本しゃぶり

骨しゃぶりの本と何かを繋げるブログ

モチベーションを重視する大人の読書感想文

読書感想文はクソである。
クソな理由を掘り下げると人間教育とコンクールにぶち当たる。

大人なら両者から自由なのでクソでなくなる。

最後まで残る宿題

読書感想文の季節である。

7月中旬あたりからTwitterなどで読書感想文という文字列を見かけるようになり、8月に入ってからそれなりの頻度で目にする。もはや季語*1。もちろん肯定的な使われ方ではない。大半は怨嗟の声である*2

実際、この令和の時代においても、読書感想文は厄介な「夏休みの宿題」であるようだ。PTAなどの団体向け連絡網アプリを開発している株式会社イオレが行った調査によると、夏休みの宿題で最後まで残りがちな宿題は、43.3%読書感想文がトップである*3

これだけ多くの人が読書感想文で苦しんでいるため、世の中には有料無料問わず多くの「読書感想文の書き方」が存在している。しかしこれらの手引を読んでいて一つ気になった。あまりにもスキルに重点が置かれすぎてはいないかと。モチベーションが軽んじられている。

インテル元CEOのアンドリュー・グローブは、部下が仕事をできない場合は「やる気が無い」「能力が無い」のどちらかだと言った。だからマネージャーの仕事は突き詰めると「部下のモチベーションを上げること」「部下を教育すること」だという。だから読書感想文にしても、教育 (スキル提供) だけでなく、モチベーション向上にも取り組んだほうがいいのではないか。やる気があれば困難も乗り越えられる。

World Economic Forum from Cologny, Switzerland, CC BY-SA 2.0, via Wikimedia Commons, Link

ということで、読書感想文に取り組むモチベーションを向上させるにはどうすればいいか考えた。しかし読書感想文の目的を知って察する。これは無理だと。こんな状況で、やる気が出るほうがおかしい。だが読書感想文の抱える問題は、後述するように人間教育コンクールに起因するところが大きい。従ってこれらと無縁な大人ならば、解決可能だ。

本記事では「読書感想文の歴史」に起因する問題を取り上げ、その後に読書感想文で効率よくリターンを得る方法を提示する。

なぜ読書感想文を行うのか

読書感想文は小中学校における夏休みの宿題として書くことが一般的である。ゆえに学校で行うべきものと思いこんでいたのだが、実際は違う。学校で取り扱わなければいけないことは学習指導要領に記載されているのだが、その中に読書感想文は含まれていないのだ。

試しに小学校指導要領小学校学習指導要領解説*4の国語で「読書感想文」を検索してみるとよい。1件もヒットしないことが分かるだろう。

もちろん文章を読んで感想を持つことは、取り扱うことになっている。例えば第1学年および第2学年の時点で、読むことに関する身に付けさせるべき事項として「文章の内容と自分の体験とを結び付けて,感想をもつこと。」と書いてある。だがこれは読書感想文を書けということではない。身に付けさせる手段として読書感想文をさせるのは構わないが、手段が読書感想文である必要はないのだ。

それどころか、読書感想文を無理に書かせるような指導は慎むべきだと、文部科学省の公式見解として提示されている。

例えば,読書感想文を書くこと自体は子供たちの国語力を向上させる有効な方策の一つであるが,一律に,読書感想文を強制するなど子供たちに過度の負担を感じさせてしまうような指導では,子供たちが物語の中に入り込めず,読書を楽しむことができない。
これからの時代に求められる国語力について-II これからの時代に求められる国語力を身に付けるための方策について-第2 国語力を身に付けるための読書活動の在り方

該当箇所の見出しは<子供たちの「読書意欲」を高める>であり、文部科学省は読書活動の上でモチベーション向上が重要であるとし、その上で読書感想文が弊害になりうることも認識しているようだ。

では何のために学校は宿題として読書感想文を書かせているのか。2017年に全国大学国語教育学会のある研究発表によれば、「青少年読書感想文全国コンクールへの代表者を選出するため」であるという*5。学校で読書感想文の指導を受けた覚えがないという人が多いのも当然で、わざわざ授業の時間をとってやるべき事柄ではないのだ。

