本しゃぶり

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もっと作品を好きになりたければ具体的な感想を書くべき

他の人に一切見せないとしても、作品の感想を書く意味はあるのか。
この疑問に対し、行動科学は「ある」と回答する。

作品をより好きになるために、自分の脳をハックするのだ。

ターニングポイント

『ひとりぼっちの○○生活』が終わってしまった。

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『ひとりぼっちの○○生活』12話

毎週見ては「ぼっち〜 よかったね~」と、親戚の子の成長を見守るような幸福感を味わっていた。だがもう会えない。虚ろな目をしながら「もしかしたらきっと二期が」と公式Twitterを眺めている。

しかし「奇妙な点」が一つある。なぜ俺はこの作品をここまで好きになっているのかということだ。単純に出来が良いというだけでは説明がつかない。それに途中までは数あるアニメの一つでしかなかった。いったい何が俺を変えたのか。

実を言うと原因は分かっている。これだ。

この記事を書いてから、明らかに『ぼっち』に対する思い入れが強くなった。順番としては記事を書いてから作品を好きになったのである。もちろん記事のネタに選ぶ程度には、書く前から好きであった。だが、好感度は記事執筆の前後で明らかに変化しているのだ。

こういった経験は初めてではない。これまでにも様々なアニメ作品をネタに記事を書いてきたが、同じように記事執筆後は作品への好感度が上昇していた

本記事では行動科学から俺に起きた現象を説明する。さらにこの現象を逆に利用することで、好きな作品をもっと好きになる方法を述べる。結論はタイトルにある通り「具体的な感想を書け」である。語彙力を失っている場合ではない。胸の内をさらけ出すのだ。

記憶を変えよう

イギリスの経済学者テレンス・ゴーマンは「選ぶものは好みで決まり、好みは過去に選んだもので決まる」と言った。この言葉は「好き」の真実を言い表している。人が「○○を好き」と言った時、そこには過去の良かった経験と、未来にも良い経験ができるだろうという期待が込められている。

好みは過去に選んだもので決まるということについて深掘りしよう。アニメであれ食事であれ、その「経験」が良かったものならば対象を好きになる。ここで重要なのは「経験」「事実」とは異なるという点だ。「事実」は起こったこと全てであるが、「経験」は記憶に残り思い出せるものだけを指す。

心理学者によるある実験では、被験者に食事の「どこが良かったか」を「語って」もらった。語った被験者たちは食べたものをよりおいしかったと認識し、また食べたくなった。これは語ったことで良い点を思い出しやすくなり、記憶の中の経験が変質したのである。

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Leonardo da Vinci [Public domain],Link

俺の記憶も同じように変質したのだと考えられる。きっかけとなった『ぼっち』のような記事を書く場合、作品の良い点を見つけ出し、解説していく。俺のスタイルとして「ここで感動した」というような情動については書かないが、それでも「良い」と思った点を書いていることに変わりない。

そのため、記事執筆以前の放映分を思い出す時、俺の頭には「良かった点」が優先して思い出されるようになる。こうして経験が良いものと認識され、好きという結論に到達するのだ。

しかしこれではまだ好きの理由の半分しか説明したことにならない。あくまでも変質するのは「過去」であり、「未来」は違う。記事執筆"後"に見た話も良いと思うのは、また別のメカニズムが必要だ。

知覚的流暢性を高めろ

アメリカの心理学者ロバート・ザイアンスが提唱した「単純接触効果」を知っている人は多いだろう。ただ単純に何度も対象に触れているだけで、人はその対象を好きになってしまうことがある。ザイアンスによれば、本人が接触していることに気がついていない場合も起こりうるという。

なぜこのような現象が起きるのだろうか。最も有力な説は、何度も繰り返し接触することで「知覚的流暢(りゅうちょう)性」が高まるから、というものだ。

「知覚的流暢性」とは、その刺激を脳がどれくらい容易に処理できるかを示す言葉である。例えば、大人にとって子供向けの本は知覚的流暢性が高いと言え、専門分野外の論文は知覚的流暢性が低いと言える。

知覚的流暢性が高いと処理が容易であるため心地よくなり、それが刺激そのものに対する感情に移しかえられる。だから何度も接触しているうちに知覚的流暢性が高まり、好きになるのだと言うのだ。

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知覚的流暢性と好感度の関係のイメージ

上のイメージ図は心理学者のダニエル・バーラインの説を元に作成した。バーラインによれば好感度のスイートスポットがある。知覚的流暢性が低いと脳に負担をかけるため好感度は低いが、流暢性が高すぎても歯ごたえが無くつまらない。同じものを何度も見ていると飽きるのはこのためだと考えられる。

この知覚的流暢性の観点から、俺の『ぼっち』に対する意識を説明しよう。記事を書くために俺は作品と向き合い、考え続けた。これによって作品に対する理解が深まる = 知覚的流暢性が高まった。そして新しい話を見ると、作品に対する流暢性は高いが、話そのものには初めて接するため、流暢性が高すぎるということはない。このバランスがいい感じとなり、好感度のスイートスポットに到達したのだろう。

