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『鬼滅の刃』大ヒットの理由が見つかることは無い

誰もが知りたい『鬼滅の刃』大ヒットの理由。
これはどれほど丹念に作品と向き合っても答えは得られない。

なぜなら人の繋がりから生じる偶然の結果だからだ。

なぜ大ヒットしたのかという疑問

この『鬼滅の刃』解説記事に対する反応が興味深い。

このnoteは『鬼滅の刃』の導入を解説したものだ。どうやって読者を1ページ目から引き込むか、その「技術」と「困難」について書かれている。これに対し、ブコメはほぼ批判一色となった。

書いてある内容は決して間違っていないし、かなり細かく説明されている。なのになぜ批判が多いのか。コメントの内容は主に以下の2点となる。

  • 『鬼滅の刃』に限った話ではない
  • 長い

先に後者についてだが、「長い」ということは必ずしも悪ではない。スクロールバーが点になるような記事でも、好意的なコメントが多いこともある。結局のところ「長い」という批判が意味することは、自分の知りたいことが書かれていないである。その「知りたいこと」は、もう片方から推定できる。それは『鬼滅の刃』が特別な理由だ。

とりあえず特別さを示す記事を貼ったが、あなたが本記事を読む時には数字をさらに伸ばしているだろう。映画の興行収入が恐ろしいペースで増え、単行本がランキングを独占し*1、「人柱」すら作中用語に見えてくる。社会現象と呼ぶにふさわしい状況だ。

こうなると、ある疑問が生じる。「なぜ『鬼滅の刃』はここまで大ヒットできたのか」と。完全にTVアニメの続編である映画を、普段マンガやアニメに縁が無い人すらも見に行くような事態だ。よほど特別な要素があるに違いない。その「特別な要素」とはいったい何なのか。

先のnoteを読んだ人の「特別な要素」を求めた割合は多かったに違いない。当初の記事タイトルも後押ししただろう*2。だが内容は現在のタイトル通り、『鬼滅の刃』を例にした普遍的な技術*3の解説だったため、期待を裏切られたと感じた人が多かったと思われる。

あのnoteに関しては読者が勝手に期待したと言えなくもないが、そのものズバリ「なぜ大ヒットしたのか」という記事も多々ある。しかしその理由を作品内に求めた場合、マンガを読む人ほど納得できないだろう。なぜなら要素の多くは固有のものではないからだ。

行き着く先は円環

『鬼滅の刃』初代担当編集へのインタビューで、「みんなが知っている要素を使う」という話があった。

みんなが知っている要素を使わないとわかりにくいよねと。『ONE PIECE』だったら海賊。『NARUTO -ナルト-』だったら忍者と学園モノ。歴代のヒット作は、みんなが知っている要素を使って新しいものを創り出している。そういうものが吾峠先生には必要なんじゃないかと言われました。
【インタビュー】『鬼滅の刃』大ブレイクの陰にあった、絶え間ない努力――初代担当編集が明かす誕生秘話 - ライブドアニュース

これは正しい。知っている要素を含んでいると「知覚的流暢(りゅうちょう)性」が高まるからだ。これはその刺激を脳がどれくらい容易に処理できるかを示す言葉である。流暢性が高いとたやすく理解でき、低いと理解するのに苦労する。

心理学者のダニエル・バーラインは、知覚的流暢性には好感度のスイートスポットがあると考えている。ゲームは程よい難易度が最も面白いように、あらゆるコンテンツは「馴染み感」「新規性」のバランスが大切なのだ。単純接触効果が生じるのは何度も触れることで知覚的流暢性が適度に高まったためだと考えられ、触れ続けて飽きるのは流暢性が高まりすぎたせいだと言える。

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知覚的流暢性と好感度の関係のイメージ

上のグラフは俺が適当に描いたものだが、似たようなグラフは実際の研究で出されている。ハーバード大学とノースイースタン大学の共同研究チームは、研究の「新規性と評価」の調査を行った*4。まず約150件の研究計画書を集め、その新規性を採点する。次に142人の専門家に各プロジェクトを評価してもらった。