なぜ文部科学省が後援になっているとはいえ、ただのコンクールが必ず参加するものになったのか。それは作文教育のネタとして優秀だったからだと考えられる。

作文教育の変化

20世紀初頭、日本でも「〈子供〉が発見」される。それまでは小さい大人として扱われていたのに対し、ペスタロッチやフレーベルなどの教育論が入ってきたことで、大人とは異なる独自の存在として子供を扱うようになったのだ。その影響は作文教育にも及ぶ。それまでは大人が書くような論説作文が中心であり、他には堅苦しい書簡文や漢作文を書いていた。それがが言文一致運動もあいまって、現代のような子供らしい感性を前面に押し出す作文へと変わっていったのだ。

作文教育の変化

とはいえ、このような感性を表現する文章を教えるべきだと、誰もが主張していたわけではない。対立する存在として、実用的情報伝達を重視する派閥がいた。戦前は表現派が優勢であったが、戦後に状況が変化する。1947年に発表された学習指導要領国語科編 (試案)*6が作文に求めたのは、実用文よりであった。例えば作文の第六学年には、以下のように書かれている。

手紙とか、日記とかいう実用文に習熟させ、文章の社会的価値をわからせる。たとえば、会合の招待文や、病欠の友人への見舞文、見学の申込文、そのほか学校新聞の原稿依賴文や、会合や、見学や、原稿などのお礼文、生活日記、見学や、研究や、製作日記、遠足や旅行日記、観察・飼育・調査日記など。
第三章 小学校四、五、六学年の国語科学習指導 第二節 作文

もちろん表現する文章を書かないというわけではないが、バランスが変化したのは間違いない。この方針に表現派は反発した。曰く、作文教育は総合的な生活指導であり、人間教育でもある。これは国語科の枠をこえた学習活動であり、子供のうちは生活経験を表現することから始めるべきである、と。

しかしその生活経験が問題であった。表現派が好んでいた題材は、純朴で無邪気な農民の子供の生活を綴ったものである。それは『雨ニモマケズ』を連想するような、貧しい山村が背景にあった。ところが戦後の高度経済成長時代に、そのような生活を送っている子供はどんどん減っていく。表現派の求める子供の文章は時代に合わなくなってきたのだ。

Unknown authorUnknown author, Public domain, via Wikimedia Commons, Link

そんな時期に登場したのが、青少年読書感想文全国コンクールであったのだ。1955年のことである。作文教育のネタを探していた教師たちにとって、これは使えた。題材を選ぶ手間が不要で、児童全員をまとめて指導しやすい。そして何より、読書体験と自分の生活体験を重ね合わせ、自分の感動と変化を綴るという、私小説スタイルがウケたのだ。

実際、言語力育成協力者会議(第1回)の議事を読むと、読書感想文がただの読書活動ではなく、作文教育の流れを汲んでいることがうかがえる。 

言語力と国語力の違いを明確にしてほしい。資料の論点案では,言語力は国語力の中の一部として取り扱っている。国語科で使う言語力とは,思考や論理,伝達のような国語力の中の一部を切り取って使っている。国語力にはさらに情緒や感情があると考える。私は国語科においては,感想は否定すべきものではないと考えており,読書感想文も人間性を高めていく上では必要なもの(筆者強調)である。
言語力育成協力者会議(第1回) 議事要旨:文部科学省

こうした背景もあり、読書感想文コンクールへの応募点数は増加し続け、夏休みの宿題として確固たる地位を確立したのであった。

だが最初からコンクールと不可分な関係であったことで、読書感想文の本来の目的、「考えを深める」「感情の記録」*7を達成するのに不要な要素がくっついた。これが読書感想文を書く上で弊害になっていると考えられる。

コンクールの問題

青少年読書感想文全国コンクールの応募要項を読むと、クソみたいな条件がいろいろと書いてある。

  • 電子書籍はNG
  • 文字数制限 (実質的には制限いっぱいまで書くことを求められる)
  • 課題読書、自由読書それぞれに一人1編まで
  • 個人のオリジナルで未発表の作品に限る
  • 原稿用紙に縦書きで自筆*8

ここで挙げたクソな条件のうち、上から4つはコンクールであるがゆえの条件である。例えば電子書籍が禁止されているのは、審査を行う際に応募者と同じ本を用意して確認するためだ*9。「同じ本」とは出版社だけでなく、なるべく版まで揃えることを意味する。しかし電子書籍だと、応募者と同じバージョンを用意することは困難である。だからNGなのだ。

厳正な審査をするために、このような条件が必要なのは理解できる。しかし、コンクールが謳っている読書感想文を書く目的「考えを深める」「感情の記録」のために、このような制限が必要かと言われたら、答えは。間違いなく不要である。

