことは無いが分かる。

この恥ずかしいというイメージは、密着型ブルマが出た当時からあった。当然女子生徒の中から不満の声は上がる。しかし学校は聞く耳を持たない。なぜならすでに密着型ブルマを採用してしまっており、今更また変えるのは面倒だ。それにオリンピックを見れば分かるように、プロの選手は似たような格好で人前に出ている。何を恥ずかしがる必要があるか。

結局のところ、学校側には変更するインセンティブが無いのである。不満の声があるとはいえ、それは個人のわがままにすぎない。「これが決まりだ」と言って終わりである。

時代が進み、ブルセラショップが生まれ、ブルマの盗難事件が起きてもそれは変わらなかった。悪いのはブルマを性的にまなざす大人であり、それを利用する生徒である。学校側に落ち度はなく、責任もない。やはり指導すれば十分なのである。

状況が変わったのは、セクハラの概念が浸透したことだった。

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Sigmund Eggert [Public domain],Link

1989年に「セクハラ」が流行語大賞になってからというもの、セクハラの概念は日本社会に浸透していった。そうなるとブルマにまつわる問題に関しても、責任の所在が変わってくる。

女子生徒が嫌がり、問題だと声を挙げている。しかもブルマ姿が大人から性的まなざしを受けているのも明確であり、これは生徒の安全に関わる。それでもブルマを強要するというのなら、責任は学校側にあり、セクハラの加害者ということになる。

ここに来て、学校側にもブルマを廃止する強いインセンティブが生まれた。しかもちょうど良いタイミングで、ハーフパンツという優れた代替案も登場してた。こうして密着型ブルマは、30年も使われ続けたにも関わらず、急速に姿を消したのである。

まとめ

ブルマの歴史から何が言えるだろうか。まず弱い立場の人間が我慢して済んでしまうのならば、状況は変わらないということである。不満の声を挙げることは大事だが、弱者は2つの選択を迫られることになる。現状を耐えるか、反発して強者からの抵抗に耐えるか、である。この場合、短期的な苦痛は後者の方が大きいだろう。そうすると次第に脱落する者が増え、改革は失敗することになる。

ブルーマーが定着したのは、反対する者たちと戦って勝ったからではない。各自がやりたいことのために始め、隠れてでも続けたからだ。そうやってなし崩し的に普及したのである。

一方、密着型ブルマ廃止からは、権力側に変更のインセンティブを与えることが重要だと分かる。問題の責任を相手に移すのだ。

以上から「#KuToo」がどのように成功するか見えてくる。おそらくハイヒールやパンプスを履くことの辛さを訴えるだけでは何も変わらない。それは個人の甘えにすぎないと捉えられ、企業側として規則を変えるインセンティブが弱いからだ。

しかし、ハイヒールやパンプスによる怪我を労災とみなし強制することをパワハラとして訴える流れとなったのなら、話は変わる。責任の所在が企業側に移り、変更するインセンティブが生まれるからだ。そして今の状況を見ていると、このような未来は近いと思う。どこかの企業が名指しで訴えられたら一気に変わるのではないだろうか。

参考書籍

この記事の情報の大半は以下の2冊が元になっている。

女性の服飾文化史

女性の服飾文化史―新しい美と機能性を求めて

女性の服飾文化史―新しい美と機能性を求めて

ブルーマー誕生についての情報はこの本を参考にした。フランス革命から現代までの女性の洋服の歴史を幅広く扱っている。俺には一生縁の無い本に思えるが、なぜか持っていた。

ブルマーの謎

ブルマーの謎: 〈女子の身体〉と戦後日本

ブルマーの謎: 〈女子の身体〉と戦後日本

日本のブルマー史についての情報はこっちから。なぜ密着型ブルマという衣服が導入され、不満の声がありながらも30年間使われ続け、そして急速に姿を消したのか。この謎を解き明かしていく本である。今回の記事ではさらっと流したが、密着型ブルマ導入の流れは思った以上に入り組んでいて面白いので、読むことをオススメする。

学校に関係する記事

*1:実際、現場猫と親和性の高い職場なら、高確率でかかとの高い靴を禁止している。

*2:ブルマー・スタイル」を考案したのはブルーマー夫人ではない。考案したのは彼女の知り合いであるエリザベス・スミス・ミラーである。しかしブルーマー夫人が紹介したことで、勝手に彼女の名前がつけられたのだ。これはブルーマー夫人本人が望んだことでは無かった。

*3:1951年出版『文部省版 男女の交際と礼儀』

*4:全国中体連の金策用組織