従って、シリーズ物を好きになろうとするならば、知覚的流暢性が高まるように振る舞うのが得策だと言える。好きになることは学習することなのだ。そして学習方法として有効なのがアウトプット、つまり感想を書くということになる。

自覚するところから始めよ

記憶への定着と知覚的流暢性を高めるため、感想を書くべきだと理解していても、実行に移すのは難しい。それは人が好き嫌いについて、理由を知る前に判断するからだ。なぜ自分が対象を好きなのか分からないのに、感想を書けるわけがない。

モントクレア州立大学の心理学教授のポール・ロッチャーは、タキストスコープ(瞬間露出機)で被験者に絵画の画像を次々に見せる実験を行った。1枚の画像の表示時間はわずか0.05秒。これほどの「一瞬」だと、人の目には残像として残らない。だがそんな短時間の接触にも関わらず、人は好き嫌いの判断を下すのだ。

例えばフェルメール『少女』を見た人は一瞬で何を認識するか。

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Johannes Vermeer [Public domain],Link

視線はほとんど本能的にこの若い女性の顔に引きつけられ、性別や年齢、向いている方向、全体的な色彩を認識する。そしてこの絵に対する好き嫌いの判断も。このことについてドイツの心理学者ハンス・アイゼンクは「絵画の美的価値の評価は、絵そのものを知覚するのと同時に起こっているのかもしれない」と述べている。

これらの認識活動は無意識の内に行われている。この能力は生き残るために獲得したものだ。捕食者と遭遇したならば、素早く行動に移さなくてはいけない。蛇を目の前にしても逃げ出さない者は失格である。

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Pierre Claude François Delorme [Public domain],Link

しかしその生存戦略が芸術鑑賞では足かせとなる。好き嫌いを本能と経験から直感的に判断する上、その理由を自覚できないからだ。感情の変化は消し飛び、意識には「好き」という『結果』だけが残る。これでは感想を書けないのも無理はない。

そこで感想を書く第一歩として、自分の好きな点を自覚するところから始めると良い。さっそく練習してみよう。

以下にウジェーヌ・ドラクロワ民衆を導く自由の女神が貼ってある。一度は見たことがあると思うので、知覚的流暢性は悪くないはずだ。この絵画の好きな点をタッチ (クリック) してみよう。手を動かすことで、言葉を使わずに好きを自覚するのだ。もちろん広告が仕込んであるとか、神奈川県警の手を煩わせるようなことは無いので*1、気軽にやってほしい。

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Eugène Delacroix [Public domain],Link

やってみただろうか? こういう時、素直に手を動かせる人は成功する。ビジネス書や自己啓発書を読んで意味があるのは、学んだことを元に行動した場合だけだ。ウォーレン・バフェットを見習うといい*2

タッチした人は、なぜ自分がそこを選択したのかを考えてみよう。そして理由を言語化する。感想はこのように紡ぎ出していくのだ。

芸術作品を見た時、その対象を優れていると判断した人の脳内ではデフォルトモードネットワーク (DMN) が活性化している。ニューヨーク大学アートラボ所長の神経科学者エドワード・ヴェッセルによれば、DMNは内部指向認識の状態、つまり自分のことを考えている時に活動を開始するという。

作品を見ると同時に自分の内面と対話する。これこそが芸術鑑賞のあるべき姿なのかもしれない。

終わりに

ガルパンに始まり「〇〇はいいぞ」は感想を書く上で人気のフレーズである。これが人気の理由はネタバレ防止だけでなく、意識に残る「好き」という『結果』だけを語るのに便利だからだと思われる。

しかしこれで済ませてしまうのは、人間の認知を考慮するともったいない。ここまで読んだ人ならば分かるように、記憶の定着には繋がらず、知覚的流暢性も高まらないからだ。なので作品をもっと好きになりたいと思うならば、できるだけ具体的な感想を書いたほう良い。コストはかかるが、やる価値はある。

とはいえ、いきなり作品の感想を書くというのもハードルが高いだろう。そこでこの記事を練習台として使うことを提案する。なにも何百字も書けと言うのではない。最初は1文だけでも構わない。そうやって感想を書くことを習慣にしていけば、本命の感想も書けるようになるだろう。

ところで、ここまで感想を書いたら好きになれると主張してきたが、前回の記事が何だったか思い出してしまった。

変な誤解をされなければ良いのだが……

参考書籍

本記事で参考にした本はこれである。

好き嫌い―行動科学最大の謎―

好き嫌い―行動科学最大の謎―

記事のテーマの都合上、個人単位の好きにおけるネタだけ取り上げたが、他にも社会的な影響でどのように変わるかといった話もある。例えばAmazonにおける本の評価はどのように変化するかという話がある。最初はファンやその内容に関心の高い人が買うので高評価だが、目立つようになるとそれほど興味のない人も買うため、評価が下がっていくという。ブコメの流れに通じるものがあって面白い。

この記事の続き

*1:PCでクリックすると画像が大きく表示されるぐらい。

*2:ウォーレン・バフェットに学ぶ、自己啓発書の使い方 - 本しゃぶり