そして最後に挙げた「原稿用紙に自筆」という縛り。明らかにいらないだろ。応募要項やQ&Aを読めば分かるが、ケガ障がいなどの理由があれば、代筆やワープロソフト等による応募も受け付けるのだ。読むにしたって管理するにしたって、原稿用紙よりもデータの方が絶対に楽である。もちろん書く方にとってもそうだ。小学校低学年だとタイピングより手書きの方が楽かもしれないが、だからといってNGにする必要はない。

読書感想文全国コンクール公式サイト 感想文Q&A

どうせこれも「人間教育」を意識してのことなのだろう。理由が思想に根ざしているのであれば、合理性を求めても仕方ない。

ただでさえ書くのが面倒な読書感想文は、コンクール応募のために余計な制限が課せられている。これらの制限は、読書感想文を書くモチベーションに対してはマイナスに作用する。しかし学校教育における読書感想文は、その始まりからコンクールと密接な関係にあるため、制限を撤廃することは難しい。しかも戦前からの作文教育の影響もあるときた。

このように読書感想文の背景を知ると、今さら俺のような外部の人間が「学校における読書感想文はこうあるべき」なんて書いても無意味であることを強く実感する。なので現在の子供を救うことは諦めた。救う対象は昔の子供にしよう。つまり大人のことだ。

大人の読書感想文

俺も子供の頃は読書感想文が嫌いであった。だが読書そのものは好きである。間違いなく平均以上は読んでいた自負がある*10。それでも読書感想文を書くことは苦痛であり、毎回困難を極めた

そんな俺が今では頻繁に読書感想文を書いている。以下は7月に書いた読書感想文の例だ。(なお有料)

なぜこうも自ら読書感想文を書くようになったのか。おそらく構造としてはこれと同じだろう。

体育が嫌いだった人が、大人になってから運動する楽しさに目覚めることはよくある話だ。俺もその一人で、学生時代はぜんぜん運動していなかったのに、今では部屋にチンニングスタンドを設置して毎日ぶら下がり、休日はBeat Saberで汗だくになっている*11。自分に最適化する形で行えば、良さに気がつけるものである。

読書感想文も同じである。子供の頃の読書感想文がクソだったのは、人間教育であり、コンクールに応募するためのものだったからだ。自分に最適化することで、コスパよくモチベーションを意識して行えば、なかなか悪くない執筆活動だ。本による考えが深まり、自分の感情を記録することができる。

せっかくなので、大人の読書感想文が子供の読書感想文とどう違うのか書いておこう。

最初から最後までPCで書く

子供は原稿用紙に手書きすることを強いられるが、大人なので最初から最後までPCで書くことができる。これはプロトタイプから最終的なアウトプットまで、流れるように行えるのが良い。

多くの分野では、プロトタイプと完成品は異なる材料で作られてきた。活字は紙の上でデザインされた後に、金属に刻まれるというように。読書感想文に原稿用紙を使うというのは、これと同じである。読書感想文の手引きを読むと、いきなり原稿用紙に書くことはNGとされる。先に穴埋め式のフォーマットを活用し、それで書く内容が整理されてから原稿用紙に書き始めるのだ。面倒くさい。

例:読書感想文が簡単に書けるフォーマット | 読書感想文の書き方 | ベネッセ教育情報サイト

対してPCならば、こういったメモをそのまま完成品に使うことができる。コピペができるというだけでなく、簡単に文章の順番を入れ替えられ、修正も加筆も好きなだけできるのが重要だ。そのため、まずスケッチするように概要や見出しを書き、徐々に細部を書き込むというやり方ができる。これはモチベーションを保つのに有効である。

おそらくこの話に見覚えがある人もいるだろう。元は読書感想文ではなくソフトウェア制作の話だ。やっていることは本質的に同じなので、そのまま流用させてもらった。

好きなタイミングで書ける

好きなタイミングとは、春夏秋冬の意味ではない。読書に対する書くタイミング、つまり本を読んでいる途中でも書いていいということだ。コンクールが想定しているのは、読了した上での感想だろう。しかし大人は自由なので、読んでいる途中で気になったトピックだけを対象に書いてもいいのだ。

例えば俺が2022年上半期に読んで面白かった本の1冊である『食糧と人類』という本がある。

これについて書いた感想文の一つは*12、本書を読んでいる途中で書いたものだった。食糧生産とプレートテクトニクスが繋がるのが面白く、先に書いてしまおうと思ったのだ。