結果、最も評価が最低だったのは新規性が高すぎる研究だった。一方でありふれた内容の研究はまだマシとはいえ、やはり評価は高くない。最高の評価を得たのは「ある程度の新鮮味がある」とされた研究だった。やはり人は「知っている要素」を使ったものを好む。

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研究計画の新規性に対する評価のスコア / Why Experts Reject Creativity - The Atlantic より

実際、『鬼滅の刃』は馴染みのある要素を多く持っている。先の担当編集インタビューでも語られているように「刀」や「大正時代」がそれだし、『ジョジョの奇妙な冒険』に通じる要素もある。インタビューでは挙がらなかったが、「柱」は黄金聖闘士みたいなものというコメントを何度か見かけたことがある。これらの要素が知覚的流暢性を高めているのだ。

しかしこれらは全て、馴染み感 = 他の作品と共通する要素である。つまりある程度の人気の要因にはなりえても、圧倒的な人気の要因とはなりえない。もし解説記事でこれらの要素を根拠に語ったのであれば、「別にこれは鬼滅に限った話ではないのだが」とツッコミが入るだろう。

対して『鬼滅の刃』固有、あるいは珍しい要素を取り出して根拠とするのも難しい。そういった要素が人気の秘訣であるならば、既に多くの作品で使われているはずだからだ。人気に直結しない、嫌がられることが多い。そういった要素であるからこそ、使う作品が少ないと考えるべきだ。

なので還元主義よろしく要素から人気の理由を語ろうとすると、最終的には「この組み合わせだったからこそ成功した」としか言えなくなる。なぜ「この組み合わせ」がベストなのかと言えば、成功した作品である『鬼滅の刃』は「この組み合わせ」だからだ。日輪の様に円環を描くこれは循環論法

このように要素から人気の理由を語れるのは、ある程度のレベルまでの話であり、社会現象レベルは無理である。かと言って外部 = 環境要因で全てを説明するのも無理だ。他の作品にも言えることだからである。

なので最終的には、理由を求める人々が最も嫌う回答を提示するしかない。偶然である。ここで一つ、最も有名で分かりやすい例を紹介しよう。

蝶の羽ばたき

美術作品において最も保険価値が高いのは『モナ・リザ』だという*5

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Leonardo da Vinci, Public domain, via Wikimedia Commons, Link

この絵が素晴らしい理由は何だろうか。「神秘の微笑」「幻想的な背景」「黄金率」「手が性的」など。人々は様々な理由を挙げるが、一つの質問には答えられない。「なぜそんなに素晴らしいのに、500年間も地味な扱いを受けていたのか」

『モナ・リザ』は長きに渡って地味な存在だった。ルーヴル美術館に展示こそされていたが、ティツィアーノやラファエロの作品と比べたら格下だった。それどころかエステバン・ムリーリョやアントニオ・デ・コレッジョなどの作品と比べても注目されていなかった。ある程度の価値はあるが、トップクラスではない。それが『モナ・リザ』の評価だった。

歴史が動いたのは1911年8月21日。ルーヴルの職員ヴィンチェンツォ・ペルッジャが『モナ・リザ』を盗み出した*6。イタリア人で愛国者である彼は、『モナ・リザ』はフランスではなくイタリアにあるべきだと考え、自らの手で本国に戻そうとしたのだ。

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Unknown author, Public domain, via Wikimedia Commons, Link

2年後、ペルッジャは『モナ・リザ』の処分に失敗して逮捕された。しかしこれによって『モナ・リザ』の知名度は一気に高まる。イタリア人は同胞の愛国心に感動し*7、『モナ・リザ』をフランスに返還する前にイタリア各地で公開した。フランスの人々は大事な美術品を取り戻せたということで感動し、やはり『モナ・リザ』に注目が集まった

話題になった絵が皆のおもちゃになるのは、今も昔も変わらない。1919年にマルセル・デュシャンが『モナ・リザ』にヒゲを生やしたのを筆頭に*8、様々な芸術家がネタにした。知名度のある絵ということで広告に使うものも出てくる。有名になるとバカが寄ってくるものだ。『モナ・リザ』に酸をかける者が出たと思ったら、石を投げつけた者も現れた。そして『モナ・リザ』の知名度はさらに高まったのである。

