本しゃぶり

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自覚する無知は救われるが、知っていると思いこむ事は恐ろしい恐ろしい

自分が「無知」であることを知っているならば不安になる必要は無い。
探求する原動力となるからだ。

本当に恐れるべきは「思い込み」である。

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Jacques-Louis David [Public domain], via Wikimedia Commons

知らないことは調べられる

旅を始めるための記事を『わたしのネット』に寄稿した。

タイトルに「聖地巡礼」とあるが、旅行全般に当てはまる話である。対象としては「海外一人旅に興味はあるが、自分には能力的に無理だと思っている人」がメインだ。この手の記事は以前にもブログで書いたことがある。

これまでは具体的な対応策を書いていた。英語ができなくてもこうすれば対応できるのだ、と。

だが、聖地巡礼記事への反応や周囲の話を聞いているうちに、「できるわけがない」と思っている人達の問題点は、語学力の不足ではなく、もっと根本的なところだと思い始めた。それは「できる方法を探さない」ということである。自分にはできないと思ったら…… そこで諦めて終わるのだ。

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John William Godward [Public domain], Link

だが世の中には意外と解決策がある。特に多くの人が困っていることならば、なおさらだ。従ってやるべきことは「検索」である。そうすれば答えが見つかり、取るべき行動が明確になる。後は覚悟を決めるだけだ。

ざっくりまとめると、以上のような内容の記事を寄稿した。人は「未知のもの」を恐れる生き物だ。だが自分が「知らない」と知っているならば救いはある。調べることで真実にたどり着けるからだ。本当に恐ろしいのは「思い込み」である。

思い込みが恐ろしい

なぜ「思い込む」という事は何よりも「恐ろしい」事なのか。それは自らの誤りに気が付かないからである。知らないと自覚しているならば、調べるから結果として正しい答えを知ることになる。だが、知っていると思い込んでいる場合、その知識が正しいか調べることはない。

そのため、自分のミスに気がつく時は既に手遅れだ。誤った方向へ進み続け、知識と現実との差異が発覚して破滅。この時のダメージの大きさは、誤って進んだ距離に比例する

上で紹介した寄稿記事では、俺のイタリア旅行を例にしながら説明をした。なので今回もイタリア旅行のエピソードを例に説明する。あれは最終日にローマから空港へ向う時だった。

ローマからの脱出

無事に聖地巡礼を終えた*1翌朝、俺は中央駅であるテルミニ駅にやって来た。ここから電車に乗ってフィムミチーノ空港へ向う。

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テルミニ駅

テルミニ駅には前日に訪れたばかりなので、迷うことは無い。切符を購入するために、俺はまっすぐ券売機へと歩いていった。

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券売機コーナー

表示は英語でも、俺は慣れた操作で入力していく。イタリア初日は不安でオドオドしていたが今は違う。この時の俺は、まるで「10日」も修羅場をくぐり抜けてきたような、スゴ味と冷静さを感じさせる目をしていた。

画面には空港行きの電車が複数表示されていたが、俺は悩まなかった。過去の経験から指定席ではないことを知っている。適当に近い時間の電車を選択しておけばいい。こうして俺は8ユーロ支払って切符を手に入れた。

"Fiumicino Aeroporto" の案内に従ってホームにたどり着く。イタリアの駅としては珍しく改札があったが、俺の切符でゲートは開く。当然だ。そして電車に乗り込んだ。

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空港行きの電車

電車が走り出してしばらくしたころ、検札のために車掌がやってきた。俺が切符を差し出すと、表情が変わり何か言い始めた。どうやら切符が間違っているらしい。

路線は『2つ』あった

空港とローマ市内を結ぶ路線は2つある。1つは空港とテルミニ駅を結ぶ『Leonardo Express』である。全車1等でノンストップで突っ走る路線だ。料金は高めの14ユーロ。もう1つは郊外にあるティブルティーナ駅から*2複数の駅を経由して空港へ向う『FR1線』である。こちらは安い8ユーロ

つまり俺は『FR1線』の切符を購入し『Leonardo Express』に乗ったというわけである。なんでテルミニ駅に止まらない電車の切符が買えるんだよクソが。

このミスは事前に確認しておけば簡単に防げた。俺は『地球の歩き方』を持っていたし、テルミニ駅から空港への行き方を解説した記事をEvernoteに入れていた。どちらにも路線と料金のことは書いてある。しかし俺はイタリアに来てから確認していなかった。自分は電車の乗り方を「分かっている」と思い込んでいたからである。

失われた8ユーロ

当然ながら車掌は自分の仕事を遂行するだけである。彼の眼の前にいる男は切符を持っていない。そこで料金を支払うように言った。

車掌「料金を支払ってもらう。14ユーロだ」
俺「40ユーロ!?」

この聞き間違いは英語の数え方がクソだからというだけではない。俺はこの時、キセル乗車に対する罰金のことで頭がいっぱいだったからである。

イタリアを始めヨーロッパの多くでは改札が無いことが多い。切符を持っていなくても自由にホームまで入れるのだ*3。そして車内改札が必ず行われるわけでもない。最初から最後まで改札無しという事はよくあることである。

そうすると「キセル乗車し放題じゃあないか」と考える人もいるだろうが、やめるべきだ。バレた時のリスクが大きい*4。車内改札はランダムに行われ、もしキセル乗車であることが発覚すると、数十ユーロの罰金を支払わなくてはいけない。たとえ正規の切符を持っていたとしても、検札機で打刻を忘れていたらアウト。取り立ては旅行者に対してだろうと容赦なく行われる。

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これで打刻を忘れるとヤバい / Piergiuliano Chesi CC BY 3.0, Link

従って俺が "Fourteen" を "Forty" と聞き間違えたのも無理はない。悪気が無かったとはいえ、俺は完全にキセル乗車状態である。数十ユーロの罰金を支払わなくてはいけないと思い込んでいた。

幸い俺が支払ったのは正規の切符料金である14ユーロだけである。だが間違って購入した切符の8ユーロは完全に無駄となった。これは思い込みによって失った。もし俺が「無知」であることを自覚していたら、こんなことにはならなかっただろう。

終わりに

以上のように「思い込み」とはかくも恐ろしい事なのである。人は知っていると思い込む事によって探求することをやめてしまう。そして「無知」のまま進むことで、手痛い失敗をするのである。

これは何も個人に限った話ではない。人類の歴史においても言えることである。近代以前まで科学の発展は遅く、時には停滞していた。これは、世界の重要な知識は全て聖典や伝承の中にあるのだと、人々が思い込んでいたからである。価値のあることは全てを知っているとなれば、なぜそれ以上探求する必要があるのか。

だが科学革命によって思い込みから解放されると、人類は猛烈な勢いで探求を始めた。自分たちが世界について知らないと気がついたからである。最も偉大な科学的発見は、無知の発見だったのだ。

このようなことが『ホモ・デウス』に書いてあった。人類全体ですらこうなのだから、俺が思い込みで失敗するのは仕方がないと言えるだろう。これが人間世界の現実というやつである。

あらためて寄稿記事の宣伝

*1:けものフレンズ聖地巡礼『すいどうきょう』 - 本しゃぶり

*2:正確にはファラ・サビーナ発であり、ティブルティーナ駅も停車駅の1つ。

*3:だからプロシュート兄貴は切符を買わずにブチャラティを追うことができたのである。

*4:それ以前の問題として犯罪であるし。