途中で感想文を書くことには「記憶が新しいうちに書ける」「テーマが絞られる」といったメリットがある。読み進めて他に書きたいネタが出たり、当初と感想が変わったりしたら、また書けば良い。これはコンクールに出すものではないのだから、何度書いてもいいのだ。

俺の場合はnoteなのである程度まとまってから書いているが、Twitterを使って実況するがごとく書くのもいいだろう。Kindleならば引用画像を生成して共有することもできるから、それを活用するとより簡単だ。

自由に書いて反応をもらえる

そして何よりこれだろう。確実ではないが、書いていると反応を貰える。それも時間をおかずして。

コンクールの場合、反応をもらうのは難しい。審査員が気に入るような、自分の感動と変化を盛り込み、高い完成度が求められるからだ。しかも夏に書いて、入賞者発表は翌年2月と遅い。もうその頃には何を書いたか忘れていそうだ。

対してブログやnote、Twitterなどで書くならば、そんな悠長なことにはならない。不特定多数に向けて公開することになるので、誰かしらに刺さる可能性はある。そして反応は公開して数日以内が一番多い。

しかも反応は様々な形で生じる。コメント以外にもRTスキ、それにPVだって反応の一つだ。アフィリエイトを貼っていたら金銭という形の反応もある。フィードバックが早いとモチベーションは高まり、また次も書こうという気になる。

読書感想文を書く理由である「考えを深める」「感情の記録」は本能に訴えるタイプのリターンではない。なのでこれだけを理由に読書感想文を書くのは難しい。だが様々な反応というランダムな刺激は本能に訴えるものがあるので、上手くハマればスキナー箱に入ったネズミのように、またやりたいと思えるようになるだろう。

終わりに

学校の宿題としての読書感想文は、人間教育とコンクールのあわせ技により、むしろ読書を遠ざけるような存在になっている。しかし大人はそういった制約から自由なので、読書感想文が持つ本来の価値を享受することができる。これから、お盆休みで時間に余裕がある人は多いと思う。これを機会に読書感想文を書いてみたらどうだろうか。

とはいえ何を読めばいいか分からない人もいるだろう。そこで課題図書を提示する。『プロジェクト・ヘイル・メアリー』だ。

『火星の人』の新作であるクッソ面白いSF小説なのだが、その面白さの割に感想が少ない。理由は簡単で、ネタバレNGだからである。 物語は記憶を失った主人公が、自らの置かれた状況を調べるところからスタートする。そのため、ネタバレしないようにすると、どこまで話していいのか分からないのだ。

だがブログやnoteならばタイトルや冒頭に「ネタバレあり」と書けばいいし、Twitterでもfusetter(ふせったー)を使えば遠慮なくネタバレ感想を書ける。なので『プロジェクト・ヘイル・メアリー』の感想を書け。

なお、俺が分かる形で感想を書いてくれたら目を通すが、出来が良くても特に賞とかは無い。コンクールにするとクソになるので。

参考書籍

読書感想文および作文教育の歴史は本書から。「文章読本」とは文章指南書のことであり、様々な文章読本を集めて比較したりバカにしたりする本である。メインの文章読本に対する批評よりも、作文教育の歴史のほうが俺にとっては面白かった。

読書関係の記事

感想文を書く前にそもそも本が読めないというタイプの人はこれ。

*1:残念ながら季語一覧 - Wikipedia『増殖する俳句歳時記』季語検索を見た限りでは季語として認められていないようだが。

*2:俺の体感として。

*3:ちなみに同社による2021年の調査でも47.7%で読書感想文がトップである。『夏休みの宿題に関するアンケート調査』を実施|イオレ

*4:小学校学習指導要領解説:文部科学省

*5:読書感想文の添削指導

*6:学習指導要領 国語科編 目次

*7:読書感想文を書く目的は人それぞれだと思うが、ここでは読書感想文コンクールQ&Aに書かれた目的を要約したものを採用している。

*8:ただし、自筆が不可能でデジタル機器を使用する、または代筆となるなどの場合は理由を添えることで受け付ける。

*9:「読書感想文を電子書籍で書くのはNG」ってどうして? 主催団体に聞いてみた(1/2 ページ) - ねとらぼ

*10:小学生の1ヶ月あたり読書冊数は年々増えているようだ。俺が小学生の頃は平均6~8冊だが、2021年の調査では平均12.7冊である。全国学校図書館協議会|調査・研究|「学校読書調査」の結果

*11:チンニングスタンドとBeat Saberについてはこの記事を参照。去年買って今も使い続けている良かったもの5選 - 本しゃぶり

*12:これも有料。