知名度が高まると、頭の良い人達が作品の素晴らしさを解説してくれる。こうして名実ともに『モナ・リザ』は美術品のトップに到達したのである。

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Max Fercondini, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons, Link

ここでifを考えてみよう。もしペルッジャが『モナ・リザ』を盗み出していなかったらどうだろうか。ルーヴルに数ある美術品の一つとして、慎ましく展示されていただけの可能性はある。だとすると『モナ・リザ』が今のような地位にあるのは、偶然ではないか*9

世界的な美術品でさえもその価値は偶然にすぎないと言えそうなのに、『鬼滅の刃』の現状が必然であるとどうして言えるのか。『モナ・リザ』ほど分かりやすいターニングポイントは無いにしろ、様々な偶然の重なりによる結果だと俺は考える。

しかしこの主張の難しいところは、検証ができないことにある。我々はペルッジャが『モナ・リザ』を盗み出していない世界や、LiSAが紅白に出場しなかった世界の行く末を見ることは無い。なのでこれらがどうなるかは仮説の域を出ないのだ。

だが現在の並行世界を観測することはできなくても、新たに並行世界を作ることはできる。

並行世界の観測者

現在ペンシルベニア大学教授となっている社会学者ダンカン・ワッツは、プログラマーのピーター・ハウゼルと共に「ミュージックラボ」というサイトを立ち上げた*10

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Doc Searls, CC BY-SA 2.0, via Wikimedia Commons, Link

ミュージックラボには無名のバンドの曲が48曲登録されている。実験に協力したSNS「ボルト」からやってきた被験者は、バンドの曲を聴いて採点し、望むならダウンロードすることができる。

ここでポイントなのは、ミュージックラボは9つの世界に分かれているということだ。基準となる第1の世界では、被験者が見るのは曲名だけである。だが、第2〜第9の世界では、曲名の隣にダウンロード数も表示されている。他の被験者がどの曲を気に入ったのか分かるのだ。もちろんダウンロード数は世界ごとに独立している。そして被験者は9つの世界のいずれかにランダムで振り分けられる。

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ミュージックラボのイメージ

もし人々が自分の好みだけで曲の良し悪しを判断しているのであれば、どの世界でも曲の人気は同じようになるはずだ。質の高い曲が上位になり、低い曲は下位となる*11。だが人々が自己判断だけでなく、社会的影響、すなわちDL数を参考にするならどうなるだろうか。

結果は3点にまとめられる。

  • 社会的影響ありだと格差が広がり、人気のある曲はいっそう人気になった
  • どの曲が人気になるかは世界によって異なった
  • 質の高い曲は、質の低い曲よりも平均的に人気があった

おそらく皆の予想通りの結果だと思う。DL数という人気の指標が見えると、人はその人気に乗っかりやすいため、さらにその曲が人気になる。つまり累積的優位が適用されるのだ。富む者はますます富み、不均衡性が増すのである。

だが、その累積は初期のわずかな偏りから始まる。たまたま初期に音楽をDLした人の好みによって、その世界の人気曲が決まるのだ。これは社会的影響を人間の意思決定に持ち込んだことで、予測不能性が増すことを意味する。

ただし、曲の質が意味をなさないというわけではない。やはり圧倒的に質が高い曲はひどい結果にならなかったし、その逆も言えた。だが特別良くも悪くもない大多数の曲はどんな結果もありえた。ある世界で1位を取る一方で、別の世界では (全48曲中) 40位だったのだ。

追加実験で曲の表示順をランダムではなく、人気順にしたところさらに不均衡性と予測不能性が増した。これでは曲のいかなる差よりも、ランダムな変動が大きな影響を与えていた。偶然が最も大きな要因となったのである。

お前はなぜ『鬼滅の刃』に手を出したのか

ダンカン・ワッツのミュージックラボ実験では、社会的影響はDL数というたった一つの指標だけである。だが現実はもっと複雑で、社会的影響は強力だ。人は自分が所属するネットワークから様々な影響を受ける。しかもこの影響は相互作用する。こうなると何がどのように作用するのか予測する術は無い。

実際、俺自身のことを考えても、なぜ『鬼滅の刃』を見続け、そして話題にしたのか、理路整然と説明することはできない。少なくとも作品の要素だけで言えることではないと言える。

ゆえに「なぜ大ヒットしたのか」を知りたくても、その欲求が満たされることは無いだろう。全ては偶然なのだから。

終わりに

人は理由を求める生き物だ。それは、因果関係を推測した方が生き残る確率が高いからだと言われている。草木が音を立てた時、それを偶然だと無視するような者は遠からず襲われて死ぬ。生き残るのは草木の影に肉食獣を想像し、素早く対処する者である。

だからあらゆる事柄に理由があると考えてしまう。見える範囲に原因が見つからなければ、前世まで持ち出すほどに。しかし世の中には偶然でしかないことも多い。偶然を受け入れることが、世界を理解する一歩であると俺は考える。

参考書籍

この記事を書くのに参考にした本。

『ヒットの設計図』

作品や何やらが「ヒットする」とはどのような現象なのかを解説した本。『好き嫌い――行動科学最大の謎』と『偶然の科学』を合わせたような感じ。

クリエイターで重要なのは「量」と「質」のどちらが重要かという話がある。ある程度の質は重要だが、一定以上のレベルに達したら量の重要性が増す。数を多く出すことで馴染み感を作り出すと共に、試行回数を増やすことでバズる確率を高められるからだ。さらに言えば「ネットワーク」も重要なのだが。

『偶然の科学』

ミュージックラボ実験をしたダンカン・ワッツの著書。社会学は偶然の要素が多く、再現実験するのが難しいから、理論を証明するのが困難だよねという本。

Yahooに勤めていただけあって、ネットを使った面白い調査がいろいろとある。例えばインフルエンサーへ依頼するのは本当に効果があるのか、とか。著者曰く、インターネットは社会学における望遠鏡のようなものであるとのこと。

大ヒットもといバズの記事

*1:『鬼滅の刃』既刊全22巻で1位~22位独占の快挙 シリーズ総売上は9,000万部を突破【オリコンランキング】 | ORICON NEWS

*2:記事公開時のタイトルは「(ネタバレなし)『鬼滅の刃』に、どれくらい高密度に「物語を面白くする技術」が詰め込まれているのかを具体的に解説する」だった。 archive.today link

*3:マンガの導入と言えば、『ジョジョ』の荒木飛呂彦は著書『荒木飛呂彦の漫画術』(amazon) の第一章に「導入の書き方」を持ってきていた。そこでデビュー作の『武装ポーカー』は特に冒頭部分に力を入れたと語り、各カットの目的を解説している。1ページ目がダメだと編集者はそれ以上読んでくれないと書いてあるので、おそらくジャンプにデビューするレベルの漫画家は全員知っている程度には普遍的な話だと思われる。

*4:The Novelty Paradox & Bias for Normal Science: Evidence from Randomized Medical Grant Proposal Evaluations

*5:【美術解説】世界で最も高額な絵画ランキング【2020年最新版】 - Artpedia アートペディア/ 近現代美術の百科事典・データベース

*6:この盗難について、過去の言動からフランス人詩人のギヨーム・アポリネールに盗難の容疑がかかり、逮捕され投獄された。友人のパブロ・ピカソも事件の関与を疑われて逮捕された。

*7:愛国心による犯行ということで、ペルッジャは半年で牢獄から出ることができた。

*8:トイレの『噴水(泉)』の人。こいつ絶対Twitter向きだと思う。

*9:もちろんルーヴルに展示されることまでを偶然と言うつもりはない。

*10:Experimental Study of Inequality and Unpredictability in an Artificial Cultural Market | Science

*11:曲の質の良し悪しは、社会的影響の無い第1世界での人気で判